Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

20年間引きこもっている友人から家にこもることの厳しさを教えられた。

在宅勤務の気分転換のつもりで散歩へ出掛けたら、友人Fとばったり会った。Fは近所に住む幼馴染で僕と同じ46才、小中高12年間同じ学校に通っていたが、クラスや部活で一緒になったことはない。それでも仲が良かったのは、ピアノを弾いている、という共通項があったからだ。普通科県立高校でピアノ男子というのは珍しい存在で、放課後にピアノで遊んだことは、僕の人生のなかでも美しい思い出になっている。残念ながらFは大学卒業後に入った会社で心身を壊してしまい、そのまま自宅に引きこもっている。夏を思わせる強い日差しのなかにいるFは、白く、細長く、バースデーケーキのローソクのように溶けてしまいそうに見えた。

「引きこもりも散歩するのか」「散歩は昼間。朝と夕方より知っている人間に会う確率が低いから」声に、なんでお前がいるんだよ、という非難の気配があった。僕ら40代の男が真昼間に近所で顔を合わせることは少ない。だが、それは感染症以前の話だ。Fはここ数年で引きこもりからの復帰をはかっていた。残念ながら何回かの試みはすべて失敗した。共通の話題が見つからないので「ヒッキーからフッキーできないのかよ」と言うしかなかった。「冗談キツイな」「冗談じゃない」「もうあきらめた」とFは言った。僕は愕然としてしまった。現状に抗う心も失ってしまったのか、と。

彼の抗う心が原因で、しばらく距離を置いていた。顔を合わせるのも久しぶりだ。彼の「俺は何も悪いことはしていない、ちょっとうまくいかなかっただけだ」という悲痛な主張は、被害者意識を経て、世の中が悪い、自分以外の全部が悪い、という攻撃性へと変わってしまったため、僕は彼と距離を置いた。一瞬の再就職の際、提示された待遇への不満から大爆発。矛先を僕に向けてきたのだ。「なんでこんな給料なんだ」「家にいたからバカにされている」20年間会社員生活を送ってきた僕と、どうしようもない比較をして、当たってきたので、頭を冷やさせるには、30年くらい会わないほうがいいと判断したのだ。端的にいえば、めんどくさかったのだ。

「今、会社や仕事は大変な状況なんじゃないか?」とFはたずねてきた。正直に「タ~イヘン」と答えたら、また爆撃の的にされるのでは、と警戒していると、Fは続けて「今回、俺はわかった。世の中で自分だけが苦しいわけじゃないって」と言った。よくぞここまで自分の力で…と感心した。「そんな当たり前のことを何年かかって」とは言えなかった。多くの人にとって当たり前のことが、当たり前じゃない人もいるのだ。まわり道をすることを笑う権利は誰にもない。

Fは憑き物が落ちたような顔をしていた。放課後、音楽室のピアノで、「くるみ割り人形」「枯葉」「11PMのテーマ」で遊んだあの頃のように、馬鹿話と本音をぶつけて笑いあったFの顔だった。僕は、Fの遠回りの人生と、僕らのあいだを等しく流れていった時間の流れを想った。それから僕とFの人生を分けているものは、紙一重の違いでしかないとあらためてわかった。差ではない。違いだ。僕に何かがあったわけではなく、ただラッキーだった。そして紙一重の紙は、高級トイレットペーパーのように薄い。明日が見えるような薄さだ。僕は何も言えなくなって視線を足下に落として、オニツカタイガーのつま先を気にする素振りをした。するとFが空白を埋めるように強く言った。

「みんな贅沢なんだよ!世の中全員がコロナで仕事を失ってしまえばいい。そうすれば少しは家にこもっている俺の気持ちがわかるだろうよ。ざまあみろ」

全然変わっていませんでした。全部世の中が悪い。俺は一ミリも悪くない。俺以外は全員ズルをしている。「俺はずっと部屋にいる。何年も自粛だよ。テレビもつまんねーし最悪だよ」フザけんなよヒッキ―&フッキー。僕は顔をあげた。こいつはもうダメだ。永久に縁を切るような、再起不能にする強い言葉をぶつけてやる。「あのさあ」僕が言おうとするのをFは遮る。「こんなクソみたいな人生の俺でも何とか生きていられるからさ。一か月や二か月くらい家にいるのは何でもねえぞ」。彼なりのエールと気付くまで何秒もかかってしまった。

