Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

ホワイト企業で働く僕が見つけたブラック企業とのヤバすぎる共通点について

20年間の雌伏の時を経て、今は、非常に快適な環境で働いている。経営者の考え方、考えの事業への落とし込み等々から、ホワイト企業といって差し支えないだろう。ありがたいことだ。昨年の夏に、ブラックからホワイトへ転職して、気付いたことがある。それは、今の同僚たちの言動と、過去の職場の同僚たちの言動で、よく似ていたものがあること。おかしい。なぜホワイト企業にやってきたはずなのに、ブラックな言動を耳にしなければならないのだろうか…。その根底にあるものを、ブラックとホワイト二つの職場の同僚たちの言動をいくつか取り上げ、比較検証して、探ってみたい。

1.経営者感覚

ブラック/経営者「社員ひとりひとりが経営者感覚をもって仕事にあたって欲しい」

ホワイト/社員「僕たちも経営者感覚を持たないと!」

非常によく似た発言。違いは言葉の主が、洗脳する側と洗脳される側であること。ブラック経営者の例は、「我々経営者はリストラのような厳しい選択をしなければならないときもあるので、社員も我々の厳しい状況を忖度して、労働者の権利みたいなつまらないことを言わずに、あっさりリストラされてくださいね」という都合のいい言葉であり、言語道断である。一方、ホワイト社員のように自発的に経営者感覚を持ちたいと仰っているのは大変素晴らしいことだが、ブラック経営者の都合のいい言葉を受け入れてしまう素養があるともいえ、大変危険であると考えるのは僕だけだろうか。つか単純にちょっとキモい発言ではある。

2.ランチミーティング

ブラック/「ランチ・タイムの言論統制」という会社サイドの目的からランチミーティング開始

ホワイト/「ランチの時間も無駄にしたくない。仕事に活かしたい」という社員の提案で開始。

ランチミーティングに求めるものは違えど、ブラックの例が主体となる経営者サイドの参加者に咀嚼能力の衰えが見えはじめているためクチャラーミーティング化、ホワイトの例がガチ仕事トークで食事が美味しくなくなる化、という計画前には予想しなかった問題が顕在化し、誰かが「やめよ?」といって消滅した点では同じであった。とはいえ、ランチの時間も無駄にしたくない思想は会社に都合よく使われるので気をつけた方がいい。

3.社歌

ブラック/経営者考案歌詞「一期一会の精神で~」

ホワイト/経営者考案歌詞「フォーユアドリームス」「トゥモローネバーノウズ」「スピーディーソリューション」

いうなれば演歌と90年代ジェーポップ。主張はほとんど一緒。両者を融合させれば、コブシの効いたポップソングとなり、今をときめく米津玄師さんのようになれたかもしれないが、哀しいかな、そんなうまい話はない。

 

4.休みたくない

ブラック/社員「 仕事を休みたくない」

ホワイト/社員「仕事を休みたくない」

ブラック企業では「休みたい」の声が大多数であったが、「休みたくない」という奇特な少数派もいた。理由は「休んだら我にかえってしまう」という哀しいもの。きっつー。ホワイト企業における「仕事を休みたくない」は、仕事が楽しすぎて休みたくない、というピュアな気持ちの表明だけれど、傍目からみたら異様なので、公共の場やSNSでの発言は、老婆心から控えた方がいいと思う次第。

5.仕事がある幸せ

ブラック/ボス「仕事があることは幸せだ」

ホワイト/社員「仕事があることは幸せだ」

ブラックとホワイトでまったく同じ言葉を耳にした。異なるのは、言葉の主。ブラックの場合は、仕事を部下に任せる立場の人間のものであり、それに対し、ホワイトの例は実際に仕事をする部下のもの。ブラックの言葉は「つらいと感じているかもしれないが仕事はあるだけマシなんだぞ」という典型的なブラック経営者思考である。どういう人生を送ってきたのか知らないが、ブラック企業には、なぜか「仕事はつらい」という前提があるらしい。きっと前世は古代ローマの奴隷だったのだろうね。ホワイト企業の社員が「仕事があるってそれだけで幸せだなー」と仰るのは、純粋で、素晴らしいことだと思うけれども、そのピュアな心が、仕事の挫折や同僚の裏切りで折れないよう草葉の陰から僕は祈っている。

