Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

食品会社社員が緊急事態宣言下の飲食店経営を強引に前向きに考えてみた。

僕が暮らしている神奈川県に緊急事態宣言が出た。食品関係会社で営業職として働く僕も、予定されていた出張を急遽取りやめ、しばらくは2週間に1度の出勤日以外は在宅勤務になる。マスメディアは、「緊急事態宣言下にある飲食店は20時閉店の要請にしたがい厳しい経営が予想される…」などと、飲食店の置かれた厳しい状況を、「もう商売にならない」「補償をちゃんとしてほしい」という店主のインタビューと共に伝えている。

大方はそのとおりだ。だが、緊急事態宣言はトリガーにすぎない。飲食店の多くは、以前から厳しい状況が続いていて、新型コロナと緊急事態宣言でその状況が全国一斉に露わになったにすぎない。言い方を変えるなら、個人経営の飲食店の多くは、元々、経営基盤が脆弱なのだ。たとえば、何十年も創業以来の値段を守っている飲食店がある。僕もそういう店は大好きだ。大変素晴らしい経営努力ではあるが、あらゆる仕入れ価格が上がっているので、価格据え置きは不自然ともいえる。「値上げをしたらお客が離れてしまう」という店主の声がすべて。立地も変えられず、広告宣伝費もかけられない、個人飲食店にとって既存客を失うのは死活問題のため、価格を据え置きあるいはわずかな価格改訂にとどめている。

昨年から飲食店と商談をしていて気づいたことがある。「経営が苦しいから利益を乗せないでくれ」という要望を受けることが増えたのだ。半分冗談の利益度外視。だが、冗談から垣間見える本音ほど深刻なものだ。利益度外視でものを売るということは、ただで譲るようなものである。もちろん投資して、利益を後から回収する案件はあるが、不安定な個人経営の飲食店に投資するほどウチの会社に余裕はない。利益度外視を相手に求める根底には、「自分は利益度外視で経営しているのだから、協力してほしい」という謎の自負とわずかばかりの驕りがあるのではないか。その自負と驕りが適正な価格設定を阻んできたのだ。何十年も低価格で提供しているのは素晴らしいことだけれども、仕入れ価格に応じた価格設定をして適切な利益を確保していくことはもっと素晴らしいことだ。

提供する商品(料理)に魅かれて通っているホンモノの客(ファン)ならば多少の価格アップは理解してくれる。逆にいえば、価格アップによって離れていく客は価格に魅力を感じていただけの偽ファンである。ファンと偽ファンを振るいにかけずに旧態依然の経営をしていれば、客と売り上げは確保できるがじり貧で、適正な価格設定と利益確保ができず、経営基盤は弱くなる一方だ。販売価格を例にしているけれども、設備投資や人員確保、後継者がままならないのも、商売がオワコンでも古いからでもなく、経営基盤が弱いからだ。

僕はそういう個人経営店をいくつも見てきた。古い店主は頑固な人が多く、「適正な利益を確保しましょう」という僕の言葉は「搾取しましょう」「儲けましょう」といっているように聞こえてしまうようで、なかなか耳を貸してもらえなかった。残念ながら今回の緊急事態宣言を生き残れない店もあるだろう。もし僕が粘り強く話をしていたら、今回の窮状を乗り越える可能性を高められたかもしれない。そう考えると後悔しかないが、時は巻き戻せない。よく、コロナの前の生活を取り戻すというフレーズを耳にするけれども、コロナをきっかけに前より逞しく良い生活にすることが大事だろう。

個人経営の飲食店ならば、程度の差こそあれ「お客様は神様」という捉え方がある。客を神様から本物のファンに捉えなおし、適正な利益を確保して経営基盤を強いものにしていく店にしていくことがコロナ後の飲食店の在り方になる。おそらく第二・第三の新型コロナがやってくる。それに備えて乗り越えられる体制を作っておくようにすることが、今回の経験を活かすということだ。偉そうなことを言っているけれども、僕も一人の客として、値上げをした店には「なんだよ…」という感想を持ってしまう。内容は変わらないのに値段が上がることに抵抗を感じてしまう。そんなときは少し想像力を働かせて店側に立ってみて、それから判断を下せばいい。店側に随分と甘い考えにも見えるかもしれないが、きちんとしたものを出していなければ、客は去っていくばかりであるし、ダメな店はこれまで以上に淘汰されていくはずだ。

適正な利益を確保して経営基盤が強くできる個人経営の飲食店とは、良質なサービスを提供して、価格改訂をしてもファン化した客が支えてくれる店ということになる。低価格という劇薬がなくなったとき、ファンの期待に応えられない店はなくなっていくということでもある。個人経営の飲食店はどこも生き残れるくらいのクオリティの料理を出しているのが希望だ。

