Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

COVID‐19は営業ノルマを廃止するチャンスになるのか社長との対話のなかで考えてみた。

「営業ノルマを廃止しませんか?」ボス(社長)に対してこのような大胆な提案をしたのは、ボスから、アフターコロナでもウィズコロナでも名称はどうでもいいのだけれど、時代の変化にあわせて今後の営業活動計画を見直すよう言われて、出しても出しても「こんなもので本当に結果が出せるのか」「時代がどう変わるのか正確に見通せ」とモグラ叩きのごとくボコボコに叩かれ、いよいよ後がなくなったからである。ヤケクソである。

 僕は食品会社の営業部長。営業という仕事を四半世紀やってきた。その四半世紀はノルマとの戦いでもあった。ノルマには功罪ある。功は、目標の明確化やモチベーション維持など。罪は、強引すぎる営業につながる可能性があること、ノルマ自体が数値を達成したときにブレーキをかけ、意図的に次の期へ数字を繰越すといったストッパーになりうることなど。特に高ノルマが強引な手段や不正につながり問題となったケースを何度も見てきたので、前々からチャンスがあればノルマをなくしたいと考えてきた。新型コロナをそのチャンスととらえたのだ。

 新型コロナの感染拡大以降、これまでの営業の手法の多くは無効化した。以前と同様のノルマ設定はおのずと高ノルマになり、達成のために強引な手法に走って顧客に迷惑をかけてしまうという最悪なパターンに陥る可能性もある。そういう悲観的な未来予想図から「ノルマをなくそう」という提案が出てきたのだ。ボスは「個々のノルマをなくしても、キミの部下たちはきちんと仕事ができるか?自発的に営業をかけて数字をもってこれるか?キミは彼らを信じられるか?私は無理だと思うよ」と揺さぶってきた。きっぱりと「わたしは部下を信じています」

 

…と言えたらどれだけ素敵だろう。「無理ですね」僕はあっさり降参していた。 「ノルマ自体を引き下げます」「低い目標は低い達成しか得られない」「個々のノルマを廃して営業部全体のノルマを皆で共有します」「営業部全体のノルマが達成できなかったとき、その要因となった者がつるし上げに遭わないか?」「ではやはりノルマを全面的に廃止…」「社員が楽をするだけの結果になったらキミの責任だよ」ボスは僕の提案をひとつずつ潰していった。

 何度もやられて僕が至った結論は、営業ノルマの維持だった。昨今の変化のポジティブな面に目を向けると、新しい営業のやり方の可能性がなんとなく見えてきたからだ。たとえば対面面談からオンラインや電話での営業にシフトすることで、顧客との面談までの時間と手間は確実に減った。5分や10分といった細切れの時間で面談ができるようになったのも大きい。成約までに至るかはもう少し観察する必要はあるけれども、顧客と接する機会はコロナ前よりも増えていることがデータで出ている。これらはポジティブな要素だ。営業泣かせの、話は聞かないけれど、会いに来た回数や置いていった名刺の枚数を数えているような、効率の悪い客を避けられるのもいい。「こんなご時世ですから手短に」といって、家族の愚痴、ダジャレ、無駄な雑談を聞かされることを避けて初っ端から本題へ入れるようになったのもプラスだ。

 こういった傾向をみて僕はミーティングで「これからの営業における面談はショート・スパイス・シンプルが求められるよ~」と言ったら、「概ね同意ですが、ショート・スパイス・シンプルは昭和感しかないので客先では言わないでください。恥ずかしい」と懇願された。イチ営業として現場に出て意外な発見もあった。ショート・スパイス・シンプルを突き詰めてオンラインで商談をしたあとのことだ。相手から「圧のつよい営業マンに押し切られたり、テクニカルな営業マンの話術に騙されるんじゃないかと思っていたけれど、オンラインで簡潔にビジネスの話だけをするなら精神的に楽だ」と言われたのだ。確かに営業マンアレルギーを持っている人はいる。そういう人でもオンラインで距離を置き、かつ短時間の商談であればアレルギーを起こしにくい。これは思わぬ発見だった。これからは営業アレルギー持ちも対象にしていくことができるかもしれない。