自分でも気づかないでいたけれども、僕は、新型コロナで少し過敏になっていた。そういう人は多いのではないか。先が見えず、人との距離を気にして。不安から。だが、感染症新型コロナが、人の気持ちを変調させるのではない。病気は変調のきっかけにすぎない。他人に厳しくなりすぎたり、赦せなくなったりするのは、僕ら自身なのだ。おそらく当たり前にあった余裕やゆとりといったものを、「意識して」持つようにしないと、根無し草のように嵐で流されてしまうだろう。今僕らが直面しているのは、そういう、ごく個人的な戦いなのだ。

ポートレイト・イン・ジャズ+1

Fは、高校時代、「枯葉」に苦戦する僕を「下手くそ。あ~そうじゃないな~。ビル・エヴァンスの背中は遠いな~」と嫌味で励ましてくれたときと同じ顔をしていた。そのまま僕らは別れて、それぞれの散歩へ戻った。ドラマのような熱い抱擁やかたい握手もなかった。アラフィフ引きこもり野郎に励まされるように肩を叩かれただけで、何も言えなくなるなんて、僕もまだまだだ。あいつも、僕も、戦っている。年老いてやることがなくなったら、また、一緒に鍵盤を叩けるかもしれない。そんな淡い未来が、生きることの原動力になりうるのだと僕ははじめて知った。(所要時間26分)

現金10万円一律給付の正しい使い方と、受け取り拒否の悪影響について。

現金10万円現金給付が決まった。全国民へ一律に給付される。金額や時期について色々な意見はあるが、給付自体は良い施策だと思う。ベストではないがベターだ。興味深いのは、一律給付つってんのに、受け取りを拒否する人がSNSやメディアで見られたこと。「自分は生活に困っていないから、本当に困っている人に使ってもらいたい」という理由である。純粋に、素晴らしい、立派だ、と思った。辞退した10万円を、国が本当に困っている人のために使ってくれると考えることができる、そのオメデタサが素晴らしい。ご立派である。

普通に考えれば、受け取り拒否に対して、政治家は「このお金は必ずしかるべきところに給付します」と表向きにいいながら、「想定されたよりも実際に給付にかかった費用が少なくて助かったー」と捉えるだけだろう。もしかしたら「一律支給といっているのに、辞退する人が相当数出ているなら、次からは支給制限をしていくべきだろう」とせっかくの一律支給が今後ひっくり返るかもしれない。そうなったとき損をするのは、10万円を必要としている多くの人たちである。ご自分が必要ないからといって軽々しく受け取り拒否を口にするのは、はっきりいってこの国の政治を信用しすぎている、あるいは、想像力が欠けていると言わざるをえない。ひとことでいえば、浅はか、である。

なぜ、著名人をはじめとして受け取り拒否をメディア等でわざわざ表明するのだろう?手続き的には申請書を返さないだけである。意地悪な見方をすると、10万円を捨てるだけで世の中に対して「いいことしている人」アピールができて、同類の浅はかな人からの「いいね!」をいただける、そんな承認欲求を満たしているのだろう。たった10万円の広告費で満たされるのサイコーという感覚。あるいは、優越感に浸りたいイヤな奴もいるだろう。そもそも、拒否したいなら周りを巻き込まずに手続きをしなければいいだけのこと。そのカネを政治家が本当に困っている人に使ってもらえると信じているならそれだけでいい。周りにアピールする必要はどこにもない。

本当に人のために使ってもらいたいなら、10万円を受け取り、街中のサービスや商品を購入して消費するか、寄付をしたほうがいい。確実に困っている人の手に渡る。生活に困っていないから10万円は要らないというのなら、上乗せして消費・寄付すればいいだけのこと。それが今回一律給付されるお金の正しい使い方だと僕は思う。感情的になってこのようなことを言っているのではない。僕は今回の現金給付については冷静だ。他人ごとである。なぜなら僕の10万円は奥様に全額徴収されることが既に決定しているからだ。きっつー。だから皆さまにおかれましては、僕のような人間のぶんも、この10万円を有効につかってハッピーになってもらいたいのだ。

