Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

カレーライスを食べよう。

カレーライス最高!カレーライスには作った人間と食べた人間を幸せにする力がある。だからカレーライスには金と手間をかけるようにしたいと強く思う。唐突にこんな話をするのは、高齢化の進む弊社上層部にバイキングにおけるカレーライスの役割について説明をした際、「何を言っているんだ」という顔をされ、自分の説明に自信がなくなったからである。

f:id:Delete_All:20201214153052j:plain

バイキングというのは、ご存知のとおり、定額でいろいろな種類の食べ物が食べ放題でいただける提供スタイルだ。最近ではイチキュッパー、二ーキュッパーといった安価な価格帯で、時間制限を設けるサービスが多い。食品会社に勤めているので、クライアントさんの中にはバイキングを導入しているところがいくつかあって、食材を納品するだけでなく、メニュー提案や運営アドバイスもしている。収益のよろしくないバイキングから相談を持ちかけられたとき、僕が最初にする助言は「カレーに力を入れよう」である。

バイキング方式は、食べ放題、定額(安価)でお得、という食べる側にとってメリットばかりが目につくけれども、提供する側にとっても、盛付や配膳にかかるスタッフが抑えられる、個別オーダーを受ける手間が省ける、客単価と回転数が想定しやすい、といったメリットがある。食堂経営で大きなシェアを占める労務費が削減できるのが大きい。うまくコントロールすれば食材で損をすることもない。うまくコントロールというのは、客に「たくさん食べられた!得をした!」と思わせることである。金額(売上)と時間が確定している一方で、食べるものと量が客任せで未確定。この未確定のリスクをどう扱うかが運営のカギになる。

バイキングの運営がうまくいかないときに、陥りがちなのは「目玉商品へ過剰に力を入れる」こと。広告やビラで「超豪華!北海道直送カニ食べ放題!」と景気のいいことを言っていた店が、翌月倒産しているのはだいたいこのパターンである。たとえばメインがローストビーフやステーキなら、肉のグレードを更にあげてお得感をアッピールするような方法である。高級食材の導入、食材のグレードのアップには集客効果がある。けれども、高すぎる食材の導入は確実に収益を圧迫する(客単価は一定なので)。また、集客効果が落ち着いてしまったときに、同じ手法を使うのには限界がある。上記上層部もこの手法に執着していて、「バイキングがうまくいかないときは売りの商品を作れ」の一点張りである。食材のグレードを上げていく、高級食材で釣る、その手法だけに頼るのは、収益を悪化させるリスクがある。

バイキング方式は、どの料理(質)をどれだけ食べるか(量)が客にイニシアチブがあり未確定であるため、提供する側としては工夫して都合のいいように誘導することが大事になる。ローストビーフやステーキといった売り物になる商品はあくまで客をひきつけるエサ。そして、それ以外の料理に誘導するようにする。

f:id:Delete_All:20201214171812j:plain

そこでカレーである。カレーは比較的安価な料理である。そしてカレー好きな人は多い。さらに匂いと香りが強めでバイキングの中にあるだけで存在感を発揮する。そのうえライスと一緒に食べればお腹が満たされる。つまり質と量を稼げる食べ物なのである。お金をかけて美味しくて嗅覚を刺激するカレーを開発して、客を惹きつければ惹きつけるほど、収益は良くなる。ステーキやローストビーフが占めるであろう胃をカレーライスで埋めてしまうのである。カレー以外にも、パスタやうどん・そば、それから唐揚げやフライドポテトといったバイキングで良くある食べ物も、質と量を稼げる食べ物である。その中でもカレーは好きな人も多く、お腹にたまるので最強。カレーを見るだけで食欲を刺激される人も多いのではないか。

バイキングの収支を改善したいなら、「お金をかけてカレーを改良しろ」というのはこういう理由からである。僕は客としてバイキングにいって、美味しそうな唐揚げや「カレーが一段と美味しくなりました」と書かれたポスターをみると「経営努力しているなー」と関心する。バイキングでカレーをたくさん食べて幸せそうな人を見るだけで、「こちらこそありがとうございます」と手をあわせたくなるほど幸せな気持ちになる。

