Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

9/27発売フミコフミオ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』最終段階で泣く泣くカットした未収録エッセイを公開します。

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【速報】Amazon「胃・腸の医学」で位! 

9月27日という消費増税直前という最高のタイミングで、KADOKAWAさんより、現代における生きづらさに迫るエッセイ本『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』が発売されます。

内容は「会社」「仕事」「社会」「家族」といった人生の様々なシーンで普通の会社員である僕が「きっつー」と感じた生きづらさを探求して、それらをどうやりすごしてきたかを真空パックしたものだ。そこらへんにいる中小企業勤務のオッサンの悩みと解決なので、スーパー・ビジネスマンのそれよりは、皆さんにもウルトラ共感していただけると思う。 

今日は特別に未収録エッセイを大放出したい。KADOKAWAのエモい担当編集I氏と場末の居酒屋で飲んで「僕、16万字くらい書きますよ。余裕っす」「フミコ先生ありがとうございます!」と盛り上がった勢いそのままに、僕は17万字近くきっつーな文章を書き、校正もおこなった。ところが最終段階でI氏から「まことに申し訳ありませんが、文字数の関係で…」という大人の事情申出があり、最終の、最終の、最終段階でカットすることになったものだ、これを読んでいただき、少しでも『胃に穴』に興味を持っていただけたら嬉しい。

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未収録エッセイ①/失敗を恐れない人は勇気があるのではなくナメているだけでは?

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「私は失敗を恐れない」は勇気があることを表している言葉だ。それが「バカだから失敗がわかりません」と言っているように聞こえるときもある。

 記憶が蘇る。

 「僕は怖くないぞ!」

 友達が大きな声をあげて、空気の抜けた自転車で公園から路地への下り階段を降りようとしている。「ケガするって」「危ないからやめろ」周囲の声に「大丈夫だって!見ていろ!」と言い返し、そのまま自転車で下り階段に突っ込んでいった彼は、二、三段下ったところで、がくっとハンドルを取られ、ガラガラドチャーン! と落ちていった。足が空に、頭が地面に、一回転して落ちていって、動かなくなった。

 「死んだ?」

 張り詰める空気。死んだ人間は生き返らない。仕方がない。諦めよう。今日という日を胸に刻んで生き残った僕らは強く生きよう。彼のぶんまで立派な大人になろう。
彼は生きていた。擦り傷だらけになった彼は「すげえだろ」と己の勇気を誇っていた。

 

これは勇気ではない。蛮勇である。バカとも言う。周囲を巻き込まないなら蛮勇はたいへん結構。血を流している蛮勇君を放っておくわけにもいかないので、彼の自宅まで送り届けた。僕らは彼のお母さんから「友達なのに、なんで危ないことをしようとしているのを止めないの!」と叱責された。そのとき「トンビはトンビしか産まないのだなあ」と思ったのをつい昨日の出来事のように覚えている。

 

それ以来、「失敗を恐れない」という蛮勇族が現れると、パブロフの犬のように警戒するようになってしまった。

「失敗を恐れない」蛮勇族を警戒する僕みたいな人間もいる一方、「失敗を恐れない」というフレーズが魅力的に映る人もいる。新進気鋭の実業家が「私はね。過去の前例や常識にはとらわれない。失敗を恐れたりはしない。失敗は成功の母だからね。ははは」とインタビューで答える。すると疑うことを知らないピュアな若者はその言葉をそのまま真に受けて「すげえ。かっこいい。俺も失敗を恐れずに挑戦するぞー」と進んで失敗に突き進んでいって滅亡するのだ。

成功者の「失敗を恐れない」は、失敗を恐れていないわけではない。あらゆる失敗を想定し、対応策を講じたうえで、ようやく恐れなくなったという表明である。常識的に考えて、失敗を予想せずに自転車で階段を下って傷だらけになった蛮勇君が成功するわけがない。もし蛮勇君が起業しても、「痛みは痛いと思うから痛いのです。痛いと言っている余裕があるなら、お客様に笑顔を向けましょう」なんて言うようなブラック会社の代表になるのが関の山だろう。