6.朝礼スピーチ

ブラック/社員「私はこの会社が大好きです!大好きな会社の欠かせない存在になりたいのですが!人前で!話すことが!まだまだ苦手です!はやく!人前で!赤くならずに話せるようになれるよう!努力します!」のように会社愛や自分に足りないものを「絶叫」。

ホワイト/社員「私はこの会社が大好きです。大好きな会社の欠かせない存在になりたいのですが、人前で話すことがまだまだ苦手です。はやく人前で赤くならずに話せるようになれるよう努力します」のように会社愛や自分に足りないものを「比較的大きな声で語る」。

絶叫と大声、それ以外の違いはほとんどないが、ホワイト企業の場合は、「会社にはこうなってもらいたい」「人に愛される会社にしたい」と、会社に足りないものを求めたり、こういう会社にしたいという理想を主張することもあるのが違う。ただやってることは傍目からみたら同じ。あと、声量でやり直しを喰らうかどうかも大きな違いかもしれない。

7.多忙

ブラック/社員「ヒ―!忙しい」

ホワイト/社員「ヒー!忙しい」

文字でみるとまったく同じだが、ブラック企業につとめる社員の「忙しい」は残業しないと終わらない、さもなくば死ぬ、という切羽詰まった状況のスクリームであるが、それに対して、ホワイト企業社員のそれは「ノー残業、定時で仕事を終わらせるためには仕事ペースを上げなくてはならない!」という己に対する喝にすぎない。忙しい、忙しい、と言いつつ、僕チンは定時で帰れるよーん、と喜んでいるにすぎないのだ。ひとことでいえば、余裕の表明。

8.繁忙期の対応

ブラック/経営者「周りの皆も頑張っているから…」

ホワイト/同僚「周りの皆も頑張っているから…」

仕事で折れてしまいそうな者に対する励ましフレーズである。ブラックとホワイトで大差はない。ただ、これに続く言葉が違う。ブラック経営者は「頑張ろうよ!」といって、ここでヤメたら周囲に比べて貴様は劣っていると自認することになるぞ、という圧をかけて翻意を促してくるが、ホワイト同僚は「休みなよ!」といって、ワンフォアオール、オールフォアワンなスタンスを示してくる。ただし、仕事が好きなあまり「周りが頑張っているから」というフレーズが言われる側にとって重圧になりかねないことがわかっていないのが致命的である。受け手が気持ちの弱い人の場合、「みんなに悪いから休みいらないっすわ…」という哀しい結論に導きかねないことに気づいていないので、微ブラック臭が否めない。

 以上である。このようにブラック企業とホワイト企業とで非常によく似た言動が見られるのだ。なぜか。その原因は、ブラック企業サイドにフォーカスしてみるとわかりやすい。つまりブラック企業の経営者は、自分の会社がブラックであればあるほど、そのブラック要素をカムフラージュするために、言動でホワイトであるように装うからである。その結果、ブラック企業における言葉だけの薄っぺらなホワイト発言と、ホワイト企業で働く喜びを素直に表現する従業員の発言が接近し、似てくるのだ。薄さと素直さに共通するのは「ストレートであること」。つまり、ブラック経営者の従業員をごまかすための言動と、ホワイト企業で働く従業員の仕事嬉しい!楽しい!大好き!な言動が似てくるのは、ストレートな感情からの言葉だからなのだ。

結論めいたことをいうと、ブラック企業で働くアンラッキーな人は、経営者のブラックぶりをホワイトに偽装する発言には気を付けるようにすること、そして、ホワイト企業で働くラッキーな人は、その喜びをあまり素直に表現しすぎて、経営者に利用されないようにした方がいいこと。僕にいわせれば、ブラック経営者はアホすぎるし、ホワイトで働く社員は甘すぎる。

ホワイト企業がブラック企業になるのはオセロゲームのようにマジで秒だ。その可能性を常に念頭に入れ、油断せずに充実したサラリーマンライフを送ってもらいたい。(所要時間39分)