 そのほかにも交通費の削減や事故の減少なポジティブな要素はある。もちろん、課題をあげればキリはないが、ポジティブな変化をうまく活用して、これまでのやり方にとらわれずに軌道修正しながら、目標としてのノルマ達成を目指す、というのが僕の考え方でそれをもとにした計画を出してボスからも了承を得た。ノルマをなくしても数値を出し続けるようなチームが理想である。だが、性悪説にとらわれている僕には難しかった。部下各位よ、信じてあげられなくてすまない…。

 そして昨日おこなわれた営業会議の冒頭、営業部員全員の前でボスが「(略)最後になりますが、新型コロナ感染拡大にともなう社会情勢の変化に対して、私としては営業部員の負担を減らすためにノルマを廃止したいと考えていたが、営業部長たっての希望によりノルマは維持することになりました~」という話をした。話がちがう。直後に「鬼」「冷血」「人でなし」とでも言ってくるような営業部全体からの冷ややかな視線。きっつー。僕のノルマ廃止提案に反対したのはボス、あなたではないか…。このように、おそろしいのは感染症よりも人間なのである。(所要時間45分)

社内抗争に敗れた上司が僕の部下になった。

弊社は、社内限定で「役職」ではなく、「さん」付けで呼びあうことになっている。実際は、「役職」でも「さん」でもどちらでもオッケー!というユルい感じで運用されている。そんなユルユルな社風の我が社でも、多くの会社と同じように、派閥抗争がある。社長派と常務派に分かれての抗争だ。僕自身に意識はないが、社長面接で中途入社して幹部になった経緯から、社長派と目されているため、常務派から目の敵にされている。社長から特別可愛がられているわけではなく、むしろ都合良く、便利屋のように使われているので、メリットはない。面白くもない。

常務派はうまくいっていないらしい。最近も派閥内の権力闘争に敗れた人がいる。僕ら部長クラスの上席にあたる統括本部長だ。彼は、自分の地位は未来永劫に安泰と勘違いして、診断書の出せない謎の長期入院しているうちに、所業悪行が暴露されて、立場を追われた。哀れだ。とはいえ会社の功労者、このまま追い出すのはあまりに不憫、逆ギレされても怖いし、という理由で失脚した彼は、社長の一声で、今月から僕の監督する営業部でイチ営業部員として働いている。僕のことを目の敵にしていた古参の1人である彼が下にいるのは、実にやりにくい。63才。営業経験なしの男性。かつ、僕のことを良く思っておらず、しばしば会議で口撃してきた人物の面倒をみなければいけないジレンマ。社長は「彼にも伸びシロはあると思うよ」と笑っていた。悪魔か。

顧客もない。役職もない。パソコン使えない。シンパもない。そんな彼にあるのはプライドだけである。放置プレイさせておくと部内の士気にかかわるので、仕事をつくってまわした。我が営業部はほぼ「さん」づけで呼ぶようになっている。だが彼だけは、「この仕事を今日中にお願いします」と仕事を依頼すると、僕への感謝まじりの従属を示すように「わかった。部長…」とひとこと言うのであった。僕は、彼の職業経験を尊重して、あるいは、武士の情けから彼のプライドに配慮して、細かく注文をつけなかったけれども、〆切は守らない、雑すぎる仕事ぶり、をまざまざと見せつけられ、部全体に悪影響を及ぼす危険性を覚え、考えを改めて、事細かに指示を出すようにした。

「この資料を両面コピーで8部お願いします。資料を見れば自ずと判断できるかと思いますが上下ではなく左右開きでコピーお願いします」「部長…」「会議で使う顧客リストの印刷をしておいてください。全部を打ち出すのではなく、条件を入れてですね、あ、わからない?業種は…、規模は…、あ、もう私が全部入れましたので、あとは都合のよろしいときに印刷ボタンを押して出てきた書類を1セットにして左上にホチキスで止めてくださいね」「わかった。部長…」というふうに。僕が細かく指示を出すと、元統括本部長の彼は「わかった。部長…」と応じた。それでも結果は「わざとやってる?」と疑ってしまうほど酷いものであった。両面コピーは指示したとおりではなく、前半は左右開き、後半は上下開きとになっていた。顧客リストはホチキスは右上2か所でバッチリとめられていた。これは嫌がらせだろうか。いや、そんなことはない。もしかして僕が個人的に嫌われている?いや、彼だって慣れない仕事をやっている、間違いは誰だってあるさ。そう気を取り直した。