失敗を恐れないは、失敗を軽く考えることではない。「失敗は成功の母」「失敗を糧にしよう」みたいなフレーズがとても軽く扱われていて怖い。失敗ナメすぎ。千の成功を積み上げても、たった一度の失敗ですべてが無になることがあるからだ。社会には他人の失敗をいつまでも覚えているヒマ人がいて、執拗に「あんたあのとき失敗したじゃないか」と言ってくる。

 

以前勤めていた会社で同僚だったクボ君は、大変気さくな好人物で、近い年代の人たちからは「クボちゃん」「クボッチ」と呼ばれて親しまれていた。その親しみは、彼生来の愛すべき、そそっかしさや忘れっぽさから来ていた。「まーた、クボちゃんかよー」「しっかりしろよ。クボッチ」という声を何回耳にしただろう。クボ君は、上司からよく叱られていた。仕事をするうえで、そこだけはミスったり忘れたりしちゃいけないポイント。そこさえ押さえておけばオッケー、あとは何とかなる、そういうポイント。クボ君はそういうポイントをしっかりスルーしていた。

 

「あのさー。何度同じことを言わせるんだよ!」
「すみません。この失敗は次に活かします」
「キミねえ。毎回、毎回、そう言っているけど、いつ活かされるのよ。え? いつ!」

 

クボ君はこんな感じで上司にヤラれていた。失敗の印象は強い。こうしてクボ君の失敗を語っている僕も、クボ君イコール失敗の印象が強くて、そこから逃れられない。クボ君は確かに失敗が多かったけれど、失敗よりもずっと多くの成功があったはず。


キツいのは、失敗はなかなか忘れてもらえないこと。どんな小さな失敗でもずっと影のように自分を追ってくることだ。

 

仕事のうえでの成功のほとんどは、誰からも褒められることのない小さな実績だ。否応なく叱責を受ける失敗のほうが目立ってしまう。クボ君はたくさんの成功を積み上げていた。だけどクボ君の時々の失敗がそれらを無にした。成功の価値は失敗によって減じられてはならない。成功はその成功をもって評価されなければならない。

 

それは理想。残念ながら人間はそこまで綺麗に割り切って考えられない。

 

現実は、ひとつの失敗によって数多くの成功はなかったことにされている。一度の失敗で出世街道から外されてしまった有能な人材を、これまで何人も見てきた。クボ君とは10年以上も会っていないけれど、彼の積み重ねてきた失敗が糧になって、今は大きな花を咲かせていると信じたい。

 

今、僕は失敗を恐れる中年。守らなければならないものが出来たから失敗を恐れているのではない。成功以上に失敗を重く見るようになったのだ。加えて、経験を重ねてあらゆる失敗を予測できるようになった。予測できる失敗は回避できる。予想されている失敗に突き進んでいくのは、蛮勇君のようなバカだけでいい。

 

「僕はどうしても失敗したい。自分の武勇伝にしたい」という奇特な方には、失敗するのなら若いうちにしておくことをおすすめしたい。突然のリストラ。熟年離婚。莫大な借金。こういう失敗は、中年になってからではガチで取り返しがつかない。こうした失敗をしないためには、どうすればいいのか。簡単である。何もしなければいい。皆さんの会社にもいないだろうか。肩書や役職もなく、ただボーッとしている先輩社員。積極的に動かず、あらゆるものに無関心、無気力のスタンスを周知させて「あの人は仕事できないから……」「あの人に仕事を任せると、いいかげんなことをして頼んだこちらの責任が問われる」と思われるようにするのである。誰でもできる、責任の問われないどうでもいい仕事のみを粛々とこなすだけの日々。一度の失敗が人生を破壊する恐怖がこうした人間を生むのだ。

 

失敗は失敗。殺人や強盗のような犯罪でないのに許されなさすぎだ。これからは失敗が許される世の中になればいい。あらゆる組織で残機制度を導入してはいかがだろうか。失敗するごとに残機は一機ずつ減っていくが、残機ゼロになるまでは責任を問われない。手柄を立てたら1UPキノコ。人事担当の方に残機制度の導入を真剣に検討していただけたら幸いである。

 

