Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

「親ガチャ」から始まった47年の人生をガチャ視点で振り返ってみた。

「親ガチャ」という言葉をはじめて聞いた。ガチャ。実力とは無関係に運で人生を左右されるという意味だ。なんて悲しい言葉だろう。だが、振り返ってみると僕の47年6か月の人生も、実力ではどうしようもない「ガチャ」に左右された人生であった。

1974年2月生。両親ともに日本国憲法25条で規定された「健康で文化的な最低限度の生活」が送れる程度の水準をもっていたので「親ガチャ」はまずまずといったところである。生まれたときから比較的顔は整っており、アラフィフになった現在でもアジア映画の片隅にいそうな、よく言えばタンクトップとブリーフの似合うトニー・レオンの親戚のような顔をしているので、「顔ガチャ」もまずまずといったところであった。幼少期は母親から「橋の下で拾ってきた」とたびたび言われていたので、彼女からみれば「ベビーガチャ」は外れだったのかもしれない。3歳でピアノをはじめたのは僕の人生で数少ない当たりであった。意のままに自由自在に動かせるしなやかな指は今でも僕の宝物である。

幼稚園時代に強烈な印象として残っているのは、お遊戯会のダンスパートナーが郁子ちゃんだったことだ。彼女は性格と外見が強烈で、僕はゲロを吐いてしまうほどの拒否反応を示していたのに、お似合いよー、ぴったりよーと呪詛を吐く大人の悪意でパートナーを組まされたのだ。お遊戯会ガチャは完全に外れであった。小中学校時代はボンクラ黎明期。「ランボー」「プレデター」「ターミネーター」といったアホ映画やビデオゲームについて語る友達には不自由しなかったが、女子学生からはキモがられていたように思える。その意味では「友達ガチャ」は外れであった。「ガチャといってモテないことを責任転嫁をしているだけだろう」という反論に対しては絶対に違うと反論しておく。その証拠にボンクラ友達というネガ要素が外れた中学の卒業式は、顔面が人生最高レベルに達していたこともあり、制服のボタンを全部後輩女子学生に奪われている。令和に生きる若者たちは知らないかもしれないが、古の関東地方では卒業式に思いを寄せていた殿方のボタンをゲットするという習慣があったのだ。あと、読売ジャイアンツが負けると生徒を殴る教師に在学中3回殴られた。センコーガチャ、ハズレ。

高校は県立高校に進学した。私立高校への進学は「公立でいいでしょ」の両親の一言で挑戦させてすらもらえなかったので「高校進学ガチャ」はガチャをひくことすらできなかった。高校時代はボンクラに拍車がかかり、部活、ゲーム、アニメ、映画、ロック、少女漫画(別冊マーガレット)、エロに傾倒して成績が低迷、イケてる奴らが不純異性交遊をエンジョイしているのをうらやましく眺めていた日々であった。勉学についていくことが難しくなり、進学後に高校進学ガチャのしくじりに気が付いたのだ。この頃3歳下の弟の身長が急激に伸びて、身長ガチャでもハズレをひいたことを思い知らされた。なお、弟は現在身長183センチ、その子供、甥1号2号はそれぞれ184センチ186センチである一方で、バリバリに日本人平均身長の僕は「身長ガチャ」ではハズレをひいたといわざるをえない。この挫折が「身長から珍長へ」をスローガンに僕の中でパラダイムシフトを起こす契機となった。当時は「どうってことないや」と開き直っての童貞道程をまっしぐらの暗黒時代でもあった。なお、初体験ガチャにつきましても、関係者の名誉のために詳細は明かせないが、今振り返ってみればハズレを引いたことを恥を忍んで告白しておく。

大学は国公立志望であったが、当時行われていた大学センター試験の「マークシートガチャ」でハズレを引き続けて国公立への進学を断念。一転して都内私大法学部へ進学することになった。ほぼ同時期に父親が急逝。大学と学費稼ぎのバイトで死にかけた(父親寿命ガチャもハズレ)。ごくわずかな友人以外はまともに友人も出来ず、地方から出てくるイモ女学生がインカレサークルの他大学医学生と付き合って綺麗になっていく姿を、指をくわえて眺めるだけの大学生活。すなわち「キャンパスライフガチャ」ハズレ。「就職ガチャ」はハズレまくりであった。希望していた企業には片っ端からエントリーしたが、片っ端から書類選考で落とされた。苦労して面接に進んでも面接担当者ガチャがハズれで、力を発揮できなかった。新卒で入った会社では上司ガチャでハズれた。上司は会社のカネに手を付けて退場。無実なのに会社から共犯を疑われた僕は居づらくなって退職。無職になる。