新型コロナとの戦いは長くなりそうだ。次の現金給付があるなら、一律でスピーディーであってほしい。もし次があるならウチの奥様も多少は譲歩して1万円くらいは分けてくれるかもしれない。そのためには受け取り拒否をする人を出来るだけ少なくすることが必要になってくるのだ。(所要時間17分)

「今の状況で社員を働かせるのは企業としてどうかと思います」と言われた。

中堅部下氏が営業部長(僕)の指示命令を拒否したことが社内で大きな出来事になっている。拒否された命令は、緊急事態宣言下にある東京神奈川エリアの配送業務(ヘルプ)である。業務については配送先(福祉施設や事業所)の指定場所に荷物(食品)を置いてくるのみで、ほぼ人との接触はないようにしているので感染の可能性は低いと思われる。それを部下氏は「感染症にかかるリスクがある、そんな命令には従えない、そもそも国からは休業を要請されているのに社員をそのような業務につかせるのは一企業としてどうかと思います」という理由で拒否したのだ。実のところ僕はかなりムカついたのだが、一方で、そういう意見もよくわかるのだ。誰だって仕事ごときで命を危機に晒したくない死にたくない。灼熱の海の家で30連勤したくない。この話を他部署の部長に相談した。すると「就業規則にのっとって処罰するべき」と強く言われた。きっつー。僕は処罰を求めるためではなく、今後しばらくのあいだは、このような事態が想定されるので業務に穴を空けないために対策をしておいたほうが良いのではないか、という意図で相談をしたつもりだった。うかつだった。部下を処罰することに軽い快感を覚えて仕事だと考えている人間がどの組織にもいることを忘れていた。僕にそういう気持ちは皆無だったので、処罰すべきという声はスルーした。だが、勝手にその部長が社内で運動を起こし、一部上層部と一緒に、ペナルティを与えよ、と重圧をかけてきた。その根拠は会社側には業務命令権があり、就業規則にもあるように正当な理由なく業務命令に従わない場合は処分をすることができる、というものであった。はっきりと組織のメンツを維持するためといえばいい。僕は「正当な理由がないとはいえないのではないか」と反論した。感染症にかかるリスクを取りたくないは正当な理由になりうると反論したのだ。「処分することができる、は処罰しなければならない、ではないですよ」と念も押した。なぜムカついた部下氏の味方をしているのか、自分でも意味がわからなかった。とりあえず、この件についてはあらためて話し合いがもたれることになった。なぜ、当事者の僕が問題にしないといっているのに、大きくしようとするのか。おそらく彼らはヒマなのだ。この状況でやることがなくてヒマだからわざわざ問題をつくっているのだろう。さて、緊急事態宣言の出されている地域での仕事を業務命令で部下にさせることは、問題があるのかないのか。そして感染症にかかるリスク(とても低い)は業務命令を断る正当な理由になりうるのか、教えてもらいたい。僕は当該業務命令自体は間違っていないと考えているが、「感染症にかかるリスク」が業務命令を断る正当な理由になるのか、よくわからない。そして僕の預かり知らないところで、在宅勤務中の中堅部下氏にも担当部署からヒアリングがあったらしく、「問題にするなら先ず部長から私に通告してください。軽蔑します」と非難される始末。「僕はチミを擁護しているんだけど」と言える空気はそこになかった。きっつー。(所要時間17分)

部下の現場への思いに、胸が熱くなった。

「我々がマトモに働けない状況でも、なんとか会社が回っているのは、現場スタッフのおかげですよね。こんな状況になって初めて、そのありがたみが身に染みてわかりましたよ」在宅勤務をしている中堅部下氏が、仕事の打ち合わせのあとで、そんなことを言った。そして彼は、「僕らも現場の1人という意識を持たないといけませんね」と続けた。その言葉に僕の胸は熱くなった。

