Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

属人化を排除した結果、「あなたはいてもいなくても同じ」と部下に言われた。

僕は食品会社の営業部長、自分で言うのもなんだが部下に慕われている部長と自負している。その証拠に、先日、休みを取ろうとしたら、部下の一人が気を使ったのだろうね、「いてもいなくても同じですから休んでください」と言われた。一瞬、思うところはあったけれども、ポジティブシンキングで目指していた自由に発言できる風通しのいい組織の証明ととらえた。実際、営業部を今の体制に変えたのは僕なのである。

4年前、僕は中途入社した。それまでの経験から案件の発掘から成約まで一人でやりきってしまう営業マンを揃える営業組織に限界と疑問を感じていて、意見を同じくする社長のもとで、これまで組織を変えてきたのだ。ホークアイで見込み客を見つけ、マジカルトークで有力案件に育て、ミラクルな企画提案で契約を取るスーパーな営業マンを僕は否定しない。でもスーパーマンに依存した仕事のありようは組織としては正しくない。スーパーマンが退職したときに抜けた穴の他に何も残らないからだ。任せていた案件は停滞し、最悪、消滅する。

僕は四半世紀の営業人生で、突然辞めた同僚から引き継いだ見込み客に「あの人だから耳を貸して話を聞いたのに~」と何度も言われてきた。同業他社へ転じた同僚に顧客をもっていかれたこともある。仕事の属人化だ。経験から属人化のマイナス面はプラス面より大きいと確信した。だから変えた。

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現職の営業部も僕がやってきたときは数字をあげるベテラン営業マンの個に依存した組織だった(1)。ベテランたちの仕事はブラックボックス化していた。部署内でも抱えている顧客はわかっても進捗や詳細は不明だった。危うさを覚えたのは、彼らが、会社内での立場が微妙になったとき(ノルマ未達などで)、容易に顧客を手土産に同業他社へ移ることができることに気づいたときだ。

そこでチーム制に変えた(2)。市場調査と見込み客発掘から有力案件化までの営業活動、企画提案まで営業マン個人ではなくチームで担当して成約までもっていく組織にした(以前このブログでも書いた)。f:id:Delete_All:20210511164026p:plain

その結果、個に依存しないぶん、新規開発数と成約数は安定した。ベテラン3人はやり方が合わないといって退職したが、見込み客や案件も引き抜かれる事態にはならなかった。

残念ながらうまくいかない点もあった。時間の経過とともに新規見込み客の発掘が停滞したのだ。見込み客が有力案件となり企画提案へと段階を進むにつれて、新規発掘に投じるパワーが減ってしまったのだ。また、1の個に依存していた体制では出来ていた尖った提案営業がなくなり、他社とのコンペで負けるケースも出てきた。チーム制にしたことで個性が抑えられてしまったとも考えられたが、新規発掘から企画提案までをチームで対応すると個でやるよりも融通がきかず、新規発掘をおさえて企画提案に注力すべきときにそれがなされず力が分散される組織の問題と考えた。

その点を踏まえて3。新規開発の入り口。市場調査やダイレクトメールやテレアポによる新規発掘を外注化した。

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最近の業者さんは優秀でこちらの依頼と希望に応えてくれる。中小企業の営業で新規が伸びないときは導入を検討する価値はある。外注によって新規アプローチ数は増えた。それに伴って見込み客も増加。だが有力案件と成約は期待ほど増えなかった。当初は慣れの問題と考えて半年間この体制で動かしてみた。データを見てわかったのは、外注からバトンされた新規顧客が多すぎて各営業チームがその対応に追われ、ロスに繋がっていることがわかった。

外注によって新規発掘(窓口)を増やす。チーム制による属人化を廃した営業活動。ここまでは間違っていない自信があった。だがこの2つをリンクさせたときのロスが問題だった。

悩んだ結果、人員を割いて新しいチームをつくった(4)。外注業者さんから新規発掘された見込み客に対応して有力案件まで育てるチームだ。これまでロスの原因になっていた有力案件にならないあるいは時間のかかる見込み客を取捨選択と育成を行う。原則面談はせず電話営業とメール対応することで少人数で時間と手間を削減した。

