Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

忌々しい過去に苦しめられています。発端は37年前の友人への残酷な仕打ちです。

消してしまいたい記憶ほど消えない。そして記憶ほど土地に紐づけられているものもない。だから、僕のように生まれてから何十年もほぼ同じ土地で暮らしている人間は、団地裏の電柱を見かけるたびに子供の頃の立ち小便の記憶が蘇えるように、土地や自然、建築物によって葬り去ったはずの過去の記憶が亡霊のように呼び起こされるので、消えていかないのだ。

カシワギくん(仮)との記憶は僕の人生のなかで、今も、消し去りたい記憶ナンバーワンであり続けている。苦い記憶だ。カシワギくん(仮)は小学校のときの同級生だ。彼は性格が穏やかで誰とでもうまく付き合っていた。いい奴だった。ファミコン。草野球。ドロケー。小学5年の放課後は毎日のように遊んだ。カシワギくん(仮)とは何から何までうまくいっていたわけではない。彼は女の子から人気があってムカついた。草野球のあと立ちションをしたときに横目で見た彼の大きさにムカついた。彼は友人であると同時に僕の仮想敵であり目標であったのだ。

カシワギくん(仮)は小学5年が終わる直前の中途半端な時期に引っ越した。親の仕事の都合と聞かされた。引っ越し先は県内だった。スマホもインターネットもない昭和50年代の小学生にとって、隣りの市は外国のようなものだった。引っ越してから間もなくして、どういういきさつでそうなったのか思い出せないけれど(おそらく共通の友人が手配をした)、彼の新居へ遊びに行くことになった。ボンクラ友人二人と最寄駅で降りてバスに乗って数十分。世界の果てにあったカシワギくん(仮)の自宅は屋根も壁も錆びた波板トタンで出来ていて、立ちションをかけたら倒れてしまいそうに見えた。中に入ったとき、僕は取り返しのつかないことを言ってしまった。「この家、クサい。トイレのニオイがする」。同行の友達も同じような感想を言った。今思い出しても残酷な仕打ちだったと思う。それでもカシワギくん(仮)は、「だろー!ウチのトイレさー穴があいているだけなんだよ」と笑って、汲み取り式トイレを見せてくれた。カシワギくん(仮)が前に住んでいた駅前の家は小さかったけれど洋風でトイレも洋式だった。そのとき僕は、親の仕事の都合というのは、決して良い出来事ではないと知った。なんとなく後ろめたい気分になりカシワギくん(仮)とはそれきり遊ぶことはなかった。別れ際の「また来るよー」「じゃーねー」の声は、残酷なトイレ感想とともに汲み取り式便器の穴に吸い込まれて永遠に消えた。

その後、30年以上、カシワギくん(仮)と僕の人生は交差しなかった。何年かに一度くらいの頻度で彼のことを思い出すこともあった。でも、コンマ数秒後には、世界の果てのような場所に立っている波板トタンと汲み取り式便器が連想され、かつての自分の残酷な仕打ちが蘇ってきて苦しくなった。何十年も前の大昔に僕が別れてきた子供たち。子供が背負うべきではないものを背負った彼らが今何をしているのか。ちゃんと生きているのか。ときどき考える。どうか生きていてほしい。沈まなければいい。そう祈るのは僕の貧困な想像力が彼らの明るい姿を想像できない申し訳なさからだ。無邪気が言い訳にできないほどの、かつての己の残酷さへの懺悔からだ。だが、ここで告白しよう。カシワギくん(仮)との子供時代のセピア色になりかけの記憶は、汲み取り式トイレの臭さをともなった苦いものではあるけれども、首を振って消してしまいたい記憶ではない。消し去りたい記憶ナンバーワン、それは少し未来にあった。

数か月前、カシワギと再会したのだ。再会とはいえない。たまたま見かけただけにすぎないからだ。カシワギは子供の頃の顔のまま、僕が想像した通りした中年のオッサンになっていた。普通の人のよさそうなオッサンで地元で暮らし、ジャージ姿で黒いミニバンに乗っていた。想像通りの外見。想像とは何百光年も外れた姿もあった。カシワギはセクシーな女性、20代と思われる若く、露出度の高い服をお召しになった胸の大きな女性と腕を組んでいた。ちがう。このオッサンはカシワギではない。僕の想像力なんてあてにならない。他人の空似ってあるんだよね。否定したい気持ちは消えた。若い女性が甘い声でカシワギの下の名を呼んだのだ。その声に応じて女性の尻に移動する柏木孝(48歳)の手…。カラダをベタベタと密着させてお互いの股間や尻を撫でながらコンビニへ入っていく柏木とギャルの姿が、恨めしさと羨ましさとでごちゃごちゃになて、それ以来、数か月間、僕の頭から離れない。汲み取り式便器にこびりついていたクソのように消え去らないままなのだ。(所要時間27分)