しかし、どういうわけかウチの上層部のようにバイキングをいうものは、売りになる食材に金をかけて、その投資した分をそれ以外の部分のコストを削減して捻出しようとする人がまだまだ多い。粗末になったサイドメニューに手をつける人は少なくなり、売りになる食材に集中するようになる。そして売りになる食材への過剰な投資は収益を圧迫して、残念ながらの値上げになり、最終的には閉店のお知らせを出すハメになる。違うのだ。ウリになる料理以外のものを美味しくして、現地で惹きつけるようにするのだ。なかでもカレー。カレーにコストをかけて開発改良してそこでしか食べられないカレーや食欲を刺激するようなカレーをつくり、それで客の満足感と胃袋を満たすようにするだけで収益は改善する。つまりバイキングのカレーはおまけではあるけれどもおまけではないのだ。

という至極明快な説明をしてあげたのにもかかわらず、上層部は高齢による思考の硬直化によって理解できずに「おまけのカレーにお金をかけても無駄だ」と言うばかりで耳を傾けようとしない。加齢とは本当に嫌なものである。(所要時間29分)

フラットな組織にはぺんぺん草も生えない。

先日、賞与が無事支給された。ありがたいことである。ありがたくないこともあった。賞与査定の際に、上層部から「フラットな視点で査定をするように」ときつく言われていたので、そのとおりフラットな目で査定をしたのだが、どうも上層部A(64)のお気に召さなかったようで、呼び出しを受けたのだ。正直、驚いた。というのもAのいう「フラットな査定」が「成績にかかわらずスタッフ間においては平坦な評価をつけろ」というものだったからだ。僕が考えるフラットな(視点からの)査定は、出来るかぎり公正公平な視点から成績の良いものには良い評価、悪いものには悪い評価をつけるというものだったので、彼らのお気に召さなかったのは想像に難くない。「部下は平等に扱わないとダメだ」と上層部Aが言うので「平等に扱っているから差がつくのです」と反論する。

Aの考えは、グループ内で評価を平坦にすることによって優れた者にはもっとやらなきゃという危機感が生まれ、優れていない者は会社の慈悲を感じて、双方ともに頑張るようになる、というアホな夢物語であった。「優れた人間は評価されなければ流出します」「優れていない人間はこんなものでいいかーと現状に甘えるだけです」とごく当たり前の一般論を申し上げると「否定からは何も生まれない。キミの意見には賛成できない」と軽くキレながら僕の意見を否定していた。意見がすべて否定に聞こえてしまう病発症である。「私はね…経営陣の指導のもと、社員全員がフラットに一体的に動ける組織でなければこれからの時代を生き抜けないと思うのだよ」と窓の外を見ているAの老眼には、自身の構想において経営陣とその他社員との関係がフラットではないことはどう見えているのだろうか…想像するのも時間の無駄なので僕はそこで思考を止めた。賞与の査定については社長やその他関係部署との調整でほぼ僕の査定が通ったので結果オーライ。

フラットといえば前の会社をノープランで辞めて、就職活動をしているときにフラットな組織を売りにする会社の面接を受けたことがある。その会社は、不動産と謎のウレタン製品を扱っている小さな企業であった。法人営業担当者を探していた。面接をしてくれた社長さんは「我が社にはね。上も下もないんですよ。全員が課長。名前をサン付けで呼びあう。皆が成果と責任感をシェアしてフラットな関係で楽しく働いている」と話してくれた。課長しかいないはずの会社において社長のあなたはどういう存在なのだろうか。課長間で責任感が高速パス回しされていないのだろうか。疑問は永遠に解けないままである。なぜなら、お断りを入れたからだ。事業や任される仕事について不満があったわけではなく、最初の一年はアルバイトとして働いてくれ、と言われたのが大きい。当時すでに僕は四十を越えていた。フラットな関係は大変素晴らしいけれども、そこまでの丁稚奉公が過酷すぎた。

