Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

試用期間が終わりました。

11月15日をもって僕の試用期間が終わった。期間内での実績を評価されて3営業日前倒しで終了。3日。微妙な評価である。3ヵ月間の試用期間は石橋をハンマーで叩いてから渡るような慎重な日々だった。胃薬を手放せない緊張の連続でもあった。家族や親族一同から「失業系男子」「43才フリーター(笑)」「ノーワーク,ノーライフ」と蔑まれ、世間から疎まれた屈辱の日々。もう、あの頃に戻るのは、絶対に嫌だ。そんな強い思いが、就職し、新たに得た居場所を絶対死守するように僕を衝き動かした。居場所を守るために僕が注力したのは、与えられた仕事でトップが期待する以上の成果を出すこと、それから同僚たちと友好的な関係を築くこと。前者は3日前倒しの試用期間終了という形で結実したが、苦労したのは後者である。週40時間労働厳守残業絶対禁止、好待遇、会社愛にあふれ、同僚同士がリスペクトし合う素晴らしいホワイト環境の副作用なのだろうね、どうも同僚各位の意識が高めなのである。気付き。学び。キャリアアップ。自己啓発本。雑誌『LEON』愛読。普段『週刊大衆』しか読んでいない僕とは馬が合うはずのない人たち。だが合わせなければならない。苦労して得た居場所を守るために。アフターファイブの誘いは、原則、断らないようにした。意識高いアフターファイブは飲み会に終始しない。アフターファイブはビジネスという戦場で戦う武器を磨く時間。おかげで僕は今までの人生で経験したことのないことにチャレンジするハメになった。トレーニングジム、ボルダリング、料理教室。ホットヨガ、瞑想教室、歌声喫茶。オペラDVD鑑賞、バルでの仕事トークからのTTポーズ共演撮影。彼らが文化的健康的と考えている活動に付き合った。ボルダリングで高さ1メートルからブタのように落下した瞬間はさすがに「こんなのやりたくねえ」と本音が口をついて出てしまったが、その瞬間をのぞけば、僕は、自分の意志で喜んで参加しているような表情を崩さなかった。すべては試用期間を生き抜くため、《僕は皆さんと同じ種族です》とアッピールするためである。骨の髄まで染みついた社畜スピリットである。だが試用期間は終わり。本・採・用。これで「我が社に見合う人材ではない」とバッサリ切られることはない。ありがとう労基法。おめでとう僕。もう、歌声喫茶でアホのように大口を開けて知らない唱歌を歌ったり、猿のように壁を登ったり、お気に入りのスヌーピーのエプロンをパクチーまみれにしなくていいのだ。「定時きっちり仕事を終えたあとは、明日以降の仕事とキャリアアップに備えて、心身を鍛え、就寝前は自己啓発本を読まなければならない」という宗教を否定できる。試用期間は終わったから、だけではない。実績と成果を評価されて、来月からイチ営業部門の責任者になるからだ。20年の営業経験を活かし費用対効果を示して自分という商品を高く売り込み、営業リーダー(課長待遇)として採用されたはずの僕。要職者の急な退職という事情もあるが、仕事面ではブラックな環境を生き抜いたバイタリティとモーレツな働きぶりが功を奏して、来月からリーダーよりもうひとつ上の部長として働くことになる。つまり僕は彼らの上司。もう、彼らに媚びて猿のように壁にしがみついたり、奇声をあげて踊る必要はないのだ。今日から僕は、少しずつ本来の自分を出していこうと思っている。当面の目標は、俺たち仕事してる感に浸っているだけのマスターベーションにすぎない、クソの役にも立ってないランチミーティング、いわゆるウンチミーティングを廃止することである。43才の失業期間と試用期間は想像以上にしんどいものだった。この経験を活かしてこれからの職業生活を充実したものにしていきたい。一方、喜ぶべき僕の試用期間終了の報に際して妻はほぼ無反応であった。反応という反応といえば「試用期間が終わったくらいで喜んでいたら先が思いやられます」というメモが冷蔵庫にマグネットで貼られていただけであった。なんて御無体な。就職したらニンテンドースイッチを買ってもいいという約束も反故にされた。国際法を知らないのだろうか。就職すれば、すべてが好転する。そう考えていた時期が僕にもありました。甘かった。そして本当の幸せを教えてくれる壊れかけのレディオを僕は持っていない。(所要時間19分)