家庭のほうがデンジャラス。会社など、家庭に比べればイージーモードである。会社で失敗して上司から詰められるのがきつかったら辞めてしまえばいい。だが家庭は逃げ場所がない。家庭から逃げても慰謝料や養育費が地獄の果てまで追ってくる。尻の毛まで抜かれる。奥様という名の秘密警察は失敗を見逃さない。情状酌量もない。

 

小さなしくじりも大きなしくじりも等しく重罪。奥様警察には賄賂も役に立たない。
「ささ、どうぞ」と賄賂を菓子折りの箱に入れて渡せば、「この金はどこから調達したの! なぜ生活費に入れないの!」と別の罪名がアドオンされるだけである。

 

外出時にトイレの消灯を忘れれば「やっぱりあなたはダメだ。失敗ばかりの出来損ない人間だ。どうして何度言ってもわからないのだろう。バカなのだろうか。こんなバカと結婚した私がバカだった。私の人生を返してほしい。ああ、佐藤健君と人生をやり直したい!」といい、これまで地味に積み上げてきた功績が全否定。前日、特上カルビをご馳走しても胃袋で消化されてしまえば、無意味。家庭においては「失敗を恐れない」などという甘い理屈は通じない。もし、あなたが「僕は失敗を恐れない」と口に出来る家庭をお持ちならば、それは素晴らしく贅沢な人生を送っているか、妄想だと思うよ。

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 ちなみに掲載イメージはこんな感じ。文字多めのストロングスタイルで勝負です。

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では、よろしく。 

 

煽り煽られてイキるのさ

煽り運転マン逮捕された直後から、テレビやネットがフミオ!ガラケー!フミオ!ガラケー!と大騒ぎするものだから、とても他人事とは思えなかった。だが、僕自身は、生来の巻き込まれ体質もあって、煽られる側の人間であった。生真面目に四十キロ制限の県道を四十キロぴったりで走行しては、若者が運転する軽自動車に後ろかチカチカやられ、追い抜く際に中指を立てられるような理不尽な目に遭うことが、本当に、本当に多かった。

そういう頭の悪い若者は、Siriに入れる座薬のようなものである。座薬特有の異物感はSiriの中ですぐに溶けてなくなり、忘れてしまう。僕は大人の余裕を見せて車を停めて道を譲る。座薬バイビー。だが、バックミラー越しに彼らが助手席にセクシーギャルを乗せているのを見てしまうと、座薬の分際でギャルかよ、ザケンナヨ、絶対に許さない、という気持ちが沸いてきて道を譲る気持ちは蒸発、道を譲らず四十キロきっちり維持して走行、相手のイライラを募らせ、座薬とギャルに抜かれる際に口パクで《SHI・NE》とやられるのだ。

「このようなカーライフを送っていたら取り返しのつかない事態になる」ある時期を境に僕はそう考えるようになり、煽られないように努力をするようになった。ドラレコ設置。それからハンドルを握る際にはクロブチ眼鏡をかけ、ヤクルトスワローズの野球帽を被り、ヤベえヤツ感を演出するようになってから煽られることはなくなった。参考にしてもらいたい。こうして僕個人の対煽り運転戦争は沈静化した。

しかし、煽り運転は社会からなくならない。なぜ、煽り運転をするのだろう。ニュースによれば煽り行為の発端は追い越し走行にあるらしい。僕は、追い越しという行為が優越感と劣等感を刺激することに煽りの原因があると考えている。たとえば他人に対して謎の優越感を持っているバカにとって、追い越し車線の前方を走行する車は優れている自分を邪魔をする存在であり、他人に対してどうしようもない劣等感を持っている人にとっては追い越し車線で前方を走る車は、リアルではダメダメな自分を想起させ、絶対に前を走らせたくないと思わせる存在なのである。そして、くだらない自分の立ち位置を守るために、前方に走っている車はあってはならないものとし、抜きにかかり、邪魔だと感じたら煽って、己の戦いに引きずり込み、追い越そうとするのだ。煽り運転をする人たちの勝手な言い分は、自分たちが正しい戦いをしていると信じているからこそ出てくるのだ。迷惑すぎる。

僕は、追い越し車線というネーミングがその種の人間の闘争本能を刺激しているのではないかと思う。なので「ささ、お先にどうぞ車線」という柔らかなもの、「地獄へGO車線」という命のピンチを意識させるもの、「DQN車線」というアイデンチチーを刺激するもの、はいかがだろうか。

