Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

大型連休中に出勤して会社の闇を見つけてしまった。

世間は絶賛大型連休中、僕が勤めている会社も原則10連休だ。原則というのは残酷な言葉で、なぜ残酷かと申し上げると、その陰には原則でない哀しい存在が予感されるからである。中間管理職の僕は、部下を休ませるために出勤していた。孤独ではない。僕と同じような管理職と、どうしても休めない数名の社員が出勤していたからだ。「家よりも会社にいたほうが気楽でいい」と仰る猛者もいたが、彼は、医者に心身、弁護士に家庭を診てもらった方がいいだろう。中間管理職は部下を休ませるため、その他は連休中に片づけなければないことがあるため、それぞれの仕事のために出勤していた。仕事があるから休日出勤!例外もいる。スタッフの仕事ぶりを監視監督する者だ。彼らは、眉間に皺をよせ、時に鞭をふるい、時に無知をふるい、下々の者を監視監督して働かせる。工場のラインに入るでも、デスクで書類を作るでもなく、ただ監視しているので誤解されがちだが、彼らの監視監督もまた仕事である。つまり、仕事がどんなものであれ、仕事がなければ連休中に出勤する人はいない、ということ。社会人になって20数年、今日まで僕もそのように認識していた。だが、その認識を改めなければならないときが来たみたいだ。それは朝早くに現れ、気付かれないように動き、風のように去っていった。休日のオフィス、人はまばらで、それぞれがデスクに座り、パソコンの画面を見つめている。会話は聞こえない。誰もがそれぞれに与えられた仕事に集中することで、大型連休を忘れようとしているように見えた。僕がそれに気がついたのは、たまたまである。たまたま、コーヒーを淹れようとして、ひとり給湯室のポットでお湯を沸かしていたので、音もなく移動するそれに気付いた。それは赤と白のボーダーのシャツとジーンズというカジュアルな出で立ち。「ウォーリーをさがせ!」に酷似したコーデに、僕は、それの絶対に見つからないという強い意志を見た。それは、経理部門のベテラン女性社員であった。あだ名はヌシ。その由来については皆さまのご想像にお任せするが、ま、そういうお方である。オフィスの入口から顔を伸ばして中を観察していた。僕は見てはいけないものを見てしまった気がしていたので、スルーしようかと思ったが、給湯室でコーヒーを入れている姿を目撃されている可能性があり、もしスルーして、後日「なぜ私の姿を見かけたのに声をかけないのか。私が若くないからか」と心当たりのないセクシャルハラスメントで訴えられて部長職を追われるのもいやなので、声をかけた。「今日はお休みじゃないのですか」するとヌシは「お休みをいただいています」と答えた。「急な用事でも出来ましたか」「違います」「え?」「もう用は済んだので帰ります」「え?」戸惑う僕に彼女は「私は休みですけれど、今日、誰が出勤しているのか確認するために来ました」と切り出し、それから意味不明の理屈を続けた。僕なりにまとめると、彼女は休日であり、やらなければならない仕事もない、管理職でもない、だが誰が出勤しているか個人的に興味がある、特に女子社員や若手社員が出ているのか個人的に強い興味がある、だから個人的にチェックに来た、個人で所有する手帳に書き記しておく、というものであった。ハラスメントになるのを恐れずにいえば、きっつー、である。ヌシは個人的に休日に出勤する者をチェックしている…そんな人間を他に知らない。それから彼女は何事もなかったようにエレベーターに乗って帰っていった。休日のたびにやっている行動なのか、なぜ隠密行動なのか、そもそも何のためなのか。数々の疑問も、仕事ではなく個人的な趣味のために、わざわざ休日会社に同僚チェックにやってくる存在の不気味さを前にすれば小さいことであった。何より、あのウォーリーが探しているものを知ってしまったら、元の自分には戻れないような気がしたのだ。恐いよー。(所要時間20分)