LINEでは伝えられないことってあるよね。

実家の庭にあるセンリョウの実が赤く色づきはじめる頃を眺めるのが好きだ。このあいだ、縁起のいい、小さな赤い実を見るために実家に立ち寄ったとき母から手紙をもらった。シンプルな白い便箋にかかれた、紙の手紙だ。 母はときどき、あとから思えばそれが人生の節目であることに気づくのだけど、そういうときに、不意打ちのように手紙をくれる。宛名も差出人もない茶封筒に入った手紙。今までに母からもらった何通かの手紙のなかでもっとも僕の心に残っているのは、父が亡くなってから数か月後にもらったものだ。あのときも同じように何も書かれていない茶封筒に入っていた。《お父さんのことは早く忘れてしまいなさい》その簡潔すぎる文章に僕がどれだけ救われただろうか。お父さんの分も頑張れ。お父さんの分もしっかり生きろ。そう、僕のことを案じ、応援してくれる親戚や知り合いからの言葉に感謝しながらも、同時に僕は嫌悪感一歩手前の重苦しささえ覚えていた。なぜ僕が誰かのために生きなきゃいけないのか。人は誰かになれる、というのは物語やゲームといったファンタジーだというのに。母の短すぎる手紙はそんな僕の気持ちを随分と軽くしてくれたのだった。それでも、お父さんの分も、という呪縛から僕は解放されることはなかったのだけれども。実際、僕はあと数年で父の年齢を超えてしまうのだが《お父さんの分も》という呪詛は僕の中で《オヤジの年齢を超えるまで》にというポジティブな目標へ姿を変えて僕のなかでありつづけている。あれから四半世紀。ずいぶんと久しぶりの母の手紙にすこし緊張する。なにか大きなことが起こったのではないか。そんなことを考えたりした。どうでもいい用事ならLINEで…と思ったけれども、僕は家族の誰ともLINEで繋がっていない。「家族だからこそLINEみたいなスタンプ感覚ではなくしっかりと向き合ったコミュニケーションをしよう」家族一同で会した昨年の正月にそのような取り決めをして家族間でのLINEを禁じたのだ。それなのに妻、母、弟、義妹、叔母、彼ら5名が長男である僕を排除して家族グループを作成し日々スタンプ感覚な楽しいやりとりをしていることを僕は知っている。メトロポリスの女帝に排除された民進党議員の気持ちを世界で一番理解していたのは、たぶん、僕だと思う。日々カラミたくない僕への手紙。重い内容を覚悟しなければ。母は70を越えている。遺言めいたものを僕は覚悟した。僕を呼び止めて茶封筒を渡すときの「あとで読んで」と言った母の目に真剣の色が浮かんでいて僕は何も言えなくなったしまったのだった。何かが起こったのだ。母の身に、大きなこと、良くないことが。LINEするのも嫌な、排除対象者たる僕に頼り、すがらなければならないようなクライシスが起きたのだ。僕はひとりになってから茶封筒を開けた。いつものようにぴっちりと折られた白い紙。いつもの便箋よりも厚い紙。想定外の文字が視界に入ってきた。やはり重大なことが起こっていた。《屋外詰まり除去(ジェッタ―)》《税込御請求金額¥32,076》《株式会社クラシアン》という文字列から推察するにその紙は請求書だった。