社長に事業所を案内されているときに電話が鳴った。そのとき事務所には中年男性、中年女性、30代と思われる男性、20代と思われる女性の4名がいた。誰も受話器を取ろうとしない。プルルル。プルルル。呼び出し音が響く。仕事では2コール以内、テレクラでは光の速さで受話器をあげていた僕にとっては未知の領域。機会損失が怖くてハラハラ。30代の男性が受話器を取って対応した。そっすねー。今、ちょっと無理なんですよー。さーせん、という軽薄な言葉が虚しく響いた。受話器をおろした30代の男性は、それまでの軽薄な感じが嘘のように、周りでフラットな関係で働く同僚を睨んだように見えた。チッ、と舌打ちしたかもしれない。20代の女性があくびをしていた。完全に平等。そこにはベテランも中堅も若手もなかった。若干のヤバさは感じたけれども、カースト制の会社組織で働き続けてきた僕の目にはとても新鮮なものに映った。

昨年、仕事でそのフラットな人間関係が自慢な会社のある町まで来たので、車を走らせて見に行った。フラットな人間関係と事業の両立を見せて欲しかった。旧態然な働き方と組織のありように消耗して働くに嫌気がさしている僕を「働くって楽しいんだぜ」と殴るように否定して欲しかった。アパートの隣にはコンビニがある。辞退したときの「最初だけ我慢すれば楽しく働けるのに…。残念だ。応援しているよ」という電話越しの社長の言葉が蘇る。コンビニの先にある角を曲がるとそこにあの会社が…なくなっていた。更地になっていた。雑草も生えていない、砂漠のような、完璧なフラット。成果と責任感とをそこにいる者たちで平等に分け合って働く理想郷は滅びていた。きっとフラットな関係から溢れ出た人間の怨念が、雑草の浸食を許さないのだろう。(所要時間40分)

こういう、うだつのあがらない日常を書いたエッセイ集を去年出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「集荷に来た宅急便スタッフにご苦労様と声をかけたら部下に笑われた」ツイートについての補足と謝罪

先日以下のようなツイートをした。『会社へ集荷に来た宅急便の人に「ご苦労様。お願いしま〜す」と声をかけたら部下氏に「部長〜。こっちは金を払っている客なんだから労いやお願いの言葉なんてかけなくていいですよ」と笑われた。寒い時代と思わんか。』

 大変多くの反応(数万のリツイート/いいね・440万インプレッション)をいただいた。ありがたいことに当該部下氏と僕に対してアドバイスをくれる人も多く、大変感謝している。だが、ツイッターの文字数制限による、説明不足から、誤解されている人からの指摘も数百にのぼったので、この場をかりて補足説明させてもらいたい。

ご意見の多くは、「管理職なのだから教育をするべき」「教育不足なのでは?」「私なら注意する」という管理職としての僕に対するものと、「腐っている」「労いや感謝の気持ちは必要」「自分がその立場になったらどう思うのか」「人間としてダメ」「お金を払っているから上下関係になるのではない。サービスを提供するものと受けるものは対等だ」「信じられない」「いつかしっぺ返しにあう」「こいつとは付き合いたくない」「仕事ができないタイプ」という部下氏に対する非難であった。

まず「教育がなされていない/上司なら注意すべき」というご指摘に対してであるが、現職についてから3年弱、当該部下氏だけではなく部下全員に対して「クライアント・取引業者・協力会社…名称の如何にかかわらず関係会社及びそのスタッフとの関係はイーブンなので、挨拶や労いの言葉や感謝の気持ちを忘れないように」と事あるごとに指導しており、当該部下氏以外のメンバーについては、同様類似の問題は一切起きていないことを付け加えさせていただきます。当該ツイートの出来事のあとも注意をしたのは言うまでもございません。つまり管理職としてどうなのという指摘について、僕は無罪だと言わざるをえないのでございます。このような指摘を受けたのは、繰り返しになりますが、ツイッターの文字数制限、その制限に甘えて追記を怠った僕の慢心、それから前後関係を想像することのできない皆さまの想像力不足、それを予測せずに投稿した僕の人類への淡い期待、等々不可抗力によるものである。大変申し訳ありませんでした~。