リストラを打ち出している企業グループの末端が悲惨すぎて言葉を失った。

前職で大変お世話になっていた会社が廃業した。当時の担当者と会うことになったのは、「頼みごとがある」と連絡があったからだ。10年前、食堂リニューアルの際、僕は、コンサル的な立場を任されていた。久々に訪れたその会社はラインが止められていて静かだった。正門の警備員詰め所は閉鎖されていた。頻繁に訪れていた頃は、構内をフォークリフトが頻繁に行きかっていてボケーとしていると危なかったが、注意を払う必要もなくなっていた。

会議室に通されるまでに、椅子、空調、あらゆる備品に青と赤の紙が貼ってあるのに気が付いた。マジックで売却と書いてある。青が多い。赤はときどき見かける程度。会議室も、デスクやソファーや壁掛け時計などの実用品だけでなく、よくわからない絵の入った額縁や、意味不明なオブジェにも売却の紙が貼ってあった。社内コンペの写真入った写真立てや、ボロボロのフロアマットまで売っていた。処分する金がないのだろうか。

担当者の彼が明るくて安心した。もし、青白い顔をしていたり、仕事を斡旋してくれと泣きつかれてもどうしようもないからだ。「まいった。まいった」と彼は言った。「大変でしたね」僕も応じた。彼の話によれば事業終了してからも、10数人は残って、残務をこなしているそうである。「まあ、今やってる仕事に未来はまったくないんだけどね」という彼は、リストラに応じて田舎に帰るそうだ。親会社は45才以上リストラを打ち出している大企業である。

「本体を生き残すために、手足はばっさりだよ」と彼はいった。「え?ばっさりなんですか。ある年齢未満もですか?」と尋ねると、45才未満で本体に戻れるのは本体から出向してきている人材と、特に有望な人材だけで、「その他は…」と言った。その他…の先を聞く気にはなれなかった。パート、派遣は全員雇止め。45才以上は、残ろうと思えば残れるけれど、縁もゆかりもない地方へ飛ばされるか、まったく違う仕事をやらされるか、の地獄の二択。45才未満も同じだった。本体に残れる一部を除けば身の振り方を考えなければならなくなった。退職を選んだ若者もいるらしい。

彼は、本体はまだましだよ、といった。「グループで何人て言い方するでしょ。そうすると本体が厳しいリストラをしてるように見えるけれど、実際、ばっさり切られているのはウチみたいな末端なんだよね。ウチでも本体から来ている上の人間はトシがいってても本体に復帰できてるわけだから」という彼の顔は清々しかった。もう吹っ切れたのだろう。僕はかけるべき言葉が見つけられなかった。用件を尋ねると、備品を買い取ってもらえないか、という話であった。僕は、懇意にしている買い取り業者をいくつか紹介すると約束した。うまくいってくれるといい。

仕事の話が終わって、例の売却の貼り紙に話を振った。赤と青の紙だ。僕の座っている椅子にも貼ってあった。「全部、売却ですか」「そうだね」「見たところほとんど売却済みですね」「全然売れてなくて困っているんだよ」「え?」「よく見てよ。青いのは売却予定。赤いのは売却済み。赤だけ買い手の名前が書いてあるでしょ」売却済みは贔屓目にいっても1割くらいに見えた。「会社の土地も買い手も見つけないと。頭痛いよ」「いやいや目途は立ってるでしょ」「さっき、逃げられたとこ」

会議室の中で、売却の紙が貼っていないモノに気が付いた。それは「我が社の製品」と記されたプレートとともに棚に並べられた小さな金属パーツ。用途がわからない。担当者の彼は「それに売却済みの紙が貼られてれば、こんなことにはならなかったんだけどなあー。引っ越ししなくて済んだのになあ」と言った。きっつー。こんなときなんて言えばいいのよ。それから彼は、しばらく頭から離れなくなりそうな強烈な言葉をつづけた。「買い手のつかない人間はどうすりゃいいのよ」 僕は売れなかった小さく金属パーツを手に取って聞えないふりをした。僕にはそうすることしか出来なかったのだ。(所要時間20分)