部下の人たちから「あの御仁がいると仕事がやりにくい…」「何もせずに座っていて士気が下がります」とクレームが出てくるようになった。「部長は厄介を押し付けられてますよ。手をうたれたほうが」と忠告してくれる者もいた。僕は「もう少し彼に時間をあげよう」と彼らを諌めた。「これは武士の情けである。争いに破れ、恥を忍んで敵視していた僕を「部長」と呼んで頼ってくれている。十分じゃないか。それで。キミたちの人情紙風船は昨今のソーシャルディスタンスでしぼんでしまったのかい?」

すると部下の1人がいった。「お言葉ですけど」「何」「あの方が部長を部長と呼んでいるのは慕っているのではなく、《現状はこんなだけれども、私は上にいる》と宣言しているように聞こえるのですが」。ウソ?マジ?きっつー。うん、でも、納得。確かに目の敵にされていたときの「部長」と声のトーンが一緒だわ。仕事ぶりもあいまって腑に落ちた。以来、「わかった。部長」と言われても、見下されているように思えてならない。仏の顔も三度まで。あと3回。あと3回上から目線で僕を「部長」と呼びナメた仕事をしたら、彼を「クン」付で呼んで、屈辱の沼に沈めてやろうと考えている。(所要時間25分)

夏に揺れる。

駐車場でときどき見かける、オバハン運転の高級外車の危なっかしい運転にムカつきながらやってきた、いつものスーパーの夏野菜コーナー。特売を報せるアナウンス。キンキンに効いたエアコン。入り口のドアが開くたびに侵入してくる猛烈な熱気。目の前にはナス、トウモロコシ、トマトが信号機のような色合いで並んでいる。

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僕の傍らにいた1人の女性がキュウリを手に取った。僕と同じ年代だが、ノースリーブの白く細い腕とたくましいキュウリのコンビが妙にエロティック。僕の視線は、甘い蜜をみつけたアリになって白い腕を舐めるようにはい登る。そして白い腕を持つ女性と目があってしまう。僕は彼女を知っていた。彼女の目も僕を補足していた。その目はあの夏の日と同様に、僕を睨みつけていた。

1994年、大学3年の夏休み。僕は隣町の山の上にあるゴルフ場のレストランでアルバイトをしていた。自転車で山道を登って通うのは一苦労だったけれども、仕事自体は楽勝だったし、時給もよく(900円だった)、何より綺麗な女の子が何人か働いていたので、ペダルの重さと筋肉痛は気にならなかった。注文を取り、料理や飲み物を運び、空いた食器をさげて、洗う。ゴルフを終えたあとの気持ちのいい一杯でほろ酔いのおじさんへの愛想笑いとお世辞。仕事はそれだけだった。

そのレストランは空き時間が多く、客の迷惑にならないかぎりという条件つきで比較的自由にその時間を使うことが許されていた。僕はテラスにある青と白のパラソルの下にある丸いテーブルでアイスコーヒーを飲みながら本を読んだり、大学のレポートを書いたりして過ごした。遠くでセミが鳴くのを聞きながら隠れて飲む生ビールは最高だった。

ゴルフ場には真っ白なプールがあった。晴れた日は水面が空を映して青く光った。そこだけがまるで「マイアミ・バイス」。外国のようだった。プールには監視員が何人かいた。全員、夏限定の学生アルバイト。サングラスをかけて脇のベンチからプールを見守るのだ。そのなかに彼女はいた。濃紺の水着と上にはおった白いシャツでは隠しきれない大きな胸と細く長い足。監視員の連中は日焼けしていたが、どういうわけか彼女だけは真っ白だった。