だいたい人間というものは生まれてきた時点で素晴らしく、価値のある存在であり、その後の勉強や仕事が出来る出来ない、お金を持っている持っていない、抱いた異性の数といったもので優劣や価値の増減などは、どうでもいい誤差みたいなものだ。そんなもので俺は優れている!だから何人たりとも俺の前は走らせないと考えるのは一ミリを一万光年に拡大解釈しているようなものなのだ。ほんのちょっとの優劣を追い越し車線で証明したり取り返そうとするみたいなのは、バカバカしい行為なのである。

そのように日々考えているので、年長の知人から「何ものにもなれなかった」「こんなはずじゃなかった」と酒を飲みながら言われても、生まれてきた時点で価値があるのだから別にどうでもよくね?と思うばかりなのだ。「良くやりましたよ」と褒めるのも「もっと出来ましたよね」と評価するのもおかしい。自分が納得するかどうかであって、その評価を他人に委ねるのがおかしいのだ。それでもグチグチネチネチ絡んでこられると、酒が不味くなってきて、感情的になり、精神の追い越し車線に乗り込んで「なんかそういうのダサくないっすか?」と煽ってしまう。僕もまだまだ修行不足だ。

つまり、自分が少し成功していたり、自分の思い通りにならなくても、それを追い越し車線的なものに持ち出し、そこで見つけた獲物を相手に証明したり解消したりしようとする行為の極北が煽り運転なのだろう。人間は生まれながらに価値があるので、そんなことをしても己の価値を貶めることこそあれ、上げることにはならないのだけど。普通の人は直感的にそれがわかっているから煽り運転をバカと一刀両断できるけれども、バカには永遠にそれがわからないから繰り返すしやめないのだ。きっつー。煽り運転で逮捕されたフミオさんを見てそんなことを思った。なおこの記事はガラケーによって書かれた。(所要時間27分) 

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高齢者の隣人を助けたつもりが、追い出す結果になってしまった。

高齢化が加速していく我が国では、こうした事例が増えてくると思うので参考にしてもらえたら幸いである。

先月某日。蒸し暑い午後11時。マンションの呼び鈴が鳴る。モニターで確認すると夏なのにフリースを着た初老の男。荷物は持っていない。夜、モニター越しにみる人の顔は目がピカピカして不気味。よく見ると、隣人のTさん。Tさんは60代後半から70代の男性。独身。僕の知るかぎり、これまで彼を尋ねてくる人は一人もいなかった。酔っ払っているにちがいない、ここはひとつスルーしよう、と思ったが、一分ほどずっとドアの前に立っているので、仕方なくドアを開ける。「こんばんは」とTさんは切り出すと、まったく知らないマンション名を出して、そこが自分の家なので連れていってほしい、と言った。いやいやここがユーのマンションだから。僕は「Tさん、お隣でしょ」と冷静を装って、彼を部屋の前まで連れていき「おやすみなさい」といって自分の部屋の前まで戻り、Tさんの様子を確認。彼は誰もいない部屋の呼び鈴ボタンを連打していた。マジでヤバい。

奥様にその状況を伝えると「よく、そういう人を放置してくるような冷酷な真似ができるね。ヒトデナシ」と詰められ、「もういちど確認してこい」と蒸れ蒸れの夏の夜へ追い立てられ、ふたたびTさんの部屋の前を確認するとそこに彼の姿はない。イヤな予感。「もし彼の身に何かがあったらどうしよう」という気持ちはなかったけれども、腐臭はどれほどのものなのか、奥様にどんな仕打ちをされるのか、想像するだけで恐ろしかった。捜索。マンションの1階エントランスの前に彼はいた。「お部屋戻りましょうよ」と声をかけると反応ゼロ。うーん。真夏だから凍死する心配もない、じゃ無視しよ、と思ったけれども、Tさんの僕を見つめるまなざしが僕を釘づけにした。すがるような、わたしはあなたを信頼している、とでも語っているような真っ直ぐなまなざし。ここ数年、具体的には結婚以来、プライベートでこのような目で見つめられたことはなかった。「ちょっと待っててね」と言って一度部屋へ戻り奥様に経緯を報告。彼女にTさんの様子を見ているように言づけてから、近所の交番へダッシュ。