次に当該部下氏に対する「こいつはダメだ」という非難に対して、補足と謝罪をさせていただきたい。まず、元ツイートを見ると、大変軽薄な印象を持ってしまいそうだが、実際は、「部長〜。ぶっちゃけ、こっちは金を払っている客なんだから~ぶっちゃけ、労いやお願いの言葉なんてかけなくていいですよ」というふうに、言葉の節々に「ぶっちゃけ」というフレーズが入っており、軽薄さはワンランク上であるうえ、「ぶっちゃけ」というフレーズによって「教えてあげます」的な高慢さ及びナメてる感が加えられていたことを補足させていただく。ツイッターの文字制限によりこういった本来削除してはならない要素を削除してしまい、大変不快な思いをさせてしまい大変申し訳ありませんでした~。

また、「この部下氏はダメですね」という当該部下氏の人格攻撃的な指摘についてであるが、まったくの的外れであることを、補足によって証明させていただきたい。当該ツイートは分かりやすい事件の一部を切り取ったものであるのはあえていうまでもない。つまり、それは切り取られれた事件は氷山の一角に過ぎず、その背後には、はるかに大きな日常が存在するということでもあります。この事件以外のシーンにおいて部下氏が聖人および善人であるという可能性は否定できないのである。にもかかわらず、ツイートのみで人格攻撃をするのは、ひとえにツイートの文字制限数による説明不足、僕の文章力、皆さまの読解力といった、如何ともしがたい要因によるものである。つまり悪者はいないという結論にいたるのである。大変申し訳ありませんでした~。ツイートでは触れることはできなかったが、当該部下氏は社内や取引先からも言葉づかいや態度、足音の大きさという日常的なクレームが絶えないということだけは付記しておきます。

最後になりましたが「感謝の念のない人間は仕事のできない人間だ」という当該部下氏に対する「決めつけ」とも取れるご指摘についてであるが、これもまったくの的外れであることを補足説明させていただき、皆さまの誤解を解いていきたい。当該部下氏でありますが、残念ながら僕が現職についてから、彼の営業職としての実績は営業部内では中位にあたるものであり、加えて、ときおり大型案件を成約する運の強さも持っているなど比較的優秀なスタッフという評価を下さざるをえません。「こういう失礼な輩は仕事が出来ないにちがいない」という皆様のご希望にそえず、大変申し訳ありませんでした~。これもツイッターの文字制限並びに僕の文章力及び配慮不足、そして皆様の読解力及び希望的観測といったどうしようもない要因による誤解であるため、誰も悪い者はいないという結論にいたる次第であります。ただし、発信者として多くの方を不快な気持ちにさせてしまったことは重く受け止め、その点についてのみ、お詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした~。

ツイートの文字制限上及び追記対応する面倒くささにより、当該部下氏の仕事能力についての言及が不足していたので、この場を借りて、彼にはノルマを達成してしまうと「これ以上やる意味ないすよね」といって露骨に手を抜く、あるいは同僚への協力を「手を貸したら見返りがありますか?」といって惜しむという側面があるため、数字以外の協調性およびスタンス面で大きな問題があることを追記させていただく。この追記をみれば、ツイッター社、僕、皆さまのいずれにも瑕疵がないことは明らかである。ゆえに、このたびの事件の元凶は、部下氏の人格及び性格、家庭、環境といったどうしようもない要因になるため、上司からの指導・注意、ツイッターユーザーからのご指摘といった生温い措置では改善の見込みは皆無といわざるをえないのである。また、昨今のテレワーク推奨によって、クライアント・同僚との対面が減っていることも人との付き合い方に難のある部下氏にとってはプラスに作用して日々ますます活き活きと職業生活を送っていることも併せてご報告させていただく。どうしようもないので、この場を借りて、本人に代わって上司である僕から皆さんへ謝罪させていただく。生まれてきてごめんなさい~。(所要時間29分)

こういったどうしようもない日常を切り取ったエッセイ集を出しました。よろしく。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

新興宗教の勧誘を別の神を擁立して丁寧に退けました。

新型コロナ感染拡大にビビッて3連休を自宅で過ごしていたら新興宗教の勧誘を受けた。ウチのベルを鳴らしたのは中年女性2人組である。モニター越しでも「ああ、あの人たちね」とわかる雰囲気。相手にとって不足はない。だが、僕は妻から新興宗教にかぎらず、新聞、ケーブルテレビ、健康飲料、マンション等々各種勧誘を受けないよう、きつく言い渡されている。しかし、今、彼女は、メイク中であるため、玄関に出てこられない。ふたたびベルが鳴った。緊急事態である。