休憩時間に、運よく、彼女の白く長い足を見つければ、僕はパブロフの犬のごとく彼女を眺めつづけた。ヨダレも出ていたかもしれない。僕は彼女の胸の奴隷だった。足や尻の下僕にもなった。顔の向きは変えず、アイスコーヒーのかげから眼球だけでロックオン。あの水着の胸の部分を膨張させている白い力の源を想像しては、パラソルの下で足を組み替えた。客がいないプールで彼女はときどき泳いでいた。仰向けに手を横に、目をつぶり、十字架になって浮かんでいる彼女をみて、僕は「ジーザス」と何度も心の中でつぶやいた。

僕の覗き見は彼女に気付かれていた。何度か目があったことがある。彼女は一瞬睨みつけると、決まって、プールの水面へ目線を移した。それから、そこに何かがあるかのように見つめていた。僕の視線なんて気にしていないようだった。眩しさのなかにいる彼女には、影のなかにいた僕は見えなかったのだろう。

8月。激しい夕立が降った日、アルバイトを切り上げた僕はゴルフ場のレストハウスの前で、彼女と一緒になった。帰りが一緒になるのはそれがはじめてだった。Tシャツとジーンズの彼女は僕の姿を認めると近づいてきて「雨止まないね。どうするの?」と言った。今思い出してもどんな言葉を返せばよかったのかわからない。僕は「自転車を置いていけないから」と言った。いつも水着の彼女が、僕に話かけているときだけ服を着ていることにわずかな苛立ちを覚えていた。

僕が駐輪場から自転車をレストハウスの前にあるロータリーに持ってきたとき、ちょうど彼女は国産のスポーツカーの助手席に乗り込んでいるところだった。運転席には40歳くらいの中年男性がハンドルを握っていた。いけすかない派手なシャツにサングラスをかけていた。父親だ。父と娘。二人を乗せたスポーツカーは走り去った。彼女は何もない水面を見つめているときと同じ顔をしていた。

僕が父親だと思っていた男は、彼女の彼氏だとアルバイトの同僚から教えられた。彼女のもうひとつのアルバイト先の経営者で、既婚者という情報もあれば、すでに離婚しているという者もいた。全員が遊ばれているだけ、すぐに捨てられると言っていた。どうでもよかった。20歳前後の僕にとって、既に彼女が僕とは違う世界の住民であることがすべてだった。

僕は夏が終わるまで彼女の水着姿を見つめ続けた。あの男とのエロティックな姿を想像しては足を組み替えた。ときどき、男のスポーツカーに乗り込む彼女も見かけた。プールにいるときあれだけエロティックに見えた彼女の白い腕が、幽霊のように儚く今にも消えてしまいそうに見えた。僕は次の年の夏もそのゴルフ場で働いたけれど、彼女は現れなかった。

あれから25年経って、今僕らはスーパーの野菜売り場にいる。麻色のノースリーブから伸びる白い手も、僕を虜にした大きな胸も、あの頃のまま。そして僕を睨むようなあの目はあの頃と同じだった。だが声は掛けられなかった。「あいつとはどうなったの?」「大学は無事に卒業できたの?」聞きたいことは山ほどあった。だが、胸を眺めていただけの覗きマンの僕にそれを聞く権利はないように思えた。

何より彼女が僕のことを覚えていないような予感がして、その予感が僕にブレーキをかけた。マスクをしているからなおさらだ。試しに僕は彼女の目線の先にまわってマスクをズラして笑ってみた。彼女は「中年のオッサンがマスクを外し笑っている。キモいヤバいアブない」と危険信号を点滅させるような不審な表情を浮かべただけであった。彼女の中に僕はもういなかった。寂しかった。気が付くと彼女の姿は消えていた。あとには特売のアナウンスとカラフルな夏野菜だけが残った。

 僕はスーパーを出て駐車場へ向かった。さっき引かれそうになったオバハンの銀色の高級外車が出ていくところだった。ハンドルを握っているのは、彼女だった。マスクを外した彼女の頬には、年齢相応のほうれい線が刻まれていた。これまで何回も見ていたはずだが、彼女の目と胸しか観ていない僕には、年齢を刻んだ彼女を彼女と認識することができなかったのだ。マスクは魔法だった。マスクで目もとしか見えなかったからこそ、僕は彼女をあの頃の彼女だと認識することができたのだ。