ちょっくら東大を受けてくるってよ。

高校3年生の甥っ子1号が東大を受けるらしい。模試の成績どおりに行けば問題なく現役合格する見通しなので、滑り止めの受験は考えていないそうだ。「まあ、甥の受験なんか、僕には関係ないわー」とスルーを決め込んでいたら、入学祝いを求める話が甥っ子サイドから出てきたので他人事ではなくなってしまう。祝っていない。むしろ、呪っているくらいだ。クリスマスや正月が近づくタイミングで、「おじさんはイケメン」「おじさんは尊敬に値するレインメイカー」「おじさんの加齢臭はそれほど気にならない」などと、あからさまに僕をリスペクトするような言動を繰り出してくる甥たちを、どう愛すればいいのか。まだ僕にはわからないというのに。そもそも、僕の理解によれば、祝い金というのは祝う気持ちから贈る金銭ということになっているが、現実はそんな綺麗なものではないので、実際的には、受け取る側との親密度等の諸事情を鑑みて、こちらから「いくら出そうか?」と発信するものである。つまり、あくまで祝い金の主体は贈る側であり、受け取る側から「これだけ欲しい」と金額指定をしてくるというのは僕の理解をこえているのだ。さらに驚いてしまったのは、万が一、甥1号が、受験に失敗したときも、予備校への入学呪い金をいただきたいとのこと。人間とはどこまで厚かましくなれるのだろうか。親の顔が見てみたいものである。そういう事情があるので、アホ面の甥1号には絶対に一発で受かってもらわねばならない。金のことはあまり言いたくはないが、僕は、予備校への呪い金をアドオンで支払いたくないからだ。そういう汚いマネーの話はさておき、あの小さかった甥が大学受験をするというのは少し感無量である。甥が小学生の頃は、夏休みに一週間ほど泊まりに来て、海や山や映画館へ行ったり、一緒に遊んだりして、可愛がったものだ。僕に子供がいたらこんな感じなのだろうな、という貴重な疑似父親体験もさせてもらった。秋葉原へ行ったり、ガンプラをつくったりもした。子供ということにして僕のミニ四駆のコースデビューに付き合ってもらったりもした。あの、甥っ子が東大受験とは…時の流れの速さを思い知らされる。もっとも、秋葉原と、ガンプラと、ミニ四駆コースデビューについては、ついこのあいだの今年の夏の出来事である。そんなボンクラな高校最後の夏を送っていたアホ面の甥が東大とは…にわかには信じがたく、僕は今、親族一同による僕を標的にした金銭詐欺を疑いはじめている。(所要時間13分)

就業規則変更で社員の秘められていた能力が見つかった。

就業規則の変更が通達された(労基届出済み)。内容は、会社や取引先の車両や機器を破壊殲滅したら、その回復にかかった分を負担させることもあるよー、情状の余地はあるけどねー、というもの。これまでは営業車でチキンレースをして大破させるような、マッドで悪質な行為の結果でないかぎり、無条件で会社が全額負担していた。前に勤めていた会社では、無条件で事故を起こしたら社員全額負担の無慈悲なフリーザ様対応だった。同じ世界とは思えない。その「悪気があって壊す人はいない…」という性善説に拠る無条件を今回、改めたのである。

きっかけは僕が任されている営業開発部在籍の、僕の入社前から事故を起こしまくっているベテラン社員である。優秀なスタッフの中で、「温厚な性格」と「平均的な仕事ぶり」という得やすい資質を併せ持つ彼は、今年になってから、コンクリ壁、電柱、金網を相手に自爆事故を3回起こしており、先日もまたコンクリ自爆。その彼が事故報告書の原因と思われるものに「生活苦」と記してきたのを受け、部長会議に出ている幹部一同、「さすがにこれは…」と反省の無さぶりに「ぐむむ…」と唸ったのである。