交番には若いポリスマンが2名。事情を説明して、現場に来てもらうことに。ポリスマン1号がTさんに声をかけ、2号が僕に経緯をヒアリング。1号が「お隣さんがね。Tさんにピンポンされてすごく迷惑しているって!」と言う。迷惑してないっつーの。ちと頭に来る。逆恨みされて朝まで生ピンポンされたらどう責任を取ってくれるのか。「鳴らしてないよ」Tさんにピンポンの記憶はなかった。うそーん。それからポリスマンに連れられて部屋の前で、いい?ポケットの中から鍵を出すよ?というやり取りのあとでTさんは自室へ帰っていった。ポリスマンは「痴呆入ってますね」と言うと、ただこれ以上は我々は何も出来ません、何か迷惑行為があったら通報してください、では、といって去っていった。

Tさんは天涯孤独。何かあっても助けてくれる人はいない。そういう前提で奥様と相談をした。最近マンションのゴミ捨て場に、ものすごい量の缶ビールの空き缶が不法投棄されていたり(不燃ゴミは別の場所である)、生ゴミが袋に入れられずに捨てられていた。Tさんの仕業であった。彼女は投棄する瞬間を目撃して、ちょっと様子がおかしいと感じていたらしい。僕の体調の変化には疎いのに、隣人のゴミ捨ての様子から変調を察知するのだから人間は面白い。住民課へ相談へ行こうと思ったが、Tさんのことをほぼ何も知らないので難しい、そもそも行ったところで速やかな対応がされるか怪しい、という結論になり、マンションを管理している不動産屋へ相談することにした。翌朝、不動産屋さんに経緯を話し、連絡を取れる親族がいたらコンタクトしてもらいたい旨を伝える。

それから丸2日。動きなし。日中は仕事をしているので、夜、外側からTさんの部屋の様子を確認。カーテンから漏れてくる光もなし。物音もしない。奥様からは「何かあったらキミの責任ですよ」「地上3階なら屋上からロープでつたって中の様子を見てきて」と詰められる。僕はインポであってミッション・インポッシブルではない。いよいよヤバい。不動産屋へ行ってから3日目(土曜)。不動産屋め、名前の通り動かなかったのか。クソ。と諦めていたら、動きが。他県ナンバーの車があらわれて数名の人がTさんの家を訪ねてきたのだ。ああ、良かった。これでどうにかなるね。と胸をなでおろす。彼らはそれから何日かかけて部屋を片付けていた。たまたま駐車場にでていたとき、「すみませんでした」とTさんから声をかけられた。Tさん元気になったの?と思ったらご兄弟であった。彼は、Tさんはもうダメで、地元(東北だった)へ帰ることになった、家族で面倒をみれないので施設に入ることになるだろう、Tさんに会ったのは久しぶりだったのに残念だ…と言った。

Tさんの無事を知って安心したけれども、はたしてこれで良かったのか、僕にはよくわからなかった。何か事情があって、ひとりで生きてきた人を強制的に元の場所へ追いやってしまった気がしたのだ。もし僕が将来独り身になり、今住んでいる場所を離れ、Tさんと同じような事態になったら、戻りたいとは考えない。「もしかしたら、あのまま一人で亡くなることがTさんの望みだったのかもしれないよ」と僕が言うと、ウチの奥様は、Tさんは自分でもワケがわからなくなりながら生きようとしていた、ゴミを出そうとしていたし、自分の家に帰ろうとしていた、あれは死のうとしている人じゃなくて、生きようとしていた人だよ、と僕の意見を否定した。彼女は僕の意見を片っ端から否定するが、この否定は僕の心を落ち着かせた。Tさんは故郷から出て一人で生きてきた。今住んでいる街でも特定のコミュニティに所属せず、誰とも接触しないようにしていた(ように見えた)。