目の前を彼女の車が通り過ぎていく。助手席には派手なシャツを着た初老の男がいた。間違いなくあの男だった。薄くなった髪を精いっぱい整髪料で後ろに向けてかためていたが、彼女を迎えに来ていたスポーツカーの男だった。あの頃の僕らが終わってしまうと決めつけていた彼女たちはまだ続いていた。年齢差は変わらないが、お似合いのふたりになっていた。遠ざかっていく銀色の車に太陽の光が跳ねていて眩しさのあまり目をとじる。二人にはこのまま走ってほしいと心から願った。

そして気づいた。あの頃、彼女だけが眩いばかりに輝いていたのではなく、僕も同じように眩しい光の中にいたのだ。目をあけると二人の車は視界から消え去っていた。僕は助手席に買い物を放りこんでからエンジンをかけてあの頃よく聞いたロックをかけた。おなじロックでも1994年の僕と2020年の僕では同じようには響かない。それでいい。そのときどきの今を生きるしか僕らには出来ないのだから。(所要時間46分)

死について考えている。

先月、俳優の三浦春馬さんが亡くなられてから、ずっと、死について考えている。特別、三浦さんのファンでもないのに、時間があると、つい、彼のことを検索してしまっている。検索できるかぎりの動画やインスタは全部見たはずだ。理由ははっきりしている。当初報じられていた彼の死にかたが、20数年前の父のそれと酷似していたからだ。報道を信じるなら、そのまま、と言ってもいい。おそらく、「そこ」に至るまでのルートは人それぞれだが、決めてしまったあとのルートは、作業的になってしまうのだろう。スターであれ、庶民であれ。10代の終わりに父を亡くしたとき、死と自らそこへ向かう心理については散々考えて僕なりに結論を出している。「人の気持ちはブラックボックス」というのが僕の辿り着いた結論だ。人の気持ちはブラックボックスで、それがどういうものなのか推測はできるけれども、中身を知ることは出来ないのだ。遺書があったとしても、そこに書かれているものが本音かどうか本人以外には確認するすべがない。だから、多くの自死の知らせに際しても、「ブラックボックスの中身はわからない」という哀しみと諦めに似た感情が沸き起こって、その死にとらわれない心理的な距離を置くことが出来ていた。そうやって処理しないように、外に置いておくように、対応することで、自分自身を守っていたのだ。今、振り返ってみると、父の死で、いちばんつらかったのは、死そのものではなくて、死のハードルが低くなってしまったことだ。土曜日の朝、焼き魚を食べていた人が、昼間に散歩に出かけるように、ふっと消えてしまう。その身近さと呆気なさに、それまでずっと高い、手の届かない高さにあったハードルが、自分の腰くらいの高さまで下りてきたような気がはっきりとしたのだ。父の葬儀葬式のあと、祖父から「上を向け」「空を見上げろ」と言われた。そのときは、涙もながれていないのに、空に父がいるわけでもないのに、なぜ上を向けなければならないのかイマイチわからなかった。センチメンタルすぎやしないかとバカにしたくらいだ。だが、今はわかる。祖父は低くなってしまったハードルに目を向けないように教えてくれていたのだと。父の死後、そのハードルは低いままだ。下がってしまったハードルが上がることはないのだろう。何かの拍子。わずかなきっかけ。きまぐれ。そんなものでふと越えられてしまう高さにそれはあり続けている。いつでも越えられる、越えてはいけないものという存在が背中に貼りついたままなのは、若い頃は苦しくてしかたなかったが、今は、「いつでも越えられるもの=つまらないもの」として、うまく付き合っている。いいかえれば、越えてはいけないハードルのかわりに越えなければならない別のハードルを見つけて越えてきたのがこれまでの僕の生き方だった。強力な兵器で平和のバランスが守られているような感じだ。そのバランスが、三浦さんの死のありようについての報道で崩れてしまった。彼の決めてしまったあとの父と酷似したルートを報道で知教えられて、父の死がほぼ完全なかたちで再現され、ハードルは一段階低くなってしまった。今、僕はそのハードルを越えないために、別のハードルを探しているところだ。高くて厳しいものがいい。集中力が求められて気が紛れるから。これは僕の戦争で、僕ひとりが戦えばいいだけのこと。だが、自死の報道は慎重にやってもらいたい。詳細はいらない。死はそれ以上でもそれ以下でもない。死んでしまった人がブラックボックスであるように、その死のありさまもブラックボックスのままにしてほしい。人を引き寄せるためのショッキングな詳細や憶測はいらない。マジで。死のハードルは誰にでもある。その高さが違うだけで、危ういバランスのもとで生きている。その危うさのもとで今生きているから、生きるというのは素晴らしく価値があるのだと僕は思っている。(所要時間22分)