無職中に弟が結婚。「職がないのに親戚の集まる席は酷だろう」という理由で結婚式に呼ばれなかった。弟結婚式ガチャでハズレ。再就職は食品関係。またも上司ガチャで大ハズレをひく。パワハラ。モラハラ。営業成績を盗まれる。「刺身が生なんだが…」「顧客ごと木っ端微塵にしてやる」などの暴言で精神を削られる。余談だが、悪行を尽くした当該上司は孤独に急死、一時、無縁仏になりかける。10数年働いて今の職場に至る。望まない管理職(営業部長)にさせられて上下から圧力を受けている日々。入社して数年経つが今回の転職ガチャもハズレであるような気がしてきている。錯覚だと思いたい。プライベートに目を向けると、この間、「胸の大きいイイ女(自称)」と結婚をした。結婚ガチャだけは僕のガチャ人生唯一の大当たりだよ~(棒)。本音は、行間から察していただければ幸いである。一時期、妊活も行ったが精子ガチャでハズレをひいて失敗。子供はいない。現在、精力的に愛人ガチャを回しているが、ハズレばかり…。

駆け足になるが、これが僕の人生である。むせかえるほど濃厚なガチャ人生である。そして人生におけるガチャでことごとくハズレを引いているが、それなりにやれている。そう。人生はガチャだ…と嘆いたところでどうにもならない。ハズレだろうが当たりだろうが、その引いたガチャ以外のルートは確かめようがない。存在しないのだ。人生は短くてハードコアだ。存在しないルートを嘆いているヒマなんて僕らにはないのだ。(所要時間30分)

世知辛い人生についてのエッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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当て逃げ犯人を速攻で特定して捕まえました。

先週、金曜の朝7時半、出勤しようと駐車場へ行ったらマイカーにキズがついていた。左前方のバンパーに擦りキズ他多数…。

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▲現場写真(キズがわかりやすいように白黒に加工)

白っぽい粉(塗料?)が見えたので、最初は鳥の糞をついてしまったと思った。が、近づいてみると明らかに擦りキズ。水曜の昼過ぎに帰宅したときに異常はなかったので、犯行時間を水曜の午後から金曜の朝までと特定。警察と駐車場の管理会社に通報と連絡。自宅から徒歩3分のところにある、道路に面した屋外駐車場で、日当たりが悪く、夕方になると暗くなる。監視カメラはなし。前の道路は比較的交通量は多い(図1 前提条件)駐車中の最後に撮影されたドラレコ動画を確認してもぶつかっている様子は撮影されていなかった。

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▲図1

③の駐車場利用者による物損事故、駐車場と無関係の人によるイタズラ等、いろいろな可能性はあるけれども、左隣り(向かって右側)の駐車場①を利用している車を犯人と仮定。駐車場①についての記憶を辿ってみる。普段からいろいろな車が利用していること、夜間に停めている車がないことを確認。③の駐車場はここ数か月利用されていないことを思いだす。以上のことを念頭に入れて、管理会社から①と③の利用状況を教えてもらう。その際に③が未契約であることを確認。③の利用者犯行説はいったん脇に置く。(図2 仮説)

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▲図2

①は近所にある美容院Aが従業員と客のために借りている事実が判明。記憶と一致。美容院Aに連絡して水曜の夕方から金曜の朝までに駐車場①を利用している人がいないか確認をしてもらう。従業員の使用なしは確認したものの、顧客の車のナンバーは控えていないとの回答。「水曜と木曜の顧客に確認はしてみるけれど…」と約束しながらも、最近は勝手に利用する車もあるから、などと言うので、協力を期待できないと感じた。

そこで、車に戻ってドラレコの動画をあらためて確認。衝撃があると撮影を開始するタイプのドラレコである。該当する時間にいくつかの動画があるのですべて確認していった。感度をマックスにしているせいか(わずかなショックで動作してしまう)、該当する時間帯の動画は5本あった。その中に、水曜の夕刻、セダンタイプの乗用車が駐車場①にバックで入ってきて、僕の車にぶつかる様子が撮影されていた。動画は、ぶつかって、いちど前進してから車を停め直し、少し間を置いて駐車場から出ていく様子をとらえたものだ(図3 動画の状況)。

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(図3)

残念ながら画像が暗く、カメラの視野的にナンバーを確認できなかった。さらに雨が降っていてフロントガラスについた水でぼんやりとしていた。粘り強く動画を観察して、動画の最後、容疑車が道に出ていく一瞬だけナンバーをとらえていた。だが、残念ながら動画が暗いうえにぼんやりとしているうえ、対象までの距離が遠くて、ナンバーが不明瞭であった。そこで決定的なシーンでストップさせてスマホで撮影。その画像を某写真アプリで彩度と明るさを上げて、ようやくナンバーを確認。まさか自撮りでシワとほうれい線と白髪を消していた技術が役に立つとは…!その加工した画像を印刷して美容室に持っていって当たってもらうよう頼んだ。ここまでで1時間ちょっとかかってしまった。

昼過ぎに美容室Aから車をぶつけた顧客を見つけたという連絡をもらった。犯人によれば、「指摘されてはじめて車の右後部に痕跡を発見した」ということだけれども、僕は信じていない。ドラレコ動画を見ると、ぶつかって、停止してから、一度前進して駐車場に入れ直しているので、異変に気付いていないという言い分は苦しい。一か八かに賭けて逃げたというのが僕の推測である。「示談でお願いします」と言われたが、「それはあなたが決めることではないでしょう。あらためて連絡差し上げます」と話を打ちきった。