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ポストイット、いわゆる、付箋がついていて、そこには「支払い頼むわね」と簡潔な日本語が記されていた。なぜ、排除された僕が。電話で疑問を母にぶつけた。母は疑問に答える気はさらさらないようでございまして「この前、トイレを流したら、トイレの外側にある、マスっていう部品が破損して、逆流してウンニョウが飛び出してきてしまったのよ。あんたにも見せようと思ってウンニョウ逆流の写メ残してあるわよ。見る?あ、そういうの興味なくなった?あんなにウンチウンチで騒いでいたのに大人になったねえ。母さん嬉しいわ。で、脊髄反射で業者を呼んだらその請求。ウンニョウでそんな金額、家族のなかで経済力が最強のあなたにしか頼めないでしょ。介護だと思って諦めて」というワンダーな持論を終始展開した。母は僕がこの夏まで無職だったことを忘れてしまったように恍けている。痴呆かもしれない。確信的な、痴呆。電話で、ブリュッ、ブバッ、ブリョ、ビジャッ、ブズブバ〜とソウルフルに逆流の顛末を再現する母は醜悪だった。僕は親孝行と思って諦めることにした。母は暮らす古い家。そういえば昨年もガス給湯器が壊れたのだった。14万円也。LINE家族グループ内で相談しろよ。なんだかバカにされている気がしないでもないけれど、こういう理不尽な要求をクリアしていくのを人生の小さな目標にするのも悪くない気がしてきている。なんだかんだいって母は僕を頼りにしている。そう自分を信じさせるための言い訳にすぎない。だが父が死んだあとずっと父の年齢を越えることをひとつの目標にして生きてきたように、他人から見ればどうでもいい、あるいわ些細なことを言い訳や理由にして生きていけるのは、人間だけが持ちうる素晴らしい美点だと今の僕は思うのだ。たとえ、それがウンコ逆流から生まれたであったとしても。(所要時間21分)

私はあなたのトロフィーワイフじゃない。

妻と冷戦状態に入ってから数週間が経った。最低限のコミュニケーションは筆談夫婦と揶揄されそうなメモのやり取りと「ウゥッ」「アァ」というヤンキーめいた意味のある奇声で取ってきたが、さすがに疲れてきた。妻とはいったい何回目の戦争だろうか?はっきりとはわからないが、たぶん中東戦争と同じくらいの数、4回か5回目、そんなところだろう。多くの夫婦間で勃発するおびただしい数の冷戦がそうであるように原因をひとつに特定するのはひどく難しい。イビキ。暴飲暴食。無許可ガンプラ大量購入。クレジットカードの明細チェック。深夜の恋ダンス。それらが人間の臓器のように複雑に入り組み集合し原因をなしているからだ。ただ、今回がこれまでの夫婦冷戦と少し様子が違うのは、きっかけが明確であることだ。僕の不徳の致すところなのだが、妻がとある結婚相談サービスとコンタクトを取っているのが発覚したのだ。数週間前の週末。夕方の食卓。妻が「結婚相談所から紹介されたのですが」と切り出したのである。青天の霹靂である。僕の理解が正しければ、結婚相談所、結婚相談サービスあるいは雑誌「ゼクシィ」は結婚願望のある独身者のために存在するものである。合体グランドクラスがないとはいえ戸籍上法律上の夫、つまり僕という者がいる妻の口から「結婚相談所から紹介された」というフレーズは理論上突いて出ないはず。それが飛び出してきたこと。それだけで衝撃的であった。まさに青天の霹靂、略してセイヘキであった。