Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

N君のこと

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今から40年前、小学生の頃、プロ野球中継といえば巨人戦だった。それゆえ巨人ファンが圧倒的に多かった。関西ではその地位は阪神だったのだろう。僕はヤクルトスワローズとロッテオリオンズのファンだった。ヤクルトはショートの水谷、ロッテは村田と袴田のバッテリーが好きだった。神宮と川崎に連れていかれて試合を見たのがファンになったきっかけだ。ヤクルトのファンという永久に続く苦行の道へ突き落としてくれた父には感謝している。動いている水谷や袴田の映像を見るのは極めて稀だったと記憶している。夜のスポーツ番組のプロ野球コーナーの時間にはすでに寝ていたし、そもそもヤクルトやロッテが取り上げられてもごくごく短い時間だったからだ。朝刊のスポーツ欄の昨夜の試合結果を見て、水谷の貧打ぶりを確認して溜息をつき、彼の堅実な守備を頭の中で動く姿を想像して埋め合わせしたものだ。

80年代のヤクルトは暗黒期真っ只中でめちゃくちゃ弱かった(ロッテはそこそこ強かったが地味だった)。首位から20ゲーム以上離されるのが当たり前、宿敵大洋ホエールズとビリを争う弱小チームだった。人気もなかった。まわりにヤクルトとロッテのファンは一人もいなかった。その2チームを掛け持ちで応援している小学生は日本でも数えるほどだったのではないか。バカにされるのが嫌だったので表向きは「巨人サイコー!」「西本のシュートすげー!」「若大将原!」「クルーズ日本シリーズだけ大活躍!」と巨人ファンとして過ごし、家に帰って一人になってから貴重なヤクルトの勝利を喜ぶ、隠れキリシタンのような生活をしていた。現在の僕の人格の歪みはヤクルト、ロッテを人目を忍んで応援していた少年期の行動に原因があると確信している。歪むだろう?

隠れキリシタン生活の仲間が出来たのは小学5年生のときだ。クラス替えで一緒になったN君だ。巨人が大勝利した翌朝、「巨人つええ!」と大騒ぎしているグループの中で、彼が暗い顔をしているのに気が付いた。その仕草は何回も続いて、僕はN君が隠れキリシタンであることを確信した。N君はカラダが弱かった。担任の先生はN君が体育の時間を見学して過ごしていたのを「カラダが弱い」と僕らに説明していた。白くて身体の小さいN君は何か重い病にかかっているのだと僕らはうっすらと理解した。怪我をして体育の授業を見学をしたとき、N君に「本当は巨人なんか好きじゃないんだろ?」と訊ねると彼は「実は阪神が好きなんだ。巨人なんか嫌いだ」と小さい声で答えた。僕はヤクルトとロッテのファンであることを彼に明かした。「同じだね。弱いもの同士、仲間だ」と彼は笑った。ヤクルトは負け続けた。阪神も強くはなかった。N君は「阪神が勝つと体の具合が良くなるんだ」と教えてくれた。僕らは周りの巨人ファンに話を合わせてやりすごした。「巨人は西武に勝てないのに偉そうにしていて笑っちゃうよね」といって裏でバカにしていた。N君とは弱いもの連合で仲良くなった。N君が体調が悪くて休んだときにはすすんでプリントを持って行ったりした。N君はいつも白く細く小さくて消えてしまいそうだった。

1985年、阪神が突然覚醒して真弓バース掛布岡田が打ちまくり川藤が盛り上げてセ・リーグ優勝をキメた勢いそのままに日本シリーズを制した。N君は「やっぱり優勝しないとね。阪神は巨人が勝てなかった西武に勝ったよ。いちばん強いのは阪神だ」と言って阪神ファンであることをカミングアウトした。N君は「阪神とヤクルトを一緒にしないでよ。西武に勝って日本一にならないとね。なんだか体も良くなってきたよ」と僕に言った。裏切られたと思った。思わず「阪神が負けたら病気が悪くなるのかよ」と意地悪が口をついて出てしまった。N君は言い返してこなかった。そのかわりに、なんとも形容しがたい表情を浮かべた。弱いもの連合はこうして爆散したのである。秋から冬にかけてN君は体調を崩して学校を休みがちになった。僕は、彼のことが気になっていたけれども、彼の家にプリントを届ける役割を避けるようになった。

小学校を卒業するとN君とは話をする機会はなくなった。中学を出て別々の高校へ進学すると会うこともなくなった。N君の体調が優れずに高校を休みがちになっているという話は聞いた。高校生のとき何回かN君を見た。白い顔は青白くなり、身体は細いままだった。少し背が伸びたぶんより細くなっているように見えた。でも僕は、小学生のときの許せねえという気持ちは僕の中に強く残っていて声をかけられなかった。「阪神が負けたら病気が悪くなる」といってしまったバツの悪さも残っていて、それを挽回するような代打逆転サヨナラ満塁ホームランにあたる言葉を僕は見つけられなかったのだ。僕が高校に進んだ頃からプロ野球人気は陰りが見え始めていて、「プロ野球ダサっ!」みたいな空気になっていた。あんなにいた巨人ファンはどこかへ行ってしまった。それが大人になるということだったのかもしれない。僕は90年代になってもプロ野球が好きだった。相変わらずヤクルトとロッテのファンだった。ファミスタはヤクルトとロッテしか使わないという戒律を己に課していた(後にパワプロでも継続)。両チームとも低迷していた。僕が高校3年のときのシーズンオフに千葉へ移転をきっかけにロッテのファンをやめた。ヤクルトスワローズは野村監督が就任して黄金時代を迎えることになる。1992、93、95、97、2001、2015、2021、2022にリーグ優勝。1993、95、97、2001、2021に日本一。80年代の負けをとりもどすかのようにヤクルトは勝ちまくった。

大学生のとき、N君の体調が悪化したという風の噂を聞いた。当時、阪神は伝説の1985年の優勝からバース退団、掛布引退と坂を転がり落ちるように低迷して暗黒期に突入していた。80年代のヤクルトに負けず劣らずの低迷だった。N君は「阪神が勝つと体がよくなる」と本気で信じていた。ありえないけれど阪神の低迷がN君の体調に悪い影響を及ぼしているのではないかと思った。「阪神が負けたら」の軽いひとことを本気で悔やんだ。その後、N君がどうなったのか、詳しいことを僕は知らない。僕の中のN君は何年経っても、木枯らしの中、寒そうに立っている学生服姿の白くて細い若者だ。「阪神が勝つと体が良くなるんだよ」と笑った小学生だ。大人になり、病を克服して元気になったN君を想像することが僕はできない。彼に残酷なことを言ってしまった罰なのかもしれない。2023年夏。阪神タイガースは首位を快走している。たまには日本一まで勝ちまくってN君の体を良くしてくれよ。僕とN君の弱いもの連合の復活のためにも勝ってくれよ。マジでそろそろ頼むよ、阪神タイガース。1985年の日本一から38年。僕とN君は今年50歳になる。(所要時間50分)