個人経営の飲食店もたまには格安ショップで買ってきた肉なしの焼きそば(しかも超薄味)を2000円で売っているキャバクラのように、もっと自分本位に経営をしていい。客はわがままなもので、閉店のポスターを出したときに「もっと店を利用すればよかった」「閉店ホントに残念」といってセンチメンタルに浸るばかりですぐに店のことなど忘れてしまうのだ。自分本位で勝手なのだ。私事になるが、緊急事態宣言が出たあと僕は某キャバクラ嬢を心配してLINEしてみた。「ごめ~ん。連絡してなくて~」という言葉が来るのではという予想は裏切られ、届いたのは。「もう昼の仕事してんから永久に連絡しないで」という冷たい言葉であった。個人経営飲食店、店主各位にはこのようにファンを裏切ることのないようにお願いしたい。(所要時間31分)
このようなお仕事文章満載の本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

2度目の緊急事態宣言で明らかになったこと

2021年1月8日僕の暮らしている神奈川県に緊急事態宣言が出された。昨日、緊急事態宣言への対応を社長以下部門長レベルで話し合った。対応といっても、昨年春の緊急事態宣言の際に業務効率化の推進とテレワークの導入を完了しており、さらに宣言解除後に東京にあった営業拠点の廃止と、地方での事業展開を進めるための協力会社との業務提携契約締結(この二つは僕が前職のコネを使ってまとめた)を次の緊急事態宣言に備えて終えているので、「あれは問題ないよね」という社長に「問題ありません」と返すだけの確認作業であった。食品会社なので、売上の減少や現場でのさらなる感染対策といった問題はあるけれども、基本的にはこれまでの取り組みを継続すればいい。会議はあっという間に終わる。はずだった。

なぜ終わらなかったのかというと高齢化著しい上層部が「本社をカラにするわけにはいかない」とか言い出したから。残り少ない命を燃やしているのだ。ひとりで燃えていればいいのだが、ときどき火の粉を飛ばして山火事を起こすから始末が悪い。彼らは「テレワークはできない。自分たちには出社してやる仕事がある」と主張した。具体的には書類の確認とハンコ押し。立場が全然わかっていない。彼らの仕事がテレワークできないのではない。何も仕事をしていないのでテレワークさせようがなかったのだ。緊急事態宣言は残酷だ。マジメに働いていた人から仕事を奪い、仕事をしていない人の実態を白日のもとに晒してしまうのだから。

僕は彼らを憐れに思い、「そろそろ現実を教えてあげよう。それが武士の情け、慈悲の心というものだ。彼らの自尊心を傷つけないようにオブラートに包んで教えてあげよう」という上から目線から「出社してもやる仕事ありますか?社員はいません。ハンコを押す書類も回ってきませんよ。会社にいる意味がありません」と諭すように言った。オブラートに包むのは忘れた。

彼らは激怒した。「パソコンやタブレットの画面で書類を読んでも確認したことにはならない」「画面に承認印は押せない」「書類は紙でなければ」と抵抗する彼らはもはや、社長に反抗する賊軍であった。社長の意向で社内文書はハンコなしでオッケーになっている。当面の社長の意向はテレワーク推進によって出社する社員を最小限におさえることだった。緊急事態宣言はきっかけにすぎない。その先には家賃その他経費を圧縮するための本社縮小移転があり、おそらく、その先には先代社長から引き継いだベテラン上層部の一掃があるはずだ。僕は社長に視線を向けて「今こそ奴らを一掃するチャンスです。波動砲をかましてください」とアイコンタクトを送った。社長は僕に「君は間違っている」と言った。社長の波動砲は上層部ではなく僕に向けられていた。うそーん。完璧に社長の意図を汲んだはずなのに…。

社長は「なんでも一律に在宅勤務にするのは乱暴すぎる」と僕を諭してから、上層部に「そこまで出社にこだわるなら出社してください。時間に余裕があるでしょうから、緊急事態宣言が終わるまでに新規事業計画を作って私に出してください。手書きは禁止します。パソコンで作ってデータでください。エクセルでもワードでもグーグルドキュメントでもかまいません」と言った。それはパソコンをまともに使ったことのない上層部にとって事実上の死刑宣告であり始まるやいなやゲームオーバーのクソゲーのプレゼントであった。