誤解していただきたくないのは、「僕という存在がありながら…」という怒りや悲しみや嫉妬が冷戦の原因ではないこと押し込めたのではない、ということ。僕は冷静で心の広い人間なので、実のところ、「結婚相談所?ハー面白いじゃん。オッケー。人生楽しもうよ」というポジティブな受け取りかたをしていたのだ。しかし妻の話を聞いていくうちに、心の奥底から暗くジメジメした感情が湧いてきたのを数週間たった今でもはっきりと覚えている。まず僕の早とちりがあった。妻のいうショーカイは「紹介」ではなく「照会」であった。誰々を妻に紹介するのではなく、妻の現状を結婚相談所サイドが照会、確認してきたのである。妻の話によれば、妻の友人が勝手に結婚相談所に妻を申し込んだというのである。おかしい。これまたセイヘキである。だが、僕は騙されない。表面にあらわれている部分を汲み取れば、妻のあまり賢くないと思われるご友人が勝手に妻を結婚相談所に申し込もうとし、その話を受けた当該結婚相談所が妻を照会したというシンプルな出来事だ。しかし、その裏にある大きな悪事を僕は見逃さない。僕は尋ねた。「なぜご友人は君を結婚相談所に紹介したのかい?君に何か思い当たることは?」僕の鋭い追及を受けた妻は、両手で顔を覆い、わっ、と大きな声を上げて泣いた…という僕の未来予想図とはまったく異なる反応を見せた。「友達には結婚したことを伝えていないからです」妻は悪びれることもなく冷静かつ簡潔に答えた。妻は冷静に「友達は《一部の》友達です」と訂正を入れることも忘れなかった。僕にも面倒な一部友達がいる。彼ら、一部フレンドには、現況をいちいち連絡したりしない。フェイスブックの友達申し入れも無視している。理由は察していただきたい。だが、それでも僕は自分が悲しい気持ちになるのを止められなかった。僕の悲しみは、妻が独身を偽っていたことから生まれたものではなかった。僕だってTPOに応じて独身を偽ることがあるし。悲しかったのは、僕が友人に紹介できないほど薄汚い中年だと薄々気づいていたが目を背けていた事実をあらためて突き付けられたからだ。《僕は、トロフィーワイフに、なれなかった》僕はもう中年で、これ以上上がり目はない。この悲しみは僕の生が終わるまで雪のように降り積もっていく。毎年観測史上最高の降雪量を更新しながら。人間というのは恐ろしい。悲しみよこんにちは状態の僕は、この何ともいえない悲しみを妻とシェアしたいと願った。強く。反撃した。「ああ。君はいつまでも若く美しく、家事の6割を僕が負担しているせいか、生活臭も薄く、とても既婚者は見えない」と切り出し、それから、友達が勝手にエントリーしましたって80年代のアイドルコンテスト優勝者みたいなことを言わないでくれ、それって自分は自分でエントリーしなくても美しいのを周囲が見逃さない、しかも本意じゃないのに優勝しちゃってサーセン、マジでエントリーした人サーセン、そういう驕りが見え隠れするのだよ、あー確かに僕はトロフィーワイフにするには年を取りすぎているし小汚いよ、しかし80年代の他人推薦合格アイドルのように驕りきった小汚い精神を持った君を僕はトロフィー棚に飾りたくない、むしろゴミ箱に投げ入れたい。このようなことを多少乱暴な口調で妻に投げつけた瞬間からこの冷戦がはじまった。妻が独身を偽っていたことよりも、自分がトロフィーワイフに値しないと告知されたことが何よりも悲しく、つらい。夫婦冷戦が長くなるにつれ増えていく夫婦関係のキズなど僕のハートの再起不能なキズに比べれば軽傷で、ひとことでいえば、どうでもいい。(所要時間20分)