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そして有力案件になった時点で各営業チームに渡す。各チームは有力案件にパワーと時間をかけて成約を目指すようにした。パワーと時間をかけられるようになって、尖った企画提案も出来るようになった。何よりもキツくて時間のかかる案件発掘から解放されたことがプラスに動いた。属人化を排するところからスタートし、効率を求めた今の組織まで試行錯誤しながら進めてきた。その結果、昨年度は新型コロナの影響を受けながら対前年130%を達成した。

現在の会社に入る前、数か月の無職時代(アルバイト時代)、ありあまっていた時間をつかって、仕事のあり方について考えに考えた経験が今、活きている。あのとき何も考えていなかったら失敗を繰り返して怨念垂れ流しモンスターになっていただろう。前職の僕も囚われていた「オレがいないとダメな職場」という考え方は本人のプライドを満たすだけで、会社にそのプライドを利用されているだけということに僕は気づいた。スーパーな営業パイセンたちは例外なく会社に使い捨てされていた 。自分達は会社を見限ったつもりでいたのが哀れだった。

僕は25年間営業マンで食べている。スーパーマンまではいかなくてもパーマン5号くらいのレベルには達している。パーマン5号レベルの僕も前職を辞める前は「お前しかいない」と会社に持ち上げられて使い捨てされたからよくわかる。

営業のスーパーマンたちは仕事を属人化してブラックボックスを作って自分がいなくなったらという不安定な状況をセルフプロデュースしてそれを解決しているだけである。そして良いように使われて結果が出せなくなった途端に組織から捨てされていった。古くから続く営業開発部門はそういう組織だった。だが長期的にみれば、誰が欠けても同じように結果をだせる安定した組織のほうがより大きな結果を出せるはずだ。蓄積と継続性があるからだ。

僕はスーパーな営業マンは否定しないといった。ある程度の属人化は有効であると考えているからだ。誰が欠けても変わらず継続していく安定した組織のうえで自分の個性を活かしていく限定的な属人化をはたしていくのが、営業にとどまらない仕事のあり方だろう。ひとことで言ってしまえば、「『オレが辞めてもいいんですか?』というくだらない脅ししか出来ないくらいの個性に価値があると勘違いするな」になる。昨日までの仕事はできるかぎり標準化し、そこで削減した労力と時間を活かすことが、新しいものを迅速に産み出す土壌になるのではないか…そんなことを有料駐車場のバイトをしながら僕はぼんやりと考えていた。

そして現在に至る。部下から「いてもいなくても同じ」と言われたのは目指してきたものなので少々ムカつくけど納得はしている。だがなんとなく寂しい気持ちにもなる。それは、かつてのスーパーな営業マンへの憧憬が僕のなかにまだあるからだろう。(所要時間46分)

こういうお仕事論もあるエッセイ本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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客が殺人で捕まった。

20数年前、新卒で入社して1年目の秋に、香辛料を扱っている会社の担当を任された。代理店業務だ。海外から輸入した香辛料の原料を、指定された日時に工場へ納品する仕事。取引相手の会社はS県に本社があり、商品はI県にある現場にコンテナで届けていた。僕が入社した時点で、すでに長く、安定して、続いていた仕事で、大きなトラブルが起きたこともなく、取引額もそれほど大きなものでなかったので、無駄に大きな仕事を抱えた部署のなかで、新人が任される初めての仕事としてうってつけだった。

仕事上、会話といえるものは、I県にある現場の担当者との電話での連絡や打ち合わせがあったくらいで、S県にある本社にいる社長その他と話をする機会は限られていた。それでも月に何回かは商品の入荷予定の確認で話していた。仕事自体はベリー・イージーで、基本的なことはすぐに覚えてしまった。引き継いでから数か月間、トラブルは何もなかった。「はいっ。〇〇でっす(会社名)」と会社名のみで対応する納品先のI県の現場の担当者のオッサンと、雑談こそないものの、コミュニケーションも円滑で、何も問題はなかった。「はいっ。〇〇でっす。手続き終わった?そしたら今週末の午後イチにいつもの感じで貨物つけて」「わかりました」というふうに。ときどき植物防疫所の検疫に立ち合うことをのぞけば面倒は何もなかった。

無風状態にありすぎて油断があったのだろう。担当して半年ほどたった日。指定された時間に納品できないというトラブルが発生した。手続きに予想外の事態による遅れが出てしまったこと。物流会社のドライバーが急病で代理の人間の手配が遅れてしまったこと。それから首都高で大きな事故が起きてしまったこと。そういった不幸が重なってしまったこと。なにより、担当者である僕の状況把握と連絡の遅れが、約束した納品日時に貨物が届かないという失敗と連絡の遅れによる現場の混乱というさらに大きな失敗を起こしてしまった。完全に担当者である僕のミスと怠慢が原因だった。