なぜ僕が勧誘の対応を禁じられているのか。それは僕が断るまで相手をその気にさせてしまうからである。駆け出しの営業マン時代を重ねて、ついつい相手の話を聞いてしまうのだ。「で、おたくの神様はどうやって僕の幸福を最大化してくれるの?」「クーリングオフは可能?」という調子で、玄関先で長話をはじめる僕に「あ~もう!」と妻の苛立ちが爆発、特に厄介な宗教の勧誘には彼女が対応することになったのだ。

妻が新興宗教の勧誘を失礼のないように断りました。 - Everything you've ever Dreamed

彼女の対応は斬新だった。「私が神です…」といって先制攻撃を仕掛けるのである。微妙に爪先立ちで上下に動き浮遊感を演出している彼女は、色白、前髪眉上パッツン、令和の小林麻美ともいうべきアンニュイな雰囲気といった外見的な特徴もあって、神っぽさが増幅されていた。すると勧誘する側も圧倒されて「なんか、ヤバいところに来てしまったかも」と退散していくのであった。

しかし、その妻はメイク中。緊急事態。ベルが鳴らされた瞬間に「はいは~い」と何も考えずに浅はかに返事をしてしまったことが悔やまれる。ドアに向かって歩きながら、以前のように営業トーク対応をしたら、事後、妻に詰問されて魂が死ぬ。また、ここ一年ほど妻は宗教的な勧誘に対して神対応をしてきたため、継続性のない対応をした場合、これまで積み重ねてきたものが無に帰してしまう。極めて慎重な対応が求められていた。

どうしたらいい?ドアを開ける直前、鼻毛チェックをするつもりで玄関に設置されたミラーを除いた瞬間、そこに映し出された、前夜からの深酒で青白い顔、無精ヒゲ、血走った目、やつれた頬を見た瞬間、アイデアが空から降りてきた。僕は招かざる客の待つドアを開けた。

「神のもとで働く者です…」僕は神に仕える者という設定で対応することにした。目には目を。新興宗教には新婚宗教を。「申し訳ありませんが…神のもとで働く者です…」。マニュアル通りの対応なのだろうか、二人組のメガネが、こんな時代だから我々は助け合わなければいけません、とごく当たり前の口上を述べ、それからこれもマニュアル通りなのだろうね、この不安定な世の中で不安に襲われませんか?と不安をあおるようなことを言う。こうして思想信条のちがう二人組の使徒と話している今この瞬間不安に決まっているだろ。アホか。

僕は目を薄く開け、それから「我が神とあなた方の神は違う」と抑えたトーンで言った。するとメガネじゃない方が、私たちはそういうのとは違うの、といって●●が表紙をかざっているパンフを出して、皆で助け合うことから始めるサークル活動的なものだとアッピールしてきた。表紙の●●に驚きを隠せなかったが、冷静につとめて「では神声(しんせい)を聞いてまいります」と瞬間的に思いついた造語を口にだして、軽く一礼をしてから、奥に下がり妻のメイクする部屋の前で、「俺が下僕でお前が神で」「パンフの表紙が●●」で、といきさつを話し「どうすればいい?」と次の指令を待った。「薙ぎ払え」とドアの向こうから無慈悲な声が聞こえた。ラジャー。

僕は、二日酔いの胃液がこみあげてくるのを耐えながら、玄関まで戻り、「神声(しんせい)がおりました。あなたたちの望みは何か。答えによっては神炎がこの地を焼き尽くすかもしれませんが」と脅迫にあたらないかビビりつつ、言った。メガネと●●が表紙のパンフを持った人の間に動揺が走ったのを僕は見逃さなかった。二人がアイコンタクトをしたのだ。