その電話のあとも、緊急事態宣言下にある弊社を取り巻く厳しい状況は変わらなかった。売上減。人員配置を最小限へ変更。特に、我々、営業部は新規開発営業が完全にストップした。それでも、今、出来ることをする。普段仕事に追われているなかではなかなか出来ないことをやる。そういう覚悟をもって仕事にあたっていた。あの言葉がもたらした熱が、まだ残っていたのだ。僕には。そしておそらく全営業部員にも。営業マンも現場の1人だと。

僕のもとへ緊急連絡が入った。《配送スタッフの1人が体調不良。微熱》。2週間は休ませなければならない。悪いことは重なり、別の配送スタッフがギックリ腰再発。連絡は営業部から1名ヘルプで出してほしいという要請であった。要請を受けながら僕は「現場スタッフのありがたみが身に染みてわかりました」「僕らも現場の1人」という言葉で僕の乾いたハートを熱くしてくれた、あの男の顔を思い出していた。彼しかいない。

要請を快諾した僕はチームと情報共有したあとで、彼へ個別にメッセージを入れた。「待ってましたよ。やっと出番ですね」という期待した熱い返事が光の速さで……返ってこなかった。おかしい。僕は電話を入れた。結果からいうと彼は拒否した。「拒否していいですか?」一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。今、何と。いやいやいや業務命令だから。

彼は「今、緊急事態宣言が出ていますよね。こんなときに神奈川と東京都内を走り回るような危険をおかすことはできません。そもそもそんな命令を出す権利は誰にもありません」と言った。配送先の事業所の指定場所に荷物をおろすだけで、現地スタッフとの接触は最低限におさえてある旨を伝えた。現場のおかげで活かされている発言はどこへいったのか。彼は「受験を控えている息子がいるんですよ。息子の進路を心配している妻がうるさいんですよ。だから病気になるわけにはいかないのです。」と言い切った。そうですか。


「そこまでいうなら…あらためて確認になるけれど命令を拒否ってことでいいね?」「構いません。私は業務命令とは認めてませんから。現場は現場で頑張ってください。部長、ひとつ提案があるのですが…」「何?」「部長が手を上げたらいかがですか」「え…」命令を拒否された挙句、営業部長から配送ドライバーへのジョブチェンジを提案された。俺が上司で上司が俺で。動揺した。このあと「部長自らハンドルを握れば士気が上がります!」みたいな言葉が続くのだろうな…だが、現実は人情紙風船、そんなドラマのような展開はありませんでした。「部長には、お子さんがいらっしゃらないじゃないですか」と彼は言ったのである。クソが。

「確かに大切な部下を危険な目に遭わせるわけにはいかないな」と僕は言った。話は終わった。胸が熱かった。先ほどまでのほんわかとした熱さとは違うマグマの熱さだった。このような経緯で明日から数日間、営業部長である僕が、代理配送ドライバーとして軽トラのハンドルを握ることになったのである。安全確認、ヨシ!(所要時間19分)

新型コロナとの戦いは人間の弱さとの戦いかもしれない。

午後3時、在宅で働いていると社長から連絡があった。話を要約すると、「弊社従業員の家族の近くで新型コロナ感染者が出て、現場が混乱している。クライアントの信頼を失って、担当事業部長が対応に苦労しているから手を貸してくれ」

午後4時現着。現場は弊社が食事提供を行っている施設。対応している弊社事業部長に話を訊く。今朝出勤してきたパートスタッフ(女性)の「飲食店で働く父親の同僚が検査の結果、新型コロナに感染した。父親に濃厚接触の疑いがある」という話を現場責任者から報告を受け、当該パート(症状なし)を家に帰らせるよう指示をしたあと、速やかにクライアントに連絡を入れたとのこと。
対応は間違っていない。当該パートは厨房従事者用の駐車場で帰宅させたので施設内には入っていない。厨房内の拭きあげ消毒作業も終えている。なぜこれがクライアントの信頼を失う結果になるのか、わからなかった。後に確認ミスが発覚する。今振り返れば、客先と話す前に、新型コロナの危険性が周知されているのに、パートスタッフが出勤して、責任者に口頭で連絡をした事実に、もっと注意を払えばよかった。

