Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

検索できない価値と、僕の思い出の川

記憶力はいいほうだと信じている。たとえば口座番号やマイナンバーは見た瞬間に記憶した。子供の頃、暗譜したブルグミュラーは今でも弾ける。1978年の3月に従兄弟が生まれて叔母さんの家に遊びにいったことも昨日のことのように再生出来る。呼び出せない記憶もある。どういうわけか呼び出せない記憶はどれも僕にとって意味があるものばかりだ。そのひとつが1985年5月に父親と僕、二人きりで川沿いに歩いたハイキング。どこの川に沿って歩いたのかどうしても思い出せない。

それでも僕はときどき11歳のときの、その小さな旅行を思い出す。なぜなら初めての父と二人きりの遠出だったからだ。いつも母や弟が邪魔をして父と二人で出かける機会はなかった。断片的な記憶はある。家を出てすぐに見かけた、病気で亡くなった近所の女の子のお葬式。参列する彼女のクラスメイトの嗚咽。出発地点へ向かう路線バスで話したタミヤのラジコンバギーのこと。河原で食べたオニギリの塩っけとたくあんを噛む音。そのとき見たカワセミの鮮やかな緑色のカラダ。父の前を僕は歩いた。細いアスファルトの道は、途中で曲がったり、未舗装になったりしながら続いた。ときおり後ろから声をかけられて、父の指の先にある風景を見た。水面に突き刺さる折れた大木。土手のうえの重機。川沿いの道は川から離れてしまうときがあって、夏草の向こうに川が流れているのか、不安になったこともよく覚えている。大きな岩に腰を下ろして、水面に石を投げながら「また来よう」「いつかまた」と話した。僕が思春期に突入し、父もそれから10年もしないうちに亡くなった。初めての父との小旅行は最後の小旅行となり、唯一の小旅行になってしまった。だから、ずいぶんと時間が経った今でもときおり思い出してしまうのだ。そして記憶との邂逅はいつも、僕らはどこの川を歩いたのだろう?というクエスチョンで終わる。

在宅勤務になった。僕は営業職なので、これほど長い時間、パソコンを前に座る生活は初めてだ。時間を持て余した僕は、ふと、何年かぶりに1985年の小旅行を思い出し、インターネットで検索して僕らが歩いた川を見つけようと思った。川は見つからなかった。記憶からそれらしいワードを拾い上げて、検索して調べてみた。いくつか候補は見つけたけれどどれも決め手を欠いた。ヒントを求めて母に小旅行のことをたずねてみた。母の答えは意外なものだった。「あんた、お父さんとそんなハイキングに行ったことないわよ」。僕の記憶違いなのか母の勘違いなのかわからない。断片的な記憶が明確なので可能性は低いけれど、小旅行自体が僕の見た夢ということもありうる。もっと記憶を細分化して検索していけば、いつかはあの川に辿り着けるかもしれない。だが、僕はもうあの川を探そうとは思わない。「また来よう」という言葉が作り物と確認するのが怖いのではなく、探さなくても、あの川が流れているのを僕が知っているからだ。検索しても出てこない川。存在の不確かな小さな旅。誰ともシェアは出来ないが、どちらも確かに僕の中にある。それで十分じゃないか。母の言葉がトリガーとなってそう考えるようになった。

80年代までの一般個人の活動はデジタルで記録されていない。もし記録されているなら、後日、改めてデジタル化されたものだろう。90年代の頭に亡くなった父は、デジタルの世界には存在しない。実際、ネットで父の名を検索すると出てくるのは、いくつかの論文だけだ。今は、データ化されていないもの、検索できないものに価値がない世の中になっている。ネットに上がっていないものは存在しないのと同義になりつつある。でも、僕は思うのだ。検索できない、デジタル化されていない、誰とも共有不可能で、淡く儚いアンタッチャブルなものをどれだけ持っているか、それが充実した良い人生を送れているかのひとつの指標になりうるのではないか、と。僕は、悪あがきで、もう一度あの川を調べてみようとしてみたけれど、それ以上の検索ワードは思い浮かばなかった。「どうだっていいじゃないか。そんなことは」と、記憶の向こうから、あの川のせせらぎをバックミュージックに「また来よう」と同じ声が教えてくれている、そんな気がした。(所要時間23分)