「望みを…」と僕は追い打ちをかけるように告げた。メガネが「女性ですか?」と想定外の質問をしてきた。以前、妻の「申し訳ありませんが、私が神です…」でやられた記憶がよみがえったのかもしれない。「お答えする権利はありません」「個人情報ですか」「いえ。神は性別を超越しているからお答えできないのです」僕はふたたび妻の部屋の前に戻り、状況を話す。「面倒くさいから私が行こうか?」などと言う。妻が出てきたら、使徒2名と●●の前で、下僕ポジションの芝居を続けなければいけなくなる。人様の前でそれはできぬ。「僕ひとりでやるよ」説得するつもりでドアを開けるとそこには妻がいた。完全に眉毛がない姿を見たのは初めてだ。LEDの光で照らされた眉毛のない額は神々しかった。ザ・神って感じがした。この姿を見れば、使徒たちは即座に退散するだろう。

僕は一足早く玄関に戻った。そして「今、我が神が降りてこられます…」と使徒に告げると、ややあってから、「今日はこのへんにしておきます、パンフを置いていくので興味があったら連絡をください」と言い残して、慄くような表情を浮かべて去っていった。僕の知らないところで、使徒と妻のあいだで、どれほどの激しい神々の戦いが行われていたのだろうか。想像するのもおそろしい。とりあえず、妻にひれ伏しておいた。神とは神を名乗った者だけがなれるのだ。下僕を名乗った僕は逆立ちしても神にはなれないのだ。(所要時間28分)

このような人生の一部を切り取ったエッセイ集を書きました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。

鬼滅の上司

ブームは後から参戦しようとした人たちに「あ、なんか乗ってる人たちがダサいな」と思われたときが終わりの始まりなんじゃないだろうか。先日の会議の冒頭に、社長が「新型コロナの影響で厳しい状況が続くが、全集中で!」なんて言った瞬間、僕は、鬼滅ブームのクライマックスを見た気がした。

「社長の中で鬼滅がキテル」と気付いた上層部の方々が、注意を惹こうと、「ここは全集中で!」「全集中で乗り切りましょう」などと、要所要所で「全集中」を使いはじめたのだ。《こういうプロセスを経て流行が定番になっていく…。》寂しいような嬉しいような気持ちで、ご高齢の上層部一同に突如、巻き起こった鬼滅騒ぎを聞き流していたら、「全集中で終わらせておくべきでしたが」「あれは全集中の予定では…」などと前後の文脈がつながらない全集中があらわれてきて、よもやよもやの様相になってきて眠気が吹っ飛んでしまった。ゼンシューチュー・ノ・ヨテー。前週中だろ。それ。

哀しいかな、平均年齢が60代後半の上層部は、一次情報ではなく、原作や映画に触れた子や孫との会話や、朝の情報番組で報じられていた「鬼滅ブーム」から鬼滅情報をゲットして、手塚先生の「どろろ」みたいな漫画という間違いだらけのイメージを作り上げておられたが、具体的にどのような作品なのか、まったく知らない。知らないものを知らないままキャッチ―な部分を話しているから妙なことになるんだろうなあ…そんなふうに冷静に眺めていると、ブームは異形の方向へ加速していて「こういうときこそ深呼吸よりも強い全呼吸」「激動の時代こそ求められるのは禅の心…」「営業部長には強い柱になってほしい。会社のために犠牲になる気持ちを持って」などというワケ分からない活用形まであらわれる始末。

雑談が許される空気になったときに、我慢できずに、鬼滅を知っているのか、上層部に訊ねると「知っているに決まっているだろう」と社長の手前で一致する面々であった。「竹輪を加えている子が出てくるだろ?それくらい常識だよキミ」という声を聴いたときに僕はもう何も言わないと決めた。たぶん彼らには禰豆子と獅子丸の区別がついてない。

f:id:Delete_All:20201119115125j:image

会議は、体調不良で倒れた担当者の代理で僕が家庭用おせちの販売事業を任されることで全一致で決まり終わった。人柱である。いつかブームは終わる。僕にとっての鬼滅ブームの終わりのはじまりはこの会議になるだろう。実績がある。半年ほど前だろうか、情報番組で情報をゲットした上層部が「明日最終回の『100日後に死ぬワニ』は大ブームになります。ワニにちなんだ商品を用意した方がいいかもしれません」と会議で発言して、ワニ食品の検討をしはじめた翌日、100日ワニのブームは光の速さで終わった。無惨であった。(所要時間14分)