かつて「必要悪」を自称した元同僚が面倒くさすぎる客としてあらわれて心が死にました。

去る7月30日の朝、何の前触れもなく突然、目の前に地獄の門がひらかれて死んだ。前の職場を自己都合で辞めてから流浪の人生を送っているはずの、5年ほど音信不通であった「ゆとり世代」の元同僚くん(通称「必要悪君」)が、客として僕の前に現れたのだ。それ以来頭痛と目まいに悩まされている。回避する術はなかった。というのも彼はメールで商談していた相手の同行者としてあらわれたからだ。メールの「当日は私の上司が一名同行する予定です」という一文が地獄の門をひらく呪文と見抜ける人はいないだろう。

「よっ!」と軽い感じに手をあげる元同僚くん。動揺を見せないように「お、久しぶりじゃん。このご時世なのでマスクのままで失礼するよ。換気のために窓は開けさせてもらうから」と面談ルームへうながし、名刺交換。元同僚くんは競合他社の営業主任になっていた。珍獣を雇用する余裕のある会社なのだろう。「お久しぶりです。課長。今日は後輩のサポートでやってきました」と元同僚君は僕の名刺に視線を落としてから言った。「いちおう部長なんだけど」と注意したら「俺にとって課長は永遠に課長ですから」と言われた。

「用件は?」「一緒に戦った仲なのにいきなりビジネスの話ですか?」対決した記憶はあるが共闘した記憶はない。異なる世界線を生きているようだ。「商談しようよ」という僕の懇願を無視して「あれから大変だったんですよ。子どもが生まれて、親とはじめた事業もうまくいかなくて…」を身の上話をはじめようとする彼。あれから何年たったのだろう。8年?僕が海の家で働かされたり、駐車場の切符切りのアルバイトをしたり、ツライ時代を過ごしたように、彼にもつらい時代はあった。興味はないが話を聞いてあげるポーズをして差し上げるのが武士の情けというものだろう。

慈悲の心から「親御さんとの会社どうなったの?」と質問すると「相変わらずの昭和サラリーマン意識ですね。個人情報に対する意識が低すぎます。課長」と言い返された。想定外すぎてビビる。今、なんと?戸惑う僕に「課長には少し世話になったので忠告しますが、それ以上の詮索は個人情報になるからアウトですよ?」と彼は言った。あームカつく。「じゃあいいや」という僕を無視して彼は「少しだけ情報を開示させていただきますが、カンパニービジネスとファミリービジネスの二刀流は能力があっても難しいんすよ。メジャーの大谷君も能力があるから二刀流を無理強いさせられてますが、残念ながら今季はバッターに絞っていますからね。能力があるがゆえの悲劇ですよ」とワンダーな理論を述べた。彼の戯言が僕の脳みそを融解しているのがリアルタイムでわかった。質問した僕がバカだった。

やられたらやりかえす。僕は、「貴様の話にはメモする価値もない」という態度を表明する対営業マン専用必殺技/手帳パタン閉じを繰り出した。これを喰らった営業マンはだいたい「ああ…」と軽く絶望した表情を浮かべるはずだが、元同僚君は「じゃあ商談はじめますよ~」と何事もないように話をすすめた。手帳パタンは相手にその行為の意味を理解できる程度の知性が必要な技であった。