令和を生きる若者をモザイク越しに見守りたい。

令和を生きる若者は大変だ。迷ったり、試行錯誤する時間や機会が奪われているように見えるからだ。あらためてそう思ったのは、仕事でしくじった若手が、50代後半のベテラン社員から「ネットでちゃんと調べたのか!俺の若い頃はさー!」と叱責されているのを見たからだ。《調べれば簡単に答えがわかるのになぜ調べないの?》という理屈で叱られていた。確かに怠慢だ。だが、叱られる若者の姿の向こうにある、ネットで調べれば、どんなものであれ、ある程度まで答えがわかってしまう「楽な」時代を生きる不幸が僕には見えた気がした。

今の若者は、何かやりたいことが出来ても、インターネットで調べてしまえば、必要な準備、取り掛かる方法、その結果と効果、やらない方がいい理由まで、一瞬でわかってしまう。愚直に取り組み、トライ&エラーをやってたら「調べればわかるのになんであんなことやっているのか」とバカ扱いされてしまう。「調べれば簡単」という理屈で、余裕や隙間が殺されて結果ばかりが求められてもいる。

たとえば、今の営業マンはサボることも難しい。スマホやPCを持たされているので、上司から逃げられない。僕が新人だった頃は、携帯電話がそれほど普及していないこともあって(ポケベルは渡されていた)、会社の管理から逃れる術、サボる方法はいくらでもあった。余裕や隙間があって、息抜きができたのだ。実際、外回りはみんなサボっていた。喫茶店はサボリーマンで満席だった。そういう時代を見てきたので、今を生きる若者は、休み時間もツイッターで仕事に役立つ知識をリツイートしていて、マジメすぎるように見える。

振りかえってみると、たくさん失敗出来たのが大きかった。営業職で働きはじめたとき、失敗ばかりであった。はじめての契約書。はじめての交渉。どれも思い出すのが恥ずかしいほど酷いものだった。その恥ずかしさが「次は絶対に失敗したくない」という強い気持ちとなり、次に繋がった。己の血肉になった。当時は「仕事は失敗して覚える」という風潮が強く残っていた。実際、失敗して覚えることの方がうまくいったときよりも多かった。今のように「ネットで調べれば簡単」という時代ではなかったからこそ、失敗が許された。

今はそれが許されない。誤解を恐れずにいえば、失敗の価値が下がった。「それネットに載ってたよ」のひとことが失敗の価値を下げたのだ。失敗が許されず、ストレートに結果へ向かうことが求められがちになった。今の若者は大変だと本当に思う。僕はボンクラ学生の頃、モザイク越しに異性の性器を想像した。夜空の星々を結んで星座にするように、アワビかな、水餃子かな、つって想像の羽根を無限に伸ばせた。今なら、ネットで一発、モロ画像。どちらが夢があるだろう?

令和を生きる若者の不幸は、調べれば答えがわかってしまうから。そして、僕のような上の世代が若者に余裕を与えていないから。調べれば答えがわかる、わかるのになぜ出来ない、というのは残酷だろう。答えを知っても、それは他人の知識だ。自分の血肉になっていない。誰でも、知っていても出来ないこと、使えないことはあるのだろう?かつての僕らがそうだったように。

答えがわかってしまう不幸な時代だからこそ、あえてストレートに答えに向かわず、試行錯誤して、他人の知識を己の血肉に変えられる者が、最後には往き残るのではないか、と僕は思う。僕ら上の世代は、彼らに猶予を与える余裕が求められるのだ。まあ、モザイク越しのアレみたいにもどかしくはあるけれどね。(所要時間18分)

大型連休を取得するための残業は必要悪である。

大型連休が近づいている。今、僕が勤めている会社は、一部の例外を除き、原則10連休である。連休前に片付けなければならない仕事。目途を付けておかねばならない仕事。休みが明けたとき速やかに始められるよう準備を終えておかなければならない仕事。そういった「ならない仕事」で我が営業部はバタバタしている。休むためのデスマーチで蓄積した疲労を、連休いっぱいを使って回復することになりそうだ。虚しい。