現場のオッサン担当者は、半年経ってもあいかわらず電話に出る時は会社名しか名乗らず淡々としたやり取りに終始する人だったけれど、そのときばかりは、いかにも「現場あがり」というような、荒っぽい言葉で僕を叱った。いや、罵った。仕事をナメているのか。バカにしてるのか。謝ればすむと思っているだろ。バカヤロー。ぶっ殺すぞ。何か言えよコノヤロー。そういう類の言葉だ。「そこまで言わなくても…」と思ったがが、非は完全にこちらにあったので、謝罪するしかなかった。

後日、対策案を携えて上司とS県の本社を訪れた。社長さんは穏やかな性格の人で、当時50才くらい。「これからは頼むよ」のひとことで謝罪と対策案を受け入れてくれた。作業工程が丸々ボツになってしまったのだから、現場のオッサン担当以上にハラワタ煮えくり返っていたはずだ。僕は現場のオッサンのように罵倒してくれたほうが気が楽なのにと思った。なんというか人間としての格の違い、余裕を見せつけられた気がして、それがかえって、じわじわと責められているような気分がしたのだ。実際、その後しばらくは、社長の穏やかな声を聞くたびに、僕は負い目を感じることになった。現場のおっさんの罵倒は、厳しいものだったけれど、そのぶん、あのときかぎりで、後には引っ張るような感じはなかったので気が楽だった。謝罪の席の終わり、僕は社長に「現場の担当者の方にもあらためてお詫びをしたいのですが」と申し入れた。「ああ。それは別にいいよ」と社長は言った。それだけで終わってしまった。

トラブルから1年も経たないうちに、その社長が捕まった。殺人だ。同僚を殺してしまったのだ。保険金をかけて。計画的に。僕は、25年間の会社員生活のほとんどを営業マンとして過ごしてきて、偉人、変人、奇人、超人、凡人いろいろなタイプの人間を見てきた。チャンスやピンチもあった。チャンスを大ピンチに変える上司もいた。事件や事故や病気で命を落とす知人もいた。けれど、衝撃度という点でいえば、打ち合わせや電話で話をしていた人、日常の一部であった人が、突然、殺人犯になってしまってしまったことを超えるものはない。

社長のワンマンに近い形態で経営をしていた会社(と思われる)だったので、業務は完全に止まってしまった。コンテナに入った商品と売掛が残った。電話をかけても繋がらなかった。上司からは「お前さ、仕事で話をしているときに相手が人殺しだってわからなかったのかよ」と無茶な詰め方をされた。「犯罪者はさ、顔つきや声が普通じゃないから、気付くんだよ。変化に気付けない営業は営業失格だ」と言われた。電話越しで話している人のことを「こいつ人殺しているのかな?」と疑いながら生きている人が名探偵コナン君以外に存在するのだろうか。

確かに、ニュースで知ることになった社長が事件を起こしたと思われる日時も計画殺人を立案して準備をしている期間も、僕は普通に電話で話をしていた。社長も普通に来月の予定や今後のスケジュールも教えてくれた。だが、普通ではないことは普通ではないことのなかで起きるのではない。普通のなかにこそ普通ではないことが起きるのだ。普通ではないことは普通の顔をして、いつも僕らのまわりにある。何かのきっかけで姿をあらわすものもあれば、永遠に普通の顔をして終えるものもあるのだ。上司に詰められて、S県にある本社まで足を運んだけれども、何も収穫はなかった。その会社との取引も終わり、幸いなことに、売掛を回収することも無事にできた。その会社は解散したと誰かから聞いた。僕は、つい先日まで、ずっと、あの穏やかな社長と凶悪な事件とを繋げられないでいた。

事件の衝撃が大きすぎて、ディティールは損なわれてしまっている。爆風のように、あったはずのあらゆる感情を吹っ飛ばしてしまい、僕のなかでは「ウソ!」「ショック!」という感嘆詞をもって片づけられてしまっている。2021年になって、当時の僕が知らなかったことが掘り返されて、衝撃199Xが恐怖2021に変わった。きっかけは当時の先輩同僚との横浜駅前での偶然の再会だ。