このように緊急事態宣言にともなうテレワーク推進によって、サボリーマンは駆逐されていく。肩書きや役職だけで実力のないマンは切り捨てられていく。残酷だ。だが、普通に働いているほとんどの人にとっては歓迎すべきことだろう。会議が終わったあとで、上層部から「『グーグルと決めないと』は何を決めるのか」という意味不明な質問をされたとき、僕には祇園精舎の鐘の声が聞こえた。このように緊急事態宣言とは諸行無常なのである。(所要時間26分)このような世知辛いエッセイをまとめた本を書きました。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

「ご家族は?」という医者の言葉に声を失った。

診察室でお医者様から「ご家族は?」と言われて、僕は思わず天を仰いだ。そこには白く輝く天国のかわりに無機質な白い天井があった。

事件は冬らしい寒い朝に起こった。目が覚めたら口から血を吐いていた。血のついた寝具が現実のものと思えなかったけれども、身体を貫くような痛みがかろうじて僕を現実につなぎとめていた。「はやく病院へ!」いつもは冷静な奥様に促されて病院へ向かう。奥様は言ってはいけない言葉を吐き出さないよう、両の掌で口を押さえていた。痛みは、少し休んでいるうちに、耐えられる程度までやわらいできたので、119に頼らず徒歩10分の病院へ。背筋を伸ばせないので前傾姿勢。「ハアハア」息を吐きながら歩く姿は変態そのものだったと思う。受付。待機。診察。

診察を終えると、お医者様から「どうしてこうなるまで放置していたのですか」と詰問された。理由なんてない。肩をすくめた。症状をたずねると「希望する患者さんには手術をしますが…今はいい薬がありますから」という煮え切らない回答。手術はすすめられなかった。手遅れなのか。ダメなのか。自分のカラダに何が起きているのか。そんな僕の不安を察知して「うまくつきあっていきましょう」「あきらめることはありませんよ」「今はいい薬がありますから」と不安を増大させるフレーズを続けるドクター。僕は「ノーモー悩み無用!!あなたの髪 きっと生えてくる~」という多くの人を絶望から救出した古いCMを思い浮かべて己を奮い立たせた。起きてしまったことに絶望するよりも、それを壁に見立てて越えていこう。その連続が人生だ。できれば壁は低いほうがいい。低ければ低い壁のほうが越えるとき楽でいい。僕は壁が低いものであるよう祈る。高い壁を登って越えたときに快感を覚えるのはある種のマゾだろう。

「ご家族は?」とお医者様がたずねたのは、そのあとだった。その質問が生保のおばちゃんの口からであれば、家族構成への質問になるが、医療関係者の口からであれば、「今、ご家族はどこで何をしているか」という意味になる。僕は今朝の家族の姿、口を覆い隠していた奥様の姿を思い浮かべて素直に答えた。「家族は…」声がつかえる。言いにくい。僕は勇気を総動員して告白した。「家族は笑っていました。大爆笑です」「でしょうね」と彼の頬が緩んだ。

僕は痔だ。どこへ出しても恥ずかしくない痔だ。就寝中に下の口から出血、違和感を覚えて目を覚まして、患部に触れて血まみれになった手をみて「なんじゃこりゃ~」と絶叫したのだ。奥様から寄贈された生理用ナプキンを患部にあてて前傾姿勢ハアハア脂汗を流しながら涙目で肛門科へ向かおうとする、まもなく47歳になる男など笑いの対象でしかない。いや笑ってくれ。真顔とかありえない。大爆笑大正解。繰り返す。僕は痔だ。きれ、いぼ、あな。どのタイプの痔に該当するのかはあえて言わない。ご想像にお任せする。人様に尻をオープンしてプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。そのうえ「○○痔でした」なんて言えない。これ以上引き裂かれたらプライドと尻がもたないよ。(所要時間21分)

このようなエッセイをまとめた本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

コロナ以前に戻さなくていい。

COVID‐19(以下新型コロナ)でバタバタした一年が終わろうとしている。前は「早く前の生活に戻りたい」というフレーズを耳にすると、「そうだよね~」と同意していた。だが今は、新型コロナ前の世界には戻してはいけないと考えている。

僕個人レベルでいうと、新型コロナによって、これまで幾度も創作のネタになってきた「人類共通の敵に立ち向かう」というストーリーが完全にファンタジーで実現不可能だと再確認できてよかった。「インディペンデンス・デイ」のようにエイリアンが地球を侵略しようとしてくる映画では、もろもろの問題を抱えている人類が一時休戦して、共通の敵に立ち向かっていくという王道ストーリーが展開されてきた。「こんなうまくいかないだろ…」と思いつつ、それらは、全人類共通の敵というありえない存在を前提にすることでファンタジーとして成立していた。「もしかしたらあるかも…」という、「ありえない」を味方にした希望もあった。

