Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

入院しました


 過日、先日。その実、昨日。仕事のストレスを原因とする胃痛がいよいよひどく、ロックンローラーの流儀で痛みを散らそうと、ごく少量のアルコール、缶ビール概ね2リットルを摂取、するとどうでしょう、胃袋のなかを、全身にチクチクした鋲の付いた皮製の衣服を着用したパンクスが前転をしているような耐えがたい痛みのケモノが疾駆、のたうちまわるように海岸通りへ飛び出し、タクシーをつかまえ、病院行ったら、ハイ入院。


 で、昼。先生から、飲酒の件を、チミねえ大人でしょ、ってこっぴどく叱られたので、おとなしくダサいスリッパをはいてベンチに膝を揃えて座り、舞い散る桜を眺めていた。桜って不思議。ただ眺めているだけで、世間から切り離されたような、甘いロマンスの周りを遊覧するような、幽玄というのでしょうか、ゆるやかな、うっとりした気持ちになるのですから。桜にはメタリカやナインインチネイルズがよく似合う。鼓膜が破れるほどの大音量がいい。


 って桜にたゆたゆ浸っていると上司たる部長から連絡。「無能な部下の手も借りたいほど多忙だが見舞ってやる。感謝しろ。多謝しろ」「忙しいでしょうから結構です。たいしたことないですし」正直な言葉。「遠慮するな。偶然、今月、俺のカラダは空いている…」忙しいのか暇なのかさっぱりわからない。直後、カラスの群れが飛来して桜の木を漆黒に染め、スリッパの病院名が記載された部分にはナメクジが這い、ベンチの下からは白骨化した小動物が出土した。


 病室にあらわれた部長の第一声、「本来、体調管理もできねえ奴は俺のチームにはいられないが、ジャイアンツが首位のうちは大目にみてやろう…俺は寛大だ…」「お忙しいところご迷惑をおかけしてすみません」屈辱ぅ屈辱ぅ!お見舞いされる側の立場の弱さよ。畜生、畜生。歯軋りする僕に気付くはずもなく、ちっ。部長はさもつまらなそうに舌打ちをしてから病室を見回し「棺桶みてえな部屋だな。辛気くせえ」と辛気くさい顔面で言い放った。


 げぼぼっ、隣のベッドにいた老人がむせた。老人を見舞う、家族と思しき幸薄そうなジャージ軍団の冷たい視線。正義は我にあり。僕が決死の覚悟を決めて「部長、みんなあんたには迷惑してるんだ。いいかげんにしろ。ついでに客先でTPOのことをPKOって言うんじゃねえ!恥ずかしいじゃねえか」と言い切り、最後に、クソが、と付け足した僕の声量は、胃痛のせいか、雇われ人特有の脆弱な精神のせいか、わからなかったけれども、文字通り、蚊の鳴くような、ものに相成りまして、部長の「病の原因はわかってる…。気合いがあぁ、足りねえからうぉぇぇ、倒れるんだぁぁぃあ」という絶叫に上書き保存され、地上から永久に消滅したのでございます。


 原因はあんただろ…途方に暮れている僕の肩を部長が叩いて言った。息が生臭かった。「見舞いだ…」高島屋のバラマークの手さげ袋を部長は取りだし、目線を外した。照れているのか…。「あけていいですか」「構わん。そのために持ってきた…」手さげからは会社のノートパソコンが出てきた。


 「部長これは…」「デスクトップピーシーだ…」最近週刊アスキーを読み始めたらしい部長の、間違った知識が、いちいち鬱陶しかった。「…」「仕事だ。お前には為すべき仕事がある…」早急の仕事は片付けてあるはずだったので、ちょっとわかりかねるのですが、尋ねると、部長は、牛島がやり残した仕事をやれ、沈痛な顔面で言った。


 よく見るとそのノートパソコンは僕のものではなかった。ガンダムのシールが貼ってあるべきところにはメーカーのロゴ。牛島君になにかあったのか?嫌な予感。「牛島君…彼になにかあったのですか?」「牛島ぁぁ、奴ぁ辞めたよ」「えーっ!」「疲れたんだってよ…詳しい理由は言わなかったけどよ…理由なんかねえくせに、格好つけやがって…奴にねえのは理由だけじゃねえ、ビジネスマンとしての能力と人を思いやる心もねえ…同僚に迷惑をかけやがって」理由は、自分のことを棚にあげて断罪していた。


 しょうがねえ奴だ、無能、使えねえ、はじめて見たときから逃げる顔をしていた、鼻の穴をひろげて呟く部長に僕は訊いた。「牛島君のパソコンで私は何をすればいいのですか?彼がやりのこした仕事は何ですか?」。部長は牛島に任せていた仕事なんだが、と前置きしてから、デスクトップパソコンで俺の休暇届をつくれ、俺は来週ゴルフで休む、と三秒で言いきった。それくらい自分でやれよ、牛島君も嫌になるわ…それにどう考えてもパソコン持ってくるほうが重労働だろ…。


 「わかりました…退院したらすぐに…」「いや、いますぐ取りかかれ」「ですから今から検査なんですって」「お前の検査と俺のゴルフどっちが重要だ?」。検査だよ。検査検査検査。なんども言うよ残さず言うよ、検査検査検査。


 つーか牛島君亡きあとそんなくだらない仕事を任されるのは勘弁だ。すこしずつパソコンを教えなきゃいけないな。「部長、ウインドウズってわかりますか?」「英語クイズか…」「ちが…」「風だ…」「ああ…」。胃痛に加えて頭痛、めまいが同時多発的に発生した。数分後…。「部長、休暇届、出来ました」「最低限の仕事は出来るようだな…。じゃあ帰るわ…」部長はいやな笑顔を残して帰っていった。


 この日記は退職した同僚のノートパソコンを用いて書かれたものである。僕が胃痛に耐えながら作成したゴルフ休暇届は、プリントアウトはおろか部長に一瞥されることすらなく、このパソコンのなかで眠ったままになっている。