午後4時半。クライアントの担当者に時間を割いてもらい状況を確認する。事業部長は僕に教えてくれた内容を担当者にそのまま伝えていた。にもかかわらず担当者は「御社は信用できない」と憤慨していた。クライアント担当者は報告を受けた際、パートスタッフを濃厚接触者と解釈して、消毒作業と人員の入れ替えを要請した。弊社事業部長は快諾。ところが、しばらくしてから、事業部長から「急なことなので人員の総入れ替えは難しい」という申出があった。担当者は「緊急なので、サービスが提供されれば、内容が多少変わっていても構わない」と譲歩したが「人員の入れ替えは出来ない」と再度いわれ、最終的に「パートスタッフは父親と同居していないので対応する必要はない」と説明が二転三転したのでたまらず社長に連絡を入れた、というのが顛末であった。僕が事業部長から聞いた話と食い違っている。おいおいである。

午後5時半。一度退出してもういちど事実を確認する。情報を整理すると「当該パートスタッフは父親と同居していない、正月から顔をあわせていない」「新型コロナに感染したのは父親の同僚」「父親には濃厚接触の疑いがある(確定はしていない)」「パートスタッフは濃厚接触していない」になる。ノー接触だからパートスタッフは出勤してきたのだ。最初に僕が覚えた違和感のもとはそれであった。

では、なぜ、事実をそのまま報告しなかったのか。問題はそこだ。弊社事業部長に尋ねた。「最初の報告の段階で、パートと父親は同居しているという先入観をもって話をしてしまった」と彼は答えた。それから彼は「同居の事実がないことを知ったときには、相手がナーバスになって聞く耳を持たなかった」と続けた。相手がナーバス、は主観と自己弁護だろう。クライアントの目線でみれば、人員を出せないから事実を捻じ曲げたように見えても仕方がない。こうして長年かけて築き上げた信頼はいとも簡単に失われていくのだ。

「濃厚接触者と同居しているか否か」 たったこれだけの確認がなぜ出来なかったのか。いろいろ原因は考えられるけれど、いちばん大きなものは、新型コロナという脅威を前にして冷静さを失ってしまったからではないだろうか。見えない敵を相手に、緊張が続いていて、過敏になりすぎている。もっとも「濃厚接触者は存在しない」と後出しジャンケンをしてクライアントからの信頼を失ったことは非難されてしかるべきだが。

弊社事業部長だけではない。クライアントの担当者も事実関係を再確認するタイミングはあったはずだ(言えないけど)。彼も冷静さを欠いて、利用者とその家族に連絡を入れて対応を約束した以上、「従業員名簿に濃厚接触者はいませんでした、いませんでした」と言えなくなってしまったのではないか。みんなコロナ疲れしている。でも、こんな状況だからこそ、冷静であることを意識しなければならない。僕は15才も年上の事業部長に「確実に情報を確認してから対応してください。先入観はやめてください」と注意した。

午後7時。クライアントに人員の入れ替えと書面での事情説明を約束してから帰宅。仮眠。午後11時半。自宅で報告書を作成しながら、「自分なら事実を確認してから相手に報告して大事にはせずに鎮火できただろうな…」と想像しているうちに、ふと気づいた。そもそも今回の件は、相手に報告する必要がない。そうだろう?濃厚接触した人は存在しないのだ。新型コロナを前にしても冷静であるよう努めましょう、と偉そうに言っている僕も冷静さを欠いていた。きっつー。 

この状況は長期化しそうなので、無理せずに対応できるようにしていきたい。近いうちに社内で必ず新型コロナ感染者や濃厚接触者はあらわれる。そういう前提のもと、会社としても対応マニュアルを役所からダウンロードしたものではなく、もっと実践的なものにしていかなければならない。いろいろ考えると疲れる。緊張もする。「どうぶつの森」でこの緊張感を和らげようと思ったけれども、今日の僕には遊ぶ気力が残っていなかった。こうやって少しずつ消耗していくのだろうな…(所要時間26分)