営業という仕事は明日なくなってもおかしくない。

 先日、車を買うためにカーディーラーへ行ったとき、近いうちに営業の仕事はなくなると思った。「数年以内になくなる仕事」のような文章を発表して人々の不安を煽って喜ぶような傍迷惑な性癖は持ち合わせてはいないが、食品系営業マンとして自動車メーカーという他業種の営業マンを観察してそう思ったのだ。それも数年以内などと悠長な話ではなく今日明日の話だ。現代人の多くは高額な買い物をするときは事前に調査をするのが普通だと思われる。新車購入にあたり僕も念入りにメーカーのウェブサイトやユーザーの声をチェックした(特にユーザーや自動車マニアの声はメーカーのウェブサイトよりも細かい指摘が多くて大変役に立つ)。準備万端にしてからディーラーに行くと営業マンの話はほとんど必要ないのだ。つまり完璧すぎるのだ。ウェブが。メーカーのウェブカタログを見ればグレードごとのスペック、インテリア、エクステリア、オプション、価格すべてがわかる。カラーバリエーションもディーラーに実車がない色まですべて試して閲覧できる。動画もある。ネットに転がっているユーザーの声を拾えば不都合やデメリットもわかる。ディーラーで営業マンに頼むのは試乗の手配と、事前調査済みの不都合やデメリットに対する見解の確認といくつかの質問くらいのものだ。スーパーな能力を持つ営業マンは別として、カタログに書いてあることを言うだけのカタログ営業はもう要らないのだ。車メーカーのように商品力のある業界であれば、そんな変なもんは出さないだろーという信頼があるので(最近はそうでもないかもしれないが)、営業マン個人の力量が介入する余地もなく、近いうちに車を通販で買う時代が来るのではないか。そんなふうに思った。これは全業界にいえることだ。カタログ営業と揶揄したがどの業界においてもそのような営業マンはいて、僕の観測では営業職のだいたい7割くらいはカタログ営業マンである。カタログ営業は明日淘汰されてもおかしくない。ウェブカタログの方がカタログとして遥かに正確だからだ。また、富裕層相手にしている営業マンにときどき見受けられるのだが「私はいわゆる営業トークはしません。お客様と密接な関係を築き、必要なときにお役に立てる存在から顧客にクラスチェンジしていただきます」などとキモいことをのたまうような営業マンも実のところ営業トークや提案をしなくても売れる商品力、いわば会社の看板に依存しているだけなので営業マンとしては二流だったりすることが多い。いい環境に感謝しながら驕らず、僕の目の前に現れないように生をまっとうしてもらいたい。生き残れる営業マンは大きく分けて2パターンではないだろうか。ひとつは業界のトップ1~3%レベルの営業マンになること。スーパー営業マンというやつだ。草野球でポテンヒットをシーズン100本打ってもメシは食えないが、プロ野球なら送りバントでも食っていける。そういうことだ。ふたつめは全く関係ないものを組み合わせてパッケージで売ること。提案営業である。わかりにくいので具体的にご説明差し上げたいところだが関係各位に迷惑がかかるため肝心なところを曖昧にしてご説明差し上げるが、たとえば食品営業の僕が先日まで取り組んでいたのは高級レストランと保育園と農家と産廃業者を巻き込んだ企画提案だった(残念ながらポシャった)。顧客からの要望に対して一見無関係なもんを結びつけ巻き込んでパッケージとして高く売るような一つの商品の力に頼らない提案営業にはまだ未来がある。もっともこれには顧客とのガチガチな関係性が必要になるので時間と手間がかかるというネックはあるけれども。ちなみに僕はあと数年は営業で生きていくつもりでいるので上記2つのパターンの両方に入っていられるように毎日努力をしている。