Tさんみたいな高齢者はたくさんいる。Tさんはラッキーだった。たまたま親族と連絡がついただけだ。いくら技術を活用した高齢者見守りサービスがあっても、それを利用する人がいればこそ。Tさんを見守っている人は誰もいなかった。結局のところ、技術で生活がどれだけ便利になろうとも、人とのつながりが切れてしまえば、救えないのだ。自ら世間との関わりを断ってしまった(ように見える)人たちをどうやって救えばいいのか。真夏のTさんの出来事は僕にそんな課題を投げかけていった気がしてならない。(所要時間29分)

あのひとことが僕を『20年戦い続けられる営業マン』へ変えた。

「ひとつの出会いが、ギブアップ寸前だった僕を『戦える営業マン』へ変えてくれました。」の姉妹編です(http://delete-all.hatenablog.com/entry/2019/06/23/190000

「部長は同業他社の悪口を一切言いませんね」「他社を褒めまくりじゃないすか」と同僚や部下から驚かれる。そういうときは「他社の悪口は時間がもったいないから」つって誤魔化している。かぎられた時間を他社の悪口に割くくらいなら他の話をしたほうが良くね?という考え方である。僕はポジティブなバイブスに身を委ねて仕事をしたいのだ。

今の職場にやってきて丸2年になるけれども、多かれ少なかれ他社の悪口をいう営業マンはいる。個々の細かいやり方に干渉するつもりはない。ただでさえ営業という面白くない仕事(僕はそう思っている)で、悪口や非難といったネガティブなことを言い続けていたら、ますます仕事が面白くなくなってきて嫌にしまうのではないかと心配になる。

同業他社やその商品を貶めることが営業のやり方として有効なのは認める。実際、「あそこの商品は衛生管理がなってませんよ」「低価格なのは低品質だからです」と言って、「それなら御社の商品を」「アザース!」という流れで話がまとまるお客は一定数いるからだ。二十数年前、駆け出しの営業マンだった僕も数年はそういう他者を貶める営業をしていた。だが、あるとき、とある見込み客から「キミは同業他社の悪口しか言わないね」と指摘された。ガツ~ンときた。そのころ人を貶めるやり方に行き詰まりを感じていた。商談をしていても、契約をとっても、その場かぎりで次の仕事につながっていかなかったのだ。そして何より、そういう仕事のやり方がつまらなくて仕方なかったのだ。今、振り返ってみると、当たり前だなと思う。誰かを貶めている人間を知人に紹介しようとは普通考えない。目の前の商品を買うだけにしよ、というスポットな仕事がなんと多かったことだろう。

営業の仕事のやり方に行き詰まりを感じていた僕は、当時よく通っていたスナックでよく一緒になっていた初老の営業マンに相談した。ダメもと。彼は長年保険の営業をやっていたのでそれなりに引き出しはあるだろう、少しでも参考になればいいやという軽い気持ちからであった。顧客の増やし方や見込み客の管理の方法といった方法論とともに、彼から教わったのは、「同業他社の悪口は言うな」ということであった。それだけなら目新しいところはなかったけれど、彼が斬新だったのは、他者を貶めることを禁じることだけでなく、同業他社を出来る限り徹底的に褒めろという点であった。「他社や他社の商品をできるだけ褒めなさい。卑下する必要はないが、自分のところにないメリットを教えてあげなさい」と彼は言ったのだ。

そんなことをしたら他社の商品が売れてしまうじゃないすか、会社に殺されます、という僕を彼は笑う。「褒めて褒めて他社の商品への評価がお客さんの中で最大になったときに自社の商品をセールスすればいい。もし自社製品が本当に優れているなら商売成立だろうよ」と言うので、それ無理くないか?という気持ちになる。その僕の気持ちを察した彼は「お客さんに他社の100点の商品を紹介したうえで、120点の商品を選んでいただけるようにするのが営業の仕事だよ。他社を貶めて50点に見せかけて60点の商品を売るような商売は続かない」と説明した。それから、彼は20年以上たった今も覚えている言葉を続けた。