部下が事故を起こしました。 - Everything you've ever Dreamed

部長会議で、僕は、彼に対して特に思い入れはないが、他の部下たちから冷酷な上司と誤解されたくないので、彼を弁護した。「彼は左足ブレーキ右足アクセルという特殊な運転技法を用いている。全部それを教えた教習所のせい」「毎日車で外回りをしていれば事故を起こす可能性はゼロではない。職種が悪い」「暑すぎた夏の疲れが出たのかも。異常気象が悪い」と。いいかげんな弁護に聞こえたらしく、「フザけているのか」「ちゃんと指導しろ」「屁理屈はやめろ」部長連中の非難は熾烈を極めた。おかしい。僕が入社する以前から彼は事故を起こしていたのに、なぜ、今。きっつー。おそらくこの抵抗は、外様で新参者の僕に対するもの。負けられない。部下を守ること、それは己を守ること。つまりこれは僕の戦い。そんな強い気持ちはあったが、気持ちだけではどうにもならないのが僕たちが生きるこの世界のリアル。決壊する堤防から溢れ出る激流を、紙コップで汲んでは戻すような、僕のささやかな抵抗は、大勢を覆すに至らず、就業規則の変更へと繋がった次第である。

部長会議のあと、「安全運転をお願いしますよ」「事故が続くと、自己負担にされてしまいますよ」と彼に注意をした。弁護はいいかげんだったが、これは心から彼を思ってのホンモノの注意であった。これ以上、彼に事故を起こされたら、僕の管理監督責任が問われる、それは絶対に嫌だからだ。僕は彼の度重なる事故に、ひとつの共通点を見つけていた。それはバック走行中。彼にその点を指摘すると彼は、「首を後ろに向けてバック走行させると右が左になって左が右になりますよね?」と同意を求めてきた。言わんとすることは、わからないでもないが、もしかしておバカさんなのかな。僕が「なりません。たとえそうであっても対応すればいいでしょう」と言い、彼が「すごいですね…」と応じて会話は終わった。

それが2ヵ月ほど前。そして今朝、就業規則の変更が正式に通達された。「ちょっといいですか」彼に呼ばれて話を聞き、僕はそれこそポコチンが抜け落ちるくらいに驚いてしまった。彼は「部長たちが騒ぐから、こんな決まりが出来ちゃったじゃないですか。今度、事故を起こして負担することになったら、どうしてくれるのですか!」と言いのけたのである。こいつ…後ろを見ると左右がわからなくなる己のアホさを棚に上げて…僕が自己保身のためとはいえ部長会議で矢面に立ったのを知らずに…。腸が煮え返るのを抑えて「まあ、ルールだから。事故さえ起こさなければいいんですよ」と僕は言った。「そんな机上の空論は現場では通用しませんよ」とカッコよすぎる捨て台詞を残して彼は外回りに出て行った。

そしてその数時間後。またバック走行中に車をこすったという報告。またコンクリ。メリクリの季節にコンクリ。擦ったのは左後方タイヤの前。どうやればここだけをピンポイントで擦ることが出来るのか…。

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(車体が歪んでドアの隙間が広がってしまっとるがな…)

こんなときどうすればいいのか。左右がわからなくなるのを理由に解雇できるような就業規則の整備に動けばいいのだろうか。ホワイトな会社に移ってもこんな状態で、今、僕は、自分が変人ホイホイなのではないか、僕自身に決定的な要因があるのではないか、己を責めているところである。きっつー。(所要時間ん23分)

「来年からあなたの仕事をRPA化します」と事務スタッフに告げたら猛反発された。

会社全体の業務改革の一環で、僕が預かる営業部でも、営業事務の一部をロボット(RPA)へ代行することが決まった。ボスからは早い段階での移行を命じられている。僕は営業部長だが、なるべく会社の方針をオープンにしたいと考えている。このロボット化についても、そのままストレートにスタッフたちに伝えた。「キミたちの仕事をロボットに任せることにした!」「早くて来年からかな!」

それが間違いだった。営業事務スタッフから「我々は切られるのですか!」「仕事を奪わないで!」などと猛反発を喰らったのである。これがリストラや組織改編ではないこと。雇用と賃金と地位は守ること。それらを伝えても僕に対する反発は収まらなかった。僕はロボット化を仕事を楽にすることだと考えていたのだが、彼らの立場からのロボット化は、仕事を奪われることになってしまうらしい。仕事が今よりもきっつーになると言ってキレるのは然るべきで納得できるのだが、仕事を楽にして差し上げるといって半ギレするのだから理解に苦しむ。