 ここまでは前置きだ。このように明日から職を失う危機に瀕した人がいても僕に出来ることは何もないし、そもそも営業がなくなるかどうかなんて誰にもわからない。僕が言えることは、負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうなとき時それが一番大事くらいのものだ。ただ、ディーラーで試乗待ちをしている時間に営業という仕事について考えていて、ふと、1人の営業人を思い出した。20年前。当時60才手前くらいだったろうか。女性だった。下請けの運送屋の営業と経理を担当していた人で、多くの年寄りがそうであるように、男性なのか女性なのか一目ではわからないような人であった。まるで板前のような短髪も彼女を男性に見せる犯人だった。その人は気の利いた営業トークがあるわけでも、そこらにあるような運送屋なので商品に魅力があるわけでも、還暦間近のガリガリに痩せたオバハンなので峰不二子のようないわゆるフェロモンを駆使するタイプでもなかった。それなのになぜか仕事だけは取っていく不思議の人だった。当時、僕の上司たちも皆その人に仕事を任せていた。特別に仕事が優れているわけでもなく(請求遅れが多かった)、仕事を任せる理由がわからなかったので僕は自分の仕事を依頼しなかった。ある繁忙期に自分の仕事をさばききれなくなり、その人の会社に依頼することになった。プレハブの事務所。パーティションで外界と遮断された接客スペース。ビニル地の、触れた肌を離すたびにヌチャっと音が鳴りそうなソファー。彼女は、僕から依頼の内容と条件を聞き「わかりました」と呟くと、いきなり、今思い出しても意味がわからないのだが、入れ歯を外した。見事なまでの総入れ歯だった。優秀なるはポリデント。それから極めて不明瞭な発声で「らめりるりる」「らめりるりる」「らめりるりる」と繰り返した。骸骨のように痩せた顔面に開いた歯のないブラックホールから呪詛は吐き出されていた。らめりるりる。らめりるりる。ただただ不気味だった。その姿は管に繋がれたまま亡くなった曾祖母の間際を僕に思い起こさせた。「ひいばあちゃんみたいだ」僕が言うとその人はあらゆる感情を排除したかのような虚無な表情を浮かべ、ぽんっと入れ歯をはめこんだのである。優秀なるは入れ歯にポリデント。その人がいた運送屋はまもなく廃業した。らめりるりるはそのときが最初で最後だった。上司や先輩がなぜあの人に仕事を依頼していたのか、はっきりとした理由はわからない。飲み屋で聞いても全員が話をはぐらかしたり誤魔化したりした。入れ歯という単語に過剰に反応して虚無になる人もいた。彼女は入れ歯を外した姿を晒すことで、田舎に残してきた年老いた母や祖母の姿を連想させ「母ちゃんの頼みは断れないわ…」と思わせる、つまり郷愁に訴えて以後の受注に繋げようとしたのか(僕はそうだと思っている)、あるいは人に言えないようなマニアックなツボがあったのだろう。あのブラックホールには。らめりるりるの先には。ブラックホールに惹かれた人たちは犯罪を犯したり起業に失敗したりするなど皆その後大成し、当時営業部に所属していた人間のなかで今も現役で営業をやっているのは僕だけだ。もしあのとき。あのブラックホールに引き込まれていたら。今まで営業としてやって来られただろうかと考えるときがある。彼女の口癖は「たかが営業」だった。されどはなかった。僕が仕事について語るとき、いつも「これからの営業は2パターンしかない」などと、ともすると大袈裟な仕事論にしてしまいがちな僕に営業を語る資格があるのか、あの1997年のブラックホールから問われているような気がしてならないのだ。(所要時間31分)