セールストークは元同僚くんの後輩がおこなった。極めて普通のセールストークであった。元同僚くんはサポート役のはずなのに、後輩くんの話の終始スマホをいじっていて、話が終わると「ぶっちゃけそんな話です」と付け加えただけであった。そしてなぜか自信ありげに「こうして課長と、客として再会できるなんてマジで奇跡ですよね。この奇跡を大事にするべきだと思いませんか?」とキテレツなことを言うので、たまらず「客、客言ってるけどさ、セールスを受けている客は僕なんだけど」と話を遮ると、彼は外人のように両の手の平を天に向け、それから「課長…。そうやって売る側と買う側という固定概念にとらわれるのは平成で終わりにしませんか。そんな意識では中国に追いつかれますよ。今は売ると買うがシームレスかつプライスレスに動いていくのがグローバルスタンダードですよ」と意味不明なことを言った。うなずく後輩君。こいつら大丈夫か。

気を取り直して僕は彼らの提案を冷静かつ瞬間的に分析した。そして却下した。なぜなら提案の内容が、競合他社にもろ競合する商品を高く売りつけるというものだったからである。アホなのだろうか。ウチにメリットがまったくない。無下に却下するのも哀れなので、提案の真意を訊いた。驚くべきものだった。元同僚くんの奇天烈な日本語を解釈すると、競合する商品を高く売ることによって利益を見込めると同時に競合他社にダメージを与えられるというものであり、やはりウチの会社にはメリットがなかった。元同僚君は二重に勝つという意味で「win-winです」と胸を張っていた。いつか恥をかいて滅亡してほしいので「それいいね」とだけ言っておいた。

提案を却下すると、元同僚くんは「おい信じられるか?」とでも言うように後輩君の肩をたたいた。猪木のように顎を突き出してそれに応える後輩くん。世界一ウゼえバディ関係がそこにあった。機会損失ガー、新型コロナで苦しんでいる今こそ共存共栄ガー、などとあーだこーだうるさいのでいい加減頭にきて、ハラスメントにならないよう配慮しながら、「馬鹿も休み休み言え」と丁寧に言ったら、根は良い奴なのだろうね、彼は「高く、、」「売れば、、」「儲かる、、」とバカのように休みを入れながら従来の主張を繰り返した。

元同僚くんは「多少強引な手をつかってでもキーパーソンと会う、手ごわい相手には手数をかける、商売相手の役職は間違わないようにする。全部、課長が教えてくれたことです」と僕に訴えた。確かにそのとおり。「実践できていると思うか?」とかつての教育担当の名残で問いかけると「おおむね出来ていると思います。誤算は課長がキーパーソンではないことだけでした」と手数もかけずに役職もあやまったまま、失礼きわまりないことを彼は言った。

元同僚君は「実はもうひとつセールスしたいものがあります」と切りだした。もういい。心の底から帰ってくれと思った。すると後輩君が元同僚くんに「主任。時間です。これ以上は濃厚接触になってしまいます。感染します」と話を打ちきってくれた。ありがとう後輩君。少々、失礼な言いかただが帰ってくれるならこんなに嬉しいことはない。「濃厚接触を避けるのはこれからのビジネススタンダードだからね。今日はこれで帰りなさいよ」と僕は帰るよう促した。元同僚君は商談を続けたい様子であった…。そのときである!

3人のスマホとガラケーがけたたましく鳴った。緊急地震速報。房総沖を震源地とする地震が発生して数秒後に震度5の揺れが襲来するとのこと。こんなアホたちと被災したくない。同じデスクの下に非難したくない。。嫌だ。と思っていたが、いつになっても揺れない。結局数分経っても揺れなかった(のちに誤報だと判明)。「さあ、どーぞどーぞ」と帰るよううながすと元同僚君は悟ったような表情で「いつ大地震がやってくるかわからないすから、今できる商談はその日のうちに」と言ってまだ商談を続ける姿勢になっていた。帰るムードが完全にリセットされていた。

その後に展開された話は僕の人生にとって最悪な商談のひとつであったが、それはまた次の機会にしたい。最後に、「なんで僕につきまとうのか」という僕の問いかけに対する彼の回答をここに記して結びの言葉としたい。

 

「まだ気づいていないのですか。課長は、俺にとっての必要悪なんですよ?」まさか僕自身が必要悪にされているなんて…。(つづく)

(所要時間60分)