かつての先輩は、僕との共通の話題を見つけるのを諦めてしまうと、当時の仕事で印象に残っている人や出来事をあげていった。「あの人は会社を辞めて…」「あの会社は事業を売却してしまったらしいよ」彼は軽い気持ちから、「そういえば人を殺してしまった客のこと覚えているか?」と訊いてきた。もちろん覚えていた。忘れられるはずがない。その先輩から僕はその仕事を引き継いだのだ。「いろいろ大変でしたよね」と僕は言った。そして僕のミスから起こったトラブルとそれにまつわる謝罪のエピソードを話した。「現場のオッサンからは怒鳴られたけれど、社長からは優しくされたんですよ。でも、レクター博士みたいに、一見、紳士的な人が殺人を犯してしまうものなのかもしれないですね…」と切りだして、僕は社長の態度に対する違和感とその後しばらく気がかりになっていたことを先輩に話した。

先輩は「おかしいなそれ」と反応した。僕は、先輩も僕が覚えていた違和感に同意してくれた。そう理解したが違った。先輩は「あの社長…普段はI県の現場で仕切って対応もしていたはずだぞ…」と言った。怒鳴り散らしていた現場オッサンと優しくしてくれた社長は同じ人物でまちがいないと先輩は断言した。先輩は担当しているときに、たまたま訪れた現場で社長が他の電話にバイオレンスな口調で激高しているのを観たことがある、だから間違いない、と根拠を教えてくれた。「ワンマンだったから現場の仕切りも誰にも任せていなかった」「厳しい口調ではあったけれども、ぶっ殺す、みたいなヤバい言葉は使っていなかったと思うぞ」とも先輩は言った。きっと、何かのきっかけ、道を踏み外してしまううちに、激しさのなかに、ヤバさが混じるようになったのだろうと僕は考えた。

社長=現場のオッサン。片方は電話越しであるという要素はあっても、同じ人物とはまったく思えなかった。完全に別の人格だと思っていた。ずっと。だから、現場の方にも謝罪したい、と申し出たときに、別にいいよ、と言ったのか…。別人レベルの穏やかさと激しさ。社長の中にあったものが20数年後にやっと見えた気がした。従業員をうまく話をして保険金をかけさせ、暴力的に撲殺した事件。事件のすべては彼の中にあったように今は思える。普通の顔をしているなかにこそ普通ではないものはあるのだ。

後日談がある。「犯罪者はわかるだろー」と僕を詰めに詰めた上司は、あれから3年後に会社の金を横領していたのがバレて立派な犯罪者になった。僕はまったく気が付かなかった。「犯罪者は普通じゃない」とかよく言えたものである。

今、僕は業界をかえて食品会社で働いている。先輩との再会で思い出したあの会社がどうなっているのか知りたくなってネットで調べてみた。会社名で検索するとあの殺人事件の記事がヒットする(多分検索すればわかってしまう)。ワードをかえて検索したらまったくちがう会社名になって事業継続していた。代表者こそ、かわっていたけれども、よく、あの状況から…立ち直ったものだ。道を外さず普通であり続けること、外れたかな?と気付いたとき、普通に立ち戻る強さは、それだけで価値があるものなのだ。この事件のことを振りかえるたびに僕はそんなことを思いだすだろう。(所要時間55分)

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たった1枚の紙切れで10年間の夫婦関係が…

「ちょっといいかな」妻は言った。3月中旬の朝。ダイニングテーブルの上のマグカップからはコーヒーの湯気が立っていた。「なにか…」と僕が言おうとするのを遮るように、彼女は「これ」と言った。彼女の前には一枚の紙が置かれていた。いつからそこにあったのだろう?まるで魔法のようにその紙はあらわれた。それが意味するものは明確で、内容を確認するまでもなかった。言葉は神だ。もし紙に書かれたものを読み上げたりすれば、それは現実になってしまう。その現実を認めることになる。

その紙が示す現実はひとつだけれど、受け入れる僕らには二つの終わりが提示されていた。はじまりと終わり。僕らは結婚して10年になる。暴かれた僕の罪によってこの関係は終わろうとしていた。線香花火の終わりのように最期に輝きを放つこともない、ただのジ・エンド。罪刑法定主義によれば、《犯罪とそれに科せられる刑罰はあらかじめ法律に 規定されている範囲にかぎられる》。法が変われば罪も変わる。罪でなかった行為も罪になる。我が家の法は妻である。妻という法によって僕は裁かれ断罪されるのだ。