【続々】元給食営業マンが話題の「マズい」学校給食を考察してみた。

神奈川県大磯町の中学校給食が異常な残食率と異物混入件数から「マズい学校給食」としてニュースになっているのを受けて先日このような記事を二本書かせていただいた。

 元給食営業マンが話題の「マズい」学校給食を考察してみた。 - Everything you've ever Dreamed

 【続】元給食営業マンが話題の「マズい」学校給食を考察してみた。 - Everything you've ever Dreamed

記事の主旨は業務を受託した業者に非難が集中しているが、委託する側の町の姿勢にも問題が見られること、車で一時間かかる県央エリアに拠点を持つ給食会社に弁当デリバリー方式で業務委託すること自体が安全性の面で問題があることを神奈川で営業活動をしていた元給食営業マンの立場から言っておきたかったからだ。その根底には、この大磯町のケースは極めて酷いレアケースであり、給食会社や給食業界そのものに悪いイメージを持って欲しくないという思いがある。昨日、この件の続報が届いた。

 神奈川・大磯の中学給食休止 食べ残しや異物混入相次ぎ:朝日新聞デジタル

13日付、つまり本日付で弁当の配達を止めることになった。詳細はわからないが業者サイドからの申し入れらしい。代替の業者はまだ見つかっていないようだが、見つけるのはかなり困難ではないかと思われる(僕の予想に反していい業者が見つかればいい)。今回の記事はなぜ代替の業者が見つからないのか、委託給食業界の特性というファクターから考察しながら、最後に今回の業者選定の採点結果に触れてみたい。まず給食会社、委託給食という業界が飲食業界の中でもローリスクなビジネスモデルであることを前提条件として知っていただきたい。たとえば社員食堂の場合、契約形態にもよるが、一般的に食堂運営にかかる光熱費、厨房機器、食器什器、食堂ホール設備(イス・テーブル等)、空調費、専門清掃費などは委託側負担となる(例外あり)。基本的にはテナント料もかからない(大規模店舗および官公庁の食堂などの例外あり)。つまり給食会社はスタッフとノウハウだけを提供するだけでいい。たとえば駅前にあるラーメン屋ならば上記のものはすべて店で負担しなければならないが、社員食堂の場合、ほとんどコスト負担なく給食会社は事業展開が出来るのだ。食数の見通しも立てやすい。つまりリスクが少ない。大磯町と契約していたデリバリー方式の給食会社も基本的に同じで、既存の自社工場が稼働していれば(生産を集中する分、労務費が圧縮される)食数もほぼ固定なうえ契約期間内の委託料は約束されるので一般の外食と比べればリスクははるかに少ない。リスクが少ない分、販売価格を自由に決定できないこともあって利益を確保するのが難しい面もある。限られた売上のなかで最大限の利益を確保しなければならないからだ。そうなると削られがちなのは食材と労務費。つまり犠牲になるのはクオリティと安全性。大磯町の件はそれが極端な形であらわれたものと考えればいい。当該業者はおそらく相当な利益を確保しているんじゃないかな。リスクの話に戻せば、代替の業者が見つけるのが困難であると予想がつく。売上の点からいえば学校給食の特性として年間通しても180日程度しか営業日がなく(平日のみ稼働の社員食堂で年間240〜250日、大学の学食は180日より少ない場合がある)、先述のとおりローリスクローリターンな給食ビジネスのなかでも学校給食は180日運営して初めて利益が確保できるビジネススタイルとなっており、年度の途中から受託するのはリスクでしかない。乱暴な言い方になるが儲からない仕事でしかないのだ。逆説的にいえばリターンが少ないぶんリスクを最小限にとどめたいと考えるのが給食会社でもある。リスクを避けるのが給食会社なのだ。その点からいえば大磯町の学校給食は連日マスコミで全国に報道されてしまっている。そんな注目を浴びている仕事を進んで取りに行く給食会社はいない。リスクでしかないからだ。以上の点から僕は大磯町の件で代替業者を見つけるのが難航すると予測している。僕の予測が外れていい業者が見つかればいいのだが。もっとも、今回の原因のひとつはデリバリー方式の採用にあるので、次に入札を行うときは、出来るなら、業者の変更だけにとどまらず、センター方式等給食導入方式の変更か、それが不可能で現行のデリバリー方式を継続するのであれば募集要項に「近隣市町村に生産拠点のある業者」の一文を追加してもらいたい。僕が給食営業マンだった頃、毎年、日付を変更しただけの同じ要項で入札を実施してはうまくいかない案件があって、入札説明会で「少しは学習しなさいよ。もしかしてバカなんですか?」と文句を言ったことがある。営業の仕事は仕事を取ることと仕事を断ること、そしてマトモな仕事をつくることだと僕は信じている。このとに頭に来たのはそういう適当な仕事をする人間と実際に給食を食べる人が違うからだ。カスタマーのことを考えないクライアントほど悪いものはない。そういういい加減な入札はもうヤメにしてもらいたい。基準を満たさない業者の参入リスクを排除するのが業者選定の最大の目的なのだ。それゆえリスキーな入札は許されないのだ。大磯町の学校給食の導入でリスキーな入札や審査が行われてはいないと思うがこちらのリンク先採点シートを見てもらいたい。

中学校給食(スクールランチ)調理配送委託事業者/大磯町ホームページ

落札した業者ともう1社、計2社を10項目1000点満点(100点×10項目)で採点している。結果は落札業者が10項目中7項目で勝利、合計724対676の大差で勝敗がついている。たった2社で選定が行われたこともリスキーで驚きだが、落札業者圧勝の結果に驚きを隠せない。元給食業界にいた人間として、あの、1年間で100回近く異物混入事故を起こす業者に完敗する業者がこの地上に存在するなんて信じられない。僕が疑っているのは、業者が提出した資料を検証評価できる給食のプロの不在である。そうでなければ、まさか…悪いこと…行われて…ないよね…。次にロケーションの問題。中郡大磯町にはデリバリー方式で中学校給食を請け負える業者はない。大磯町の東側に位置する平塚市、あるいは西側の小田原市にある業者から選定することになるが、このスケールの学校給食を受けられる業者を僕は知らない。つまり大磯町から離れた業者しか選択肢がないことになる。このことからいえるのはデリバリー方式を採り続けるかぎり、今回のような給食が繰り返される可能性があるということ(なぜデリバリー方式がハマらないかは過去記事参照)。大磯町の学校給食において内容面、安全面に重視するならロケーション的な要因からもデリバリー方式の継続は難しいと言わざるをえないのだ。給食運営はシビアで特にコストの問題は必ずつきまとうけれども、もしコスト上で無理が生じるとわかった時点で、仕事を任せる側と受ける側どちらでもいい、一番その給食を知っている立場の人間が声をあげて一旦立ち止まり白紙に戻すことも含めてその案件自体を見直すことが給食のプロの仕事だと思う。大磯町の件でそういう動きが見られなかったのは残念でならない(先に述べたとおり採点シートの祭典もとい採点を見る限り、業者が提出した資料を検証評価できる給食のプロがいたのか疑問だ)。余談だが、落札した業者の企業理念《永遠に未完成の給食作り》は洒落になっていないので変更されたほうがよろしいかと。ではまた。(所要時間45分)