ロボに代行させる営業事務の仕事は、各入力作業、発注業務、顧客管理業務、書類作成業務といったルーティーンな業務である。ひとことでいってしまうと、迅速さとミスをしない正確さだけが評価につながる仕事である。それらは「当たり前を守ることが仕事」なのでプラス評価をしにくい。逆にミスをしたときは思い切り叩かれてマイナスになってしまう。営業事務スタッフからは「我々の仕事に大きなミスや遅延がありましたか。ないですよね」と言われた。当たり前のことが仕事になっている。ミスがないことは、それはそれで結構なことだけれども、まあ、機械的でもあるよね。僕に言わせれば、それはもう人間の仕事ではない。ロボに任せて楽になろうというのが今回の話の本意なのだ。つまり、そういった機械的な仕事をロボに任せて、そこに割いてきた労力と時間を(今は)人間にしか出来ない仕事に向けてもらいたいのだ。たとえば企画書の作成などは、ウチのようにコンサル的な仕事もやっていると、顧客ごとにまったく内容も違うものになる。だが、現実はどうだろう。使い回しやコピペがまだまだ見られる。もっと顧客に寄り添った、オンリーワンの企画書の作成に、労力と時間を割いてもらいたいのだ。

営業の仕事についても、一部、代行を採り入れている。当初は営業スタッフから同じような反発を少なからず受けたけれども、アポ取りと見込み客発掘を代行業者に任せて創出した時間で、顧客に対する提案やヒアリングの質は向上し、成約率はアップしているのだ。何がいいたいかというと、仕事をロボットに任せることではなく、本来の仕事に時間と労力を全振りすることが、大切だということ。その手段が営業事務の仕事についてはロボット(RPA)であるにすぎないのだ。

ロボットは仕事を覚えて、その事業に最適化されていく。これからの仕事は、事業に最適化されたロボットをどれだけ保有しているかが勝敗につながるのではないだろうか。食品業界の片隅にいるウチの会社が、大手の食品会社と渡り合っていくためには、現場や顧客の要望を企画商品化するまでのスピードが鍵になる。大手の開発力とパワーに対抗するためには大手には出来ない小回りの効く商品開発と提案が必須で、そのスピードを実現するためには、事務作業をロボットに任せて、人的パワーを集中投下するしかないのだ。つまり、営業事務のロボット化は、リストラではなく、ウチの会社が生き残っていくためには必要なことなのだよ…ということを淡々とロボットのような口調で説明したら営業事務スタッフは納得してくれたみたいで良かった。みんなをロボットに置き換えてしまえば、機嫌や気分を気にすることなく仕事が出来るのに…という本音を吐露すると新たな爆弾になってしまいそうなのでヤメた。

「仕事が楽になる」とは方便で言ったが、実際は違う。これからは当たり前ではない、他の誰かが考えないようなことを考えていくのがメインの仕事になるのだから、楽になるどころか、キツくなるのだ。仕事がキツくなるというと反発されるので、あえて言わなかったのだ。だが、残念だけれども、機械的ではない人間の仕事とはキツいものなのだ。仕事は機械にとって代わられて、任される仕事はキツくなる…人間て哀しいなあ…と時の涙を見ている僕に、誰かが「営業部長がロボットだったら完全に間違えない判断を下せますね」と嫌味を言うのが聞こえた。そのとき「近い将来、部下を全員ロボットに置き換えてしまえばいい!ハハハハハハ!」と僕の中の悪魔が囁いた。管理職きっつー。(所要時間22分)