真向いに座っている彼女はその紙を僕のほうに押し出し「観念しなさい」と言った。「こんな一方的なやり方はフェアじゃないよ」僕は言い返した。「そうかしら」と彼女はいうと紙に書いてある言葉を読み上げはじめた。言葉はシンプルだった。シンプルがゆえにひとつの意味しかなく、逃げ道になりうる他の意味は見出せなかった。僕は「死刑宣告を受けるときってこういう気分なのかな」と思いながら静かに聞いていた。「ヨコハマー〇ワッピング」「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」「FINISHにて常連カードと交換いたします」妻は冷静に僕の罪状を読み上げ「反論は…ないよね」と断罪した。

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▲2021年4月13日時点で回収された2枚

なぜ、今これが、どこで、なぜ、どうして、誰が、という数多の疑問はある。それ以上に僕は、独身時代のロックな活動を正当化することの難しさの前に打ちのめされていた。10年前に処分したはずのロックな黒歴史。なぜこれが2021年に復活するのか。2001年は無罪でも2021年には重罪。粗雑なつくりのカードには日時西暦記載がなかった。2001年に使われたものであるという証拠はない。僕が反論を考えていると、妻は「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」「ハレンチ・ドット・シーオー・ジェイピー」と繰り返した。そこには反論は受け付けないというダイアモンドの意志があった。

弁解も認められず、赦されもしなかったけれど、執行猶予はもらえた。妻からは高級エステおよび形成外科代を出すよう求められた。ざっと計算して僕の平日ランチ代(約300円)の10年分の金額であった。選択肢はなかった。僕に出来ることは、妻が「私が綺麗になったらキミも嬉しいでしょ」と勝利宣言するのを平伏して受け入れることしかなかった。おそろしいことに彼女の手にわたった紙はまだ他にもある。その数が死海文書ほど多くないのがせめてもの救いだ。(所要時間18分)

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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は始まりの物語だった。

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シン・エヴァ観てきた。見事な完結編だった。ひとことでいえば、卒業式のような映画だった。「終劇」直後、隣で鑑賞していた僕(47)と同世代の男性がボロボロ泣いていた。その気持ちはわからないでもなかった。「この終わらせ方しかない」と納得させてしまう見事な幕引きは、「エヴァは終わった。もうエヴァを本気で振り返ることはないんだ」という寂しさも覚えさせた。卒業や旅立ちのときに感じる、あの爽快な寂しさだ。なお、この文章は鑑賞直後にコーヒーを飲みながら、ネタバレをしないように書いた駄文である。

これまで僕は新劇場版をあまり評価していなかった。「序」「破」「Q」は惰性で観てきていた。テレビ版とそれを補完する旧劇場版で物語は完結しているので、新劇場版を蛇足だととらえていたのだ。実際、新劇場版を観てもテレビ版や旧劇ほどの熱さを覚えなかった。テレビ版は95年、阪神淡路大震災とオウム事件、旧劇は97年、サカキバラ事件(犯人がシンジ君たちと同年代)といったあの時代を反映していたし(意図的かどうかは知らない)、僕個人の学生から社会人になる変化の時期とも合致したので、旧劇「まごころを、君に」のラストがスッキリしないものであっても、現実ってモヤモヤするものだよね、と納得はしないけれども受け入れてきたのだ。エヴァはテレビ版でも旧劇版でも、物語の終わりまで成長しないシンジ君にモヤモヤしながら、大人になれない自分を確認するような場所だったのだと思う。だから物語に残された謎についての解釈や考察がされ続けたり、グッズが販売され続けたりすることで終わっているけれども終わらない物語としてのエヴァと、自分のなかに在り続ける大人になれない部分とを重ねて安堵していたのだ。

だから新劇場版がスタートしたときは、物語をただ新解釈で再起動するのならヤメてほしいと思った。再びはじめるのなら、ぐうの音もでないくらい完璧に終わらせるものであってほしかった。そしてそんな芸当が出来るとは到底思えなかった。それくらいエヴァは大きな物語になっていたからだ。新劇場版が始まり、「序」「破」「Q」とシリーズが進むにつれ、「これどうやって終わらせるの?」感は強まるいっぽうで、完結編への期待値は正直いって低かった。新劇場版全体の構成からみて、「破」と「Q」のあいだの空白期間を描き、思わせぶりなセリフといくつかの謎を残して、モヤモヤさせるいつものエヴァで終わって、僕らの大人になれない部分のモラトリアムは続く…みたいな終わりかたを予測していた。