部下からの残業申請が相次いでいる。「連休を取るためには残業が必要です!」と彼らは言う。一方、会社は残業ゼロを経営目標に掲げている。僕は管理職、おいそれと残業を認めるわけにはいかない。「本当にその残業が必要なのか?」僕が言うと「必要です。我々が連休を取れなくてもいいんですか!」という反応。彼らを休ませなければ僕が上から責められる。

ウチの会社は社員に積極的に休日を取得してもらうことも経営目標にしているからだ。残業ゼロと休日取得の旗印のもとで一日あたり4時間の残業が社員から申請される。社員のための取り組みで社員が追い詰められて「残業したい!」と言いだす事態。立場的に「仕事を放りだして休め!」とも言えなかった。《残業ゼロを掲げるボスに残業を申請する自分の姿》を想像するだけで胃がきりきり痛んだ。「部長、今回の残業は休むための『必要悪』ですよ」という部下の言葉に後押しされて僕は社長室のドアを開けたのである。

現在の状況を説明して「残業不可避」を主張した。すると社長は「いやいや10連休は1年前から決まっていたのだから、各自休めるように仕事のペース配分をしなければダメだろう」と仰った。正論である。だが正論がいつも正解なわけではない。「いいえ、お言葉ですが社長、我が社の10連休が確定したのはつい1カ月前です。それに嬉しい誤算で予定以上の受注もありました」とは、わが身可愛さゆえに僕は言えませんでした。御意。「仰るとおりです」

「我が社が残業ゼロを目指しているのは知っているよね」とボスは言った。アイアイサー。「存じ上げております」「キミは部下に残業をさせて、営業部の数字を強引に上げたいだけではないか」と畳み掛けてくるボス。神に誓って違う。僕は誰にも残業なんかさせたくない。残業させてほしいと言っているのは僕ではなく部下なのだ。「いやいや社長、あいつら、自分が休みたい一心で、残業残業吠えてるだけっすよ」悪魔の自分が顔を出す。言いたい。でも言えない。部下を悪者にしたらクソ上司になってしまう。それはイヤン。あの言葉が脳裏にひらめいて、すがるような気持ちで口に出していた。

「社長、今回の残業は休みを取るための『必要悪』ですよ」。言った直後に後悔した。必要悪というワードは社長のNGワードであることを僕はそのとき知った。めちゃくちゃボスに叱られた。「必要悪とかいう都合のいい言葉を使っての正当化は好きじゃない」「な~にが必要悪だ」「悪に必要も不必要もない」と。ボコボコにやられたが、1日1時間だけ残業は認めてもらった。ただの1時間ではない、命を数年縮めての1時間だ。

部下に命の1時間残業ゲットを伝えると、「それじゃ、僕たちは連休が取れません!」「もういちど社長と交渉してきてください」「もっと僕たちのためにやってくださいよ!」と人の気も知らずに彼らは言う。きっつー。殺す気か。「1時間プラスでなんとかやってくれ。」「ムリです。」「無理でもやるんだよ!」「無理!」「やってくれ…」結局、精神論になってしまった。後味が悪い。

ちなみに僕は10連休できない一部の例外である。部下たちに連休を取らせるために留守番を一手に引き受けたのだ。連休真ん中の3日間は出勤となる。だからといってはなんだが、10連休を取るために慌ただしく仕事をしている部下のことなど、終業のベルが鳴って部長という立場を忘れてしまえば、ざまあ、と思うだけだ。おかげさまで僕個人は余裕の平常運転である。今、火曜日の午後6時半。この瞬間も10連休を取得するために、汗水たらして働いている部下たちと、10連休はないが喫茶店でコーヒーを飲みながらこのようなくだらない文章を書いている僕とで、どちらが充実した労働者ライフを送っているだろうか。間違いなく、前者だ。僕は誰からも認めてもらえない哀れな必要悪にすぎないのだ。(所要時間19分)