ところがガチで人類共通の敵「新型コロナ」の登場で、連帯して向かい合う人類のポジティブな一面とともに、分裂や対立といったネガティブな面も露わになった。SNSを眺めてみると、マスクする/しないだけでも分裂と対立が観察できる。このように感染対策がうまくいっていないのは、感染力の強さもさることながら、人間間の分裂や対立も大きかった。「インディペンデンス・デイ」のように、人類が一枚岩となって共通の敵と戦うというファンタジーはガチにファンタジーだと新型コロナは教えてくれたのだ。新型コロナと対峙するのは、専門家や感染症と戦った経験のあるエリアの人をのぞけば、ほとんどの人にとって初めての経験だ。だから、対策において失敗は避けられない。トライ&エラーで、失敗を検証して、改善しながら前に進んでいくほかない。そう考えるのが自然だろう。

だが、現実はどうだろう。過剰な「失敗を許さない」雰囲気から「失敗できない」空気が醸成されてしまっている。特にSNSに顕著で、失敗すれば批判だけでなく、誹謗中傷が吹き荒れてしまう。精神的に強くない人は、やらないほうがマシという後ろ向きになっても仕方のないところだろう。僕らは他人の失敗に対して厳しくなりすぎる傾向がある。失敗を許す寛容さを持つことが自他にとって必要なのではないだろうか。僕は営業部門の管理職をやっている。今年はうまくいかないことが多かった。新型コロナの影響だ。これまで常識だったものが有効でなくなった。逆効果になるものもあった。部下氏が「新型コロナのせいで」と言い訳するのも、最初は全員同じ条件だろ…と厳しい態度で接していた。それは傲慢だった。なぜなら僕自身が、世の中が変わってもこれまで長い時間をかけて構築されてきた仕事の常識は揺るがないと考えていたからだ。それは今が非常時で近い将来元通りになるという見込みからの考えだった。

だが、新型コロナの感染が長引くにつれ、元の世界には戻らない=従来のやり方は変える必要がある、と考えるようになった。そう考えることによって、初めて新型コロナにおける営業のやり方と真摯に向き合えるようになった。そして、新型コロナにおける営業の困難さに向き合ったことで、部下氏の「新型コロナのせいで」という言い訳に対しても、「しょうがないな~」と思えるようになった。新型コロナという新たな敵に対しては誰もがレベル1からのスタートなのだ。対策や対応はまだ構築されていない。完璧なものや鉄板はない。そうとらえなおすことで、自分だけでなく他人に対しても完璧を期待しなくなった。いいかえれば緩い諦念を持てるようになれた。人類共通の敵に対して一枚岩になって戦うという幻想は完全に壊れてしまったけれども、個と個が過度に期待せず、諦めつつ、足を引っ張らない程度の繋がりをもてば何とかなるのではないか。

2020年は新型コロナで大変な一年であった。これだけ地規模で世の中や社会に影響を与える事件を僕は知らない。46年生きてきたけれども知らない。だからこのような大きな事件の目撃者になれることを今は前向きにとらえたいと思う。人生にifはないのだから、嘆いてばかりもいられない。僕は新型コロナ前の生活や社会に戻れたら…とは考えない。戻してしまったら、また同じことの繰り返しになる。前には戻さない。前よりも良い方向へ変えていく。人間のイヤな部分が見えてしまって、幻滅してしまうことも多かったけれども、そういう感情と、時間や金や人命も含めた犠牲を無駄にしないように、世界をコロナ以前に戻さないことが大事なのではないだろうか。(所要時間28分)

※2020年もおっさんの戯言ブログにお付き合いいただきありがとうございました。来年もよろしく。このような戯言をまとめた本を出しました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

行方不明のご近所さんを捜索していたら「パンドラの箱」を開けてしまった。

過日、日曜の朝、土曜の夜から行方不明になったX氏を捜しにいった。Xは同じ中学に通っていた友人Yの父親で、僕は30年以上前のしゃきっとした姿しか知らないけれども、最近は認知症を患っていたようだ。そのXが土曜の夜9時に出たきり、行方不明になった。そして、近所の有志で捜索隊が結成された。軽度の認知症、足腰の弱体化、体力の衰え、思考の硬直化といった高齢化の症状いちじるしい捜索隊の現実を直視して絶望した母が、「土曜の夜からXさんがいないのよ。手を貸して」と超慌てて僕に助けを求めてきたのだ(友人Yは関西地方に在住)。