「競争相手のマイナス面ではなくプラス面を利用する。それが顧客にとってのプラスになるのだから。マイナスの商売をやっちゃいけないよ」


彼は「営業は開発に対して、プラス面で勝つために、よりよい商品をつくってもらえるようマメに注文していかなければならない。できたら商談ごとに」と加えた。そして「同業他社のいいところを話すことでお客は、『こいつ自社の商品の宣伝じゃなくて、自分のことを考えてくれている』と考えるようになる。自然に商品ではなくその営業マンのファンになってくれる。そこまでいけば自然に売れるようになるし、その期待に応えるために営業マンは自分を向上させないといけなくなる。サービスは良くなる。商品も良くなる。信頼もされている。相乗効果で売れる営業になれる」と続けて、それが営業という仕事の醍醐味と大変さだと教えてくれた。僕はハードル高くなっていくばかりじゃないすか、と口に出してしまったけれども、ハードルを低くしたら、成績も低くなるだけだぞ、と彼に釘を刺されてしまった。

彼の言ったとおりに、競合を貶めるのをやめてからは、良くて横ばいだった営業成績は右肩上がりになった。若くピュアだった僕は、お客から他社の商品について質問を受けたときは、徹底的に褒めた。「プロの目から見ても〇〇社さんの商品は素晴らしいですよ。ウチも見習わなければならないところばかりです」「ウチの商品もなかなかですが、このジャンルだけは〇〇社さんの方が一歩先いってます」馬鹿の一つ覚えのごとく他社セールス!セールス!セールス!「自分とこの商品売らなくていいの?」と笑われることもあったけど、その頃の僕は本当にどん底で、何も教えてくれない会社に心底ムカついており、それなら他社をセールスしてやるわ!というヤケクソな心境だったのだ。最初のうちは結果が出なかったが、次第に問い合わせの連絡がポツポツと増え出して、気づいたら上昇気流に乗っていた。お客からは「会社にこだわらずにいい商品を紹介してくれるから助かる」みたいなことを言われるようになり、自社の商品を選んでいただけるようになっていった。マイナスではなくプラス面にフォーカスしていけという、あの初老営業マンの教えの正しさを僕は思い知ったのだ。

スナックで会ったとき、お客の変化について彼に話した。彼は競争相手を貶める商売はジリ貧だよ、と切り出し、競争相手と共闘して価値を高めあっていけば値下げ値下げのつまらない価格競争から逃げられるはずと言った。そらから彼は「ウチの業界はそうはならなかったけど」と自嘲していた。彼にも、やりたい仕事をやりたいようにやれなかった苦い思い出があったのだろう。お礼を言うと「やったのは君だ。営業という仕事はやった人間がいちばん偉いんだ」と言って普通に酒を飲んでいた。

あれから20年経った。僕は彼から教わったやり方だけで、営業として戦い続けている。世の中は変わって仕事や業界を取り巻く環境は随分と変わったけれども、仕事をするうえで大切なスタンスは何も変わっていない。ひとつだけ彼は僕に嘘を言った。彼はいつか仕事が楽しくなる、と言っていたが相変わらず仕事を楽しいと思うことはほとんどない。せいぜい、つまらなくはない、といったところ。これから当時の彼の年齢に近づくにつれ、楽しくなるのだろうか、だとするとまだ僕にはやれることがあるということでそれは楽しみでもある。リタイアして地元北九州に帰った彼が今何をやっているか僕は知らないが、場末のスナックで営業マンたちの愚痴や悩みを背中で聞きながら静かに飲んでいるような気がしてならないのだ。(所要時間35分)

 

車を買いました。

車を買った。身分不相応だけど新車である。家族の同意を得るのに費やした時間と苦労を想うと真夏の太陽がにじむ。大きな買い物には家族の同意は不可欠。もし家族の同意なく車を買ったら…のちにこの身に降りかかる災厄を想像するだけで恐ろしい。

奥様がなかなか首をタテに振らなかった理由は「まだ動くのに?要らないよね」というシンプルなもの。たとえば僕が使っているものを刷新しようとするとき。彼女は壊れにくさを重視して「まだ使えるよね」「いけるいける」と軽い感じで聞き流し、あっさり却下。おかげで電気式シェーバーの替え刃を改めることが出来ず、毎朝、肌をキズつけては血を流している。一方、奥様ご自身が主に使用するモノについては、壊れていなくても、光の速さで新調および刷新する。数年前、奥様のセレクトで購入した全自動洗濯機や冷蔵庫は、「色がちょっと気に入らないんだよね」「新型は電気使用量が少ない」という理由であっさりと新型へと新調。車も「まだ走るよね」という乱暴な理由で拒否され続けていたのである。