社長と対立しました。

査定の件で、ボスと対立してしまった。これまで問題にならなかったボスとの意見の相違が明らかになったので、この対立をポジティブにとらえたい。営業部を任されている僕が査定する対象は、一部の事務スタッフを除けば営業スタッフとなる。会社の業績がいいので、基本的には全員プラス査定がボスの考え方で、その点について異存はない。だが、基本プラスであれ、営業スタッフ(営業職)として会社の業績にどれだけ貢献したのか、査定しなければならないと僕は考える。ウチの営業部は案件ごとにメンバーの組み合わせとリーダーを変える変動チーム制を採っている。だから部署全体でうまくいっているときは、ほとんどの営業スタッフが数値を達成できる。だが、中にはリーダーを任されて負け案件が続いてしまう者もいる。不運なのか、実力不足なのか、わからない。だがそれは事実でありその者の結果だ。僕は、冬季賞与に当たって、そういう者を低く評価した。いくら会社が好調であっても、数字をあげられない営業マンは評価すべきでないと考えたからだ。

僕の評価を、ボスは「厳しすぎる。会社が絶好調なのは全スタッフの貢献があったから」という観点から、差し戻したのだ。ボスは僕に「もし、会社全体の調子が最悪のときに一人だけ営業成績が抜群の者がいたらどう評価する?」訊いた。「最高の評価をします」「好業績のときと同じレベルで?」「ハイ。会社の業績を蔑ろにするわけではありませんが営業マンの評価とはそういうものですから」僕の答えにボスはあまり満足していなさそうだった。営業職以外の仕事を僕はやったことがないので他の職種の評価がどうなされているのか僕は詳しく知らない。だが、営業職は良くも悪くも数字で結果が出る仕事だ。だから僕は営業の仕事については、シンプルに、出た数字だけを評価したいと考えている(勤務態度とかは別ね)。

ボスは、はっきりと言わなかったが、結果が出ていない営業スタッフの「頑張り」「努力」といったものを評価して差し上げろと仰っている。笑止千万。僕に言わせれば、まともな頑張りや努力は数字にあらわれる。数字にならない頑張りや努力は、何らかの間違いがあるから、反省して次に活かせばいいだけのことだ。ボスのように、それらを評価したら、反省や活用はなくなってしまうというのが僕の考えだ。もちろん、そういう数字にならない頑張りや努力を評価することで、気持ちを折らずに次に繋げられる者もいるのは分かっているので、ボスの考え方を否定出来ないのだが。


前に勤めている会社のことを思い出す。営業職の評価に数字以外の要素を多く取り入れていた。上司の前で頑張っている姿。会社内で努力している姿。社長のマラソンを応援したかどうか。社員旅行の参加不参加。上に好かれた者が評価され、嫌われた者はコースアウト。数字を出さない謎上司が飲み会と社内営業で重用された。失敗したときは吊るし上げられ、成功はスルー。上司の見えないところで努力して数字を出しても評価に繋がるとは限らなかった。酷いときは何かインチキをしていると疑われた。きっつー。

結果として何が起きたか。失敗をおそれて何もしない、消極的な営業マンたちの爆誕である。「この案件は厳しそうなのでヤメときます」「競合他社がちょっと多いので戦略的撤退を提案します」「どうせ契約を勝ち取ってもまともに評価されないんでしょ」こんな声を何度聞いたことか。そういう環境にいたからこそ、営業職の評価は余計な要素を出来るだけ排除して、シンプルに数字だけにしたいのだ。数字にあらわれない努力頑張りは評価しないけど、逆にいえば、数字にあらわれる結果さえ出してくれれば、確実に評価に繋げるのだけど。間違っているかな…。

まあ、会社の業績は好調で冬季賞与も平均2.5ヶ月支給された。もっとも評価された者でも2.55ヶ月程度なので僕とボスの対立は0.05月という小さな戦場で行われたともいえる。でも、僕は危惧するのだ。会社が好調な今はいい。会社の業績が悪くなったときも、ボスが仰るように、数字にあらわれない努力や頑張りを評価対象に出来るのかと。評価の対象を変えずにいられるのかと。まあいい。僕はもう会社や仕事に過度の期待をしていない。僕の仕事は会社を良くすることではなく、営業部門の責任者として会社の好調継続に貢献することだ。僕に出来ることは、評価に対するボスの考えがどうあれ、意味不明な努力や頑張りといった曖昧なものに左右されない営業部門の責任者としての実績を積み上げていくこと、それだけしかない。(所要時間22分)