義父が倒れた。

義理の父が心筋梗塞で倒れた。信金へ金策の相談に行く途中で胸の痛みを訴えて、病院に担ぎ込まれたのだ。義父は80近くの高齢だが、健康が服を着て歩いているような人で、心筋梗塞の前兆もなかったので驚いてしまった。現在はICUから一般病棟の四人部屋へ移り、あと一週間ほど入院する予定。とりあえずひと安心だ。義父は江戸時代から続く箱職人である。数百年やっていて一度もブレークしたことがない、ヒット曲のないまま亡くなられた内田裕也さんのような流派で、義父自身が「信念も特徴もなく、たいした技術も要らないから尊敬されない。誇れるのはしぶとく生き残っていることだけ」と卑屈になっている。滅びても惜しまれない流派が今回もしぶとく断絶の危機を乗り越えたのである。

病院に担ぎ込まれた直後、義父は荒れた。「あれを持ってこい」「今すぐだ」と我がまま放題、周りを困らせたのだ。「病気で倒れたのに」「何様のつもりなのか」呆れ果てる妻や義母。僕は、そんな義父の姿と、8年前に100才で亡くなった祖父の姿を重ねていた。元気だった頃の祖父は仙人のように物静かで優しい人だった。庭で転んだはずみで足を痛めて入院してから、目に見えて身体が弱っていった祖父。ときどき穏やかな祖父が見舞いに来た人間をつかまえて、「あいつだけは許せない」、と過去の恨みつらみを話すときがあって、その姿の方が、弱っていく姿よりもずっとショックだった。時間を置いたら、なんとなく祖父の行動が理解できた。死ぬのが怖かったのだ。100年生きても、しがみつきたかったのだ。身体は動かない。思考も混乱している。どうしようもないから、溺れているとき咄嗟に何かつかめるものを求めて手をめちゃくちゃに動かすみたいに、気になっていることを口にしてみた、ということだろう…。

 義父も同じだったのではないか。激痛に襲われて、死を意識した瞬間、わがままが爆発したのは、生にしがみつこうとして、何かしなければいけない、でも、何をすればいいかわからない、そんなギリギリの行動だったように僕には見えたのだ。確かに、その姿は、カッコ悪くダサかった。迷惑すぎた。でも、いいじゃないか。それくらいなら。家族から非難された義父のわがままは、「今すぐに家にある俺のリュックサックを持ってきてくれ」というもの。妻も義母も「倒れているのになぜリュックがいるの!」「明日でいいじゃない!」と義父にいったけれど、「今もって来ないとイヤだイヤだイヤだ」と駄々をこねるので、まあまあ、いいじゃないか、と適当に対応していた僕が、流れで取りに行くことになった。すぐに見つかるリュックサック。軽い。スカスカであまりものが入っていないようであった。死を意識した男が望んだスカスカリュック。絶対に中身を見るな、と強く言われていたので、見たくて仕方なかったけれど耐えた。もし、懐かしのチッチョリーナのテープや性的なグッズが出てきたら、僕は本気で義父を軽蔑していただろう。耐えて良かった。

リュックを渡された義父は喜んでいた。たいそうな喜びようだったので、チッチョリーナ疑惑は強くなるばかりだったけれど、義父の名誉のために疑惑を疑惑のまま終わらせることにした。男には知られてはならないロマンがあるのだ。義父は、スニーカーが欲しい、スリッパを履きたくない、と意味不明なわがままを繰り返していて、家族を苛立たせていた。その姿はカッコ悪くてダサかった。みっともなかった。でも、いいじゃないか。生きるか死ぬかのピンチのときくらい、甘えて、わがままを言ったって。チッチョリーナだって。駄々をこねたって(限界はあるけど)。だいたい僕らは人の目を気にしすぎなのだ。生きられるのは、一度だけ。だから「死ぬ~!」と思ったら、周りの目なんか気にせず、しがみつけばいい。気が済むまであがけばいい。生きるっていうのは、ちょっとくらい無様で、みっともないくらいがちょうどいいのだ。墓には「いいね!」を持って入れないのだから。(所要時間19分)

 そんなことよりウチの奥様(管理栄養士)が心筋梗塞で倒れた義父のためにスケッチブックに執筆している高齢者向け食事本がわかりやすいうえにガチなので見てくれ。

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