風向きが変わった。奥様が変わった。4つのタイヤが外れて動かなくなるまで、ボンネットから火が噴き上げるまで、ハンドルを握り続ける覚悟を固めたところであった。新型車の安全性能が著しく向上したのを、CMや広告で知ったらしい。安全性を考慮。普段は厳しい顔しか見せない奥様が、影では僕の身を案じてくれていることを知り涙があふれそうになる。嬉しかった。生きてきて良かった。歩くATM、しゃべる預金通帳、保険契約者、異臭発生装置。そういう扱いを受けてきた分、喜びもひとしおである。

僕の早とちりであった。奥様が安全を重視して新車購入にゴーしたのは揺るぎない事実であるが、その安全が誰のものなのか、認識が異なっていた。ハンドルを握る僕の心身と人生を守るための安全ではなく、彼女の財産と人生そして名誉を損なわないための安全であった。

「万が一、事故を起こしても相手に大きなケガをさせないように」「運転する側が運悪く命を落としても、被害者がいなければ…」「安全性能が高い車の方が、支払金は同じでも自動車保険料が安くなるってホント?」「運転中に脳内出血したら最後の気力を振り絞って壁にぶつけてでも車を止めてください。それで落命しても、キミは英雄になれる。私も救われる」「絶対に人の列に突っ込まないで。突っ込んだら死なないで。家族に迷惑をかけずに自分の命をかけて責任をとって」といった、どう好意的に解釈しても僕の安全よりも他にプライオリティがありそうな発言から、彼女の真意がわかってしまった。

今現在乗っている10年落ちの安全性能の貧相な車では世間様にご迷惑をかけてしまう。あの車に乗っているかぎり事故を起こす確率と加害者家族となる可能性は高い。世間から好奇の目、重くのしかかる保障、「あんな馬鹿を車に乗せたのか」と世間から非難され続ける暗黒の未来。そのような未来が私に絶対あってはならない。ならぬものはならぬ。ならば、勿体ない気持ちがあるけれども、事故を起こしにくい安全性能に秀でた最新カーに乗り換えてもらった方がに私にとってプラスだよね、という奥様の安全志向とリスクマネジメントが新車購入へ繋がった。僕の命が軽く扱われていることに、いささか寂しい気持ちはあるけれども、今は、車を買い替えられるという大きな事実を大切にしたい。

そういや、古い大衆車に乗っているおじいさんを見ると「大事に使っているなー」と感心していたものだが、あれ、お金や余命という己の要素と周りにあたえる危険を秤にかけて、「多少、危険かもしれないけど、あと数年の命にお金使いたくないし」つって前者に重きをおいて他人の命を軽んじて買い替えていないだけなのだよね。つまり自分ファースト。ウチの奥様の場合、最優先されるのが僕の命ではないことに少々納得がいかないとはいえ、命ファーストであることは絶対的に正しい。だから命ファーストで僕も生きる。死なない。絶対に事故を起こさない、起こしてはなるものかという気持ちはいっそう強いものになっている。自分を守ってくれるのは自分だけなのだ。奥様は資金援助もしてくれた。「私も助手席に乗せてもらうから、ささやかながら協力するよ」。その額1万円。ささやかすぎる。同乗するなら金をくれと叫びたい気持ちをおさえて、サンキュ。

安全安全安全。そういう至急の状況であったので、お目当ての車種の試乗もそれなりに、最高グレードで考えられるだけのオプションをつけて一括購入した。営業マンから「人気の車種なので納車まで時間がかかります」と言われた。しばらく待ってようやく納車。さっそくのドライブ。「やっぱ新しい車はいい。燃費いいし静かで」「高速運転と駐車はほぼ自動なんだなあ」と感動。家に帰ってきてネットを確認。目を疑う。そこには買った車種のモデルチェンジのニュース。きっつー。さらに安全機能が充実するらしい。以来、奥様からは「なぜもっと情報を収集しないのか」「今から新しい車と取り換えて来い」と詰められる日々。1万円も強制返還。楽しい嬉しい新車納車当日にそんなニュースを知らされるなんて、マジでこの世に神はいない。(所要時間24分)