Xが最後に目撃された地点は隣市に向かう県道である。県道沿いはおそらく警察が捜索しているし、防犯カメラやドラレコも頼れるから、我々は人が通らない県道と市道から入った山道を捜索することになった。山道を、おーい、おーい、とXの名を呼びながら、歩いた。僕の声だけが響いた。シニア捜索隊は声を出すのもしんどいようで、声をあげる者はいなかった。「声を出していきましょうよ」「頑張りましょう」と声をかけた。驚いた。彼らは元気はつらつだったのだ。虫の息ではなく、ただの無視の域であったのだ。こうやって自身にとって都合のいい情報のみをゲットして、あとは聞こえないフリをするのも、無理せず老いていく知恵なのだろう。

僕は何か動くものがあっても見落とさないように、背をまっすぐに、視界を確保するようにして歩いた。Xは80代の高齢で、足腰も歳相応に弱っていたので、それほど遠くへ行けない。必ず見つけられる。山道を歩く。尾根に出て視界が開けるたびに、僕は背を伸ばして遠くまで見渡した。人の姿はない。シニア捜索隊は下を向いたまま、拾った木の枝で藪を叩いたり、山道の脇にある溝の中を眺めたり、おーいお茶を飲んだりしていた。山道を下る。片側は緩いガケだ。一番若い僕が最後尾になって高齢者の列から落伍者が出ないよう注意しながら進んだ。彼らは視線を上げずに下を見ながら歩いていて、時折、立ち止まっては左右の手が届きそうなヤブや木の陰を注視しながら歩いていた。「ガケ崩れ危険」とペンキで描かれた看板が崩れていて、その下をのぞき込んだりしていた。生きているものを探している姿ではなかった。諦めてしまっているように見えた。Xの最後の姿からまだ半日しか経っていない。最後を最期にしないために僕らは、いや僕は山道を歩き続けた。僕の声だけが山と谷に虚しく響いた。

午前中いっぱい歩いたが戦果ゼロ。いくらシニア捜索隊とはいえ、Xが僕らより速い速度で山道を歩いたとは思えない。なぜなら彼が同じルートを辿ったとしても、時間帯は夜間から早朝にかけてで、その闇の中を認知症を患ったXが僕ら以上の速度で歩けるはずがないと推測されたからだ。午後は午前中かけて来た道を戻るのみで、事実上、本日のゲームは終わりだ。捜索本部(僕の実家)にいる母にゲームセットの連絡を入れた。母はXの家族が捜索に対して協力的でないことを嘆いていた。「家族が本気にならないと…周りで出来ることには限界があるよ」「そーだね」「もっと家族のあいだで話あってもらわないとねー」「そーだね」と相槌を打ちながら母の言葉を聞き流した。

家庭にはその家庭の事情がある。外にいる者がそれを正確に知ることはできない。認知症のX。老夫婦だけの家。距離を置いている家族。いろいろなパーツからなんとなく全体像は想像できるけれども、それが実体かどうか、実体からどれくらい外れているのか、永遠にわからない。そして長い時間を共にしていた家族間でも分からないことがある。Xは痕跡を残さずに去っていった。家族に何も語らず人生から去ろうとしている。それでいいじゃないか、母さん。どれだけ言葉を尽くして語りつくしたとしても完璧に分かりあえることはない。生きることは花のようなものだ。時間とともに花びらは散っていく。花びらがなくなったら花の一生は終わる。散った花びらがそのまま腐ろうと、誰か知らない人の手で花束になろうと、花自身は知る由もない。それだけのことだ。

それでも僕は諦めムードを隠そうとしないシニア捜索隊にはムカついていて、その愚痴を電話の先にいる母に話した。「土曜にいなくなったのにジジイたちが諦めてしまって真剣に捜そうとしないんだよ」母の回答は意外なものだった。「それは無理でしょ。もうダメだと思うわ」母は諦めの悪い人間だった。勝負は勝つまでやめないタイプ。その母の諦めの言葉に、ガツンとやられた。僕は頭を殴られたように、母の老いと、彼女がXのように人生から去っていく日もそう遠くはないという揺るがない事実を思い知らされた。「母さんトシ取ったね…。そんなに諦めのいい人間になるなんて」僕は言った。

母は「先週の土曜日から丸一週間いないんだもん。さすがに無理っしょ」と明るく笑った。土曜って昨日かと…。僕の家族には言葉が足りない。圧倒的に足りていなかった。それから周りで座っていたシニアから「見つけても運べるかなあ」「運ぶのは若手の仕事よ」という声が聞こえてきて魂が死んだ。(所要時間28分)

こういう世知辛いエッセイをまとめた本を去年出した。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。