だが、今作は僕の予想を裏切った。上回ったのではなく、裏切った。今作はエヴァという物語をシン・ルートで終わらせるのではなく、テレビ版と旧劇版とコミック版を含めた「新世紀エヴァンゲリオン」の全ルートを走破したうえでエヴァのすべてを終わらせるという力技で終わらせた。エヴァという物語と現象を終わらせるには、これしかない、というフィナーレだった。映画としては、前半で描かれる平穏パートはダレるし、そこで描かれたものを守るために戦うみたいなカタルシスもない、あの曲使うのはちょっとダサくない?、碇ゲンドウが話しまくってしまうのはキャラ崩壊じゃないの?と突っ込みたい部分もあったけれども、エヴァという物語全部を終わらせる映画としては完璧だった。新劇場版から登場したマリの存在理由が今作でよくわかった(「Q」まではなんでいるのか、存在理由がわからなかった)。マリはエヴァという物語を終わらせるための使徒だった(劇中の使徒ではありません)。エヴァという物語を終わらせるためには、テレビ版と旧劇版に登場しない存在によって(ネタバレしないように慎重に書いています)、テレビ版と旧劇版のシンジ君を救う=テレビ版と旧劇版を終わらせる必要があった。それがマリだったのだ。

新劇場版において、そして今作でも、マリがシンジ君の匂いをかぐという仕草が繰り返される。彼女がシンジ君からLCLの匂いを感じなくなるとき、シンジ君は大人になる。あのシンジ君が大人になったのだから、とエヴァを見続けてきた僕らも大人にならざるをえなくなる。綾波レイの「碇君がエヴァに乗らなくていいようにする」というセリフはシンジとエヴァを観てきた人への言葉だった。そう、エヴァに乗っていたのはシンジ君でありエヴァという物語を観続けてきた僕らだ。そしてエヴァに乗らなくなることは、テレビ版と旧劇版のモヤモヤにあった大人になれない部分との別れである。青春の終わりだ。当然、寂しさはある。僕の隣にいた男性はボロボロ泣いていたのも寂しさの直撃を受けたからだろう。

登場するキャラクターがそれぞれの落とし前をつけていって(それと「あいつ生きていた!」的な驚きの連発)、今作で新劇場版を含んだ「すべてのエヴァンゲリオン」が終わった。見事に終わった。考察とかネタバレとかどうでもいいくらいにスッキリ終わった。明日も頑張ろうという前向きで爽快な気分になったのはエヴァを25年観てきて初めてだ。エヴァは「シンジ君何やってんだよ」の絶望の物語から「シンジが卒業したのなら俺たちも出来る。俺たちも行こう」の希望と始まりの物語になって終わった。さらば、全てのエヴァンゲリオン。「胸の大きなイイ女」が最高なことを思い出させてくれてありがとう、エヴァンゲリオン!(所要時間40分)ツイッター→フミコ・フミオ (@Delete_All) | Twitter

とあるジョブホッパーの退職に寄せて

僕は食品会社の営業部で働く中間管理職。短期間で転職を繰り返すジョブホッパーに対して偏見を持っていたけれども、実際に同僚として働いてみて、今はその偏見が違うものに変化している。「己のスキルアップ、キャリアアップしか考えていない人」「ひとつの会社にこだわらない柔軟な発想とさまざまな会社で磨いてきた高スキルの持ち主」「転職のたびに高給をゲットする人」これら、僕がジョブホッパーに対して持っていた偏見、ひとことであらわせば「会社を踏み台にするいけ好かない野郎」は、根拠のない、悪意に満ちたものであったと反省している。

先月末で退職したカトー氏(42)とは1年間一緒に働いた。彼が入社面接で言い放った「3年以内で転職するつもりです」という言葉と2~3年毎に繰り返す転職を記した職務経歴書。面接における堂々たる様子。面接で語られた20年にわたって住宅・電機・薬品・運輸と異なる業界で営業職として積み上げてきた圧倒的な実績。これらすべてが彼が本格的ジョブホッパーであると示していた。「彼は即戦力に間違いない」僕とボスは確信して採用を決めたのである。最終面接で「3年で辞める」と言い切れる自信は、相応の実力の裏打ちがなければ出てくるものではないだろう?

実力を見込んで大型案件のチームに入ってもらった。その案件は僕を含めた3名にカトー氏が加わった。書類選考から3次選考まで、時間と手間がかかる案である。打ち合わせにカトー氏を連れていって、ヒアリングを任せた。営業職の力量は相手への質問でだいたいわかる。「御社の望まれているものは?」「抱えている問題を教えてください」……。

彼の質問内容は可もなく不可もなく平均的なものであった。合格レベルだ。だが彼に対する期待値に比べると不満の残るものだった。チーム内に起こった「本領発揮はこれからでしょうかね」「3年でいなくなるホッパーにアイドリング期間なんてあるのだろうか?」という不安は的中した。カトー氏が実力を発揮できない場面は続いたのである。それなりの待遇で迎えているのだ。やってもらわなければならない。

個人ミーティングを設けた。カトー氏は結果が出ないことに焦っていた。「期間が限られているので、時間のかかる大型案件に力を割いていられない」と理由を述べ、だから気合が入らなかった、と彼は謝罪した。それから彼は「短期で決着する案件を回してくれればバリバリやります」と宣言した。彼の言葉を信じて、結果が早期に出る小型案件を任せたところ、宣言どおりにバリバリ数字をあげだした。適材適所というよりは、使い道に困ってしかたなく任せたというのが実際である。カトー氏に小規模かつ短期で決着する案件を集中して任せて、そのぶん浮いたマンパワーを他の案件に充てるというチームマネジメントは、予想を越えてうまくいった。チーム全体として大型案件に集中して取り組めるようになり、かつ、小型案件を漏らさないようにできたのだ。ホッパーとハサミは使いようである。この状態が1年ほど続いた。

結果こそ出してはいたものの、チームマネジメントとしては冷や冷やもののタイトロープ状態であった。なぜなら、誰でも片手間に出来て数字を挙げられる案件を、カトー氏が一手に引き受けて数字を挙げていたからである。営業成績を盗まれたと考えている人もいた。着実に簡単に数字をあげるカトー氏と、彼に楽勝案件をゆずって不満たらたらの人たち。破綻は目に見えていたので、カトー氏を小型案件専門から外して、ふたたび大型案件を任せるようにした。「私に任せてもらえればチームとして数字を挙げられます」とカトー氏から意見されたが「キミに期待しているのは誰でも出来る仕事をこなすことじゃない」と退けた。

僕は自分の偏見の正体がわかってきていた。カトー氏は様々な業界を渡り歩いてきていたジョブホッパーである。転職のたびに好待遇を得てきている。なぜ同業界内でジョブホッピングしないのか。それは面接時や就職後に業界特有の細かい質問をされてボロが出るからではないか?異なる業界にジョブホッピングすれば面接時に「他業界で頑張ってきたんだー凄いねー」と褒められる一方で業界特有の細かい質問はされない。たとえば食品業界で働いている僕からは、自動車業界独自のものは見えない。それゆえ面接で質問できない。また、ジョブホッパーという看板を掲げれば、「彼はすぐに辞めちゃうから」という見極めをされて、会社側から機密性の高く、難易度の高い仕事を与えられず、その結果、専門性や技術力は必要とされない。僕はジョブホッパーの中に、働き方に対する価値観の違いではなく、生きるための処世術を見出していた。

彼は、難易度の低い仕事をスマートにこなすことに長けていた。それは個性である。残念ながら高給に見合うものではなかった。性格的には良い人物なので、これからの働き方についていろいろと話をさせてもらった。するとカトー氏は、怪獣を倒したウルトラマンのようなアルカイックスマイルを浮かべて「辞めます」と言った。それから彼は僕が会社員人生を続けているかぎり忘れないであろう言葉を口にしたのである。

「私を踏み台にして、皆が結果を出してくれればそれでいいんです」

ジョブホッパーは、己のために会社を踏み台にする人ではなかった。会社のために己を踏み台に捧げる人であった。己のスキルアップを第一にする人ではなく、スキルがばれないことを第一にする人であった。さまざまな業界で経験を重ねたのではなく、同じ業界ではボロが出てしまうから他業界を渡り歩いてきただけであった。こうして、すべての虚飾を剥いでしまうとジョブホッパーはサラリーマンと同じ…いや、サラリーマン以上に哀しく不自由な生き物であった。(所要時間38分)2019年にエッセイ集を出しました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……

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