ディーラーで「補修で見た目は元通りにできますけど」と言われたが、原状回復の交換修理の見積を出してもらった。パーツ交換と技術料でしめて約10万円也。犯人に金額を伝えると「あんな小さいキズでそんなにするのですか」「悪気はなかったのでもう少し」と言ってきたが、駐車場にカメラがないこと、目撃者がいないことから、一か八かで逃げてしまった人に情けもクソもない。なので「悪気がなくてもお金はいただきますよ(ニッコリ)」と言ったら相手は沈黙してしまった。承諾の沈黙と理解している。犯人氏の「逃げるつもりはなかった」という根拠は、一度駐車場から出て行ってから戻ってきてもう一度駐車した、という当日の行動にあるけれども、じゃあなぜ事故を起こしたことを黙っていたの?という反論にはどう答えるつもりなのだろうか、イミフである。

今は、修理代を回収してプラスアルファをどうしてやろうか思案中である。あらためて皆さんにお伝えしたいのは、車を持っているなら、衝撃で反応するドラレコの設置と、そして感度は最高に設定しておくことはマストであること、そして自撮り加工技術は案外役に立つということである。(所要時間28分)

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【ご報告】

新型コロナワクチンの副反応を、SNSに投稿する人が後を絶たない。僕の観測範囲では、投稿者は圧倒的に中高年おじさんが多い。よく言われているように、反応には、個人差があるので、それらの投稿は参考程度に眺めるしかない。賢明な読者の皆さまにおかれましても、そういう対応をされていることと想像している。

なぜ、おじさんたちは、そのような投稿をしてしまうのだろう?結論から言ってしまうと「キテる感」からの行動である。若者たちが接種できていない段階で、人生の先輩である俺たちはすでに先行している。ブームを先取りしている。そういう、キテる自分をアッピールしたいのである。背景には昨今のおじさんの劣悪な扱いがあった。「流行や情報に疎いアップデートできない老いぼれ」「異臭製造マシン」…。だがワクチン接種に関しては俺たちは先行している。なぜなら年取っているから。見よ!渋谷にワクチンを求めて群がる小僧ども。俺たちの勇姿を!そんな人生最後のキテる感からのSNS投稿なのである。「ガリガリ仕事してる」「小リッチな旅行している」といったキテる感をアッピールするために空港で撮影した写真を投稿する行為とよく似ている。謎の先輩風を吹かせられるという錯覚からの行為。悲しいかぎりである。

話は変わるが、数週間前の早朝にモーニングスタンディングした。十数年ぶりであった。具体的な名称をここに記すことは大人の事情でできないので、各位の想像力に委ねるが、僕の身体の中心にあるジャスティンティンバーレイク(仮称)が大きく膨らみ、パジャーマの布地を突き上げていた。まるでワンポールテントのようであった。

OneTigris Rock Fortressホットテント 2-6人用ワンポールテント 1本ポール付き ベンチレーション機能 耐水圧3000mm 大型サイズテント ティピーテント ツーリング アウトドア キャンプ コンパクト 撥水 通気 キャンプ用 (ブラウン)

真夜中3時のワンポールテントを前に僕は泣いた。布を押し上げる際の圧迫感にむせび泣いた。ジャスティンティンバーは圧倒的であった。仰向けから上半身を起こし、手でぐーんと傾けてみたときのジャスティンティンバの熱さと、手をはなした瞬間の元の姿勢へ復元する勢いは、子供の頃に運動会で見た、赤チーム白チームの押し合いによって倒れそうでなかなか倒れない棒倒しの熱狂を僕に思い出させた。ジャスティンティンには『2001年宇宙の旅』のモノリスのように人類を次の段階へ進化させるような神々しさがあった。僕はちょうど飛行機の操縦桿をあつかうように手に握ったジャスティンティンを上上下下左右左右に荒々しく動かした。そこで意識を失った。

朝、気が付くとジャスティンティンバーレイクはいつものように静かに横たわっていた。股間のワンポールテントはなかった。夢だったのか。現実だったのか。もはやわからない。だが、ジャスティンティンバーレイクの膨張が現実だったなら。ふたたび膨張が起こるのは難しいことだけはわかった。8月上旬。3つの台風が日本列島に近づいていて気圧が超不安定。ワクチン接種を明日に控えての人生初の緊張感。激しい夫婦喧嘩の末の「実家に帰らせていただきます」。就寝前に舐めるように閲覧したグラドル清瀬汐希さんの水着動画及び画像。それらの人生にそう何度とない要素が複合的に絡み合体した結果のスタンディング。準奇跡であった。おそらく、二度と、僕のジャスティンティンバーレイクには準奇跡は起こらない。僕に残されたのは、永遠に膨らまない、ただの、もとい、JUSTティンティンにすぎないのだ。皆さまに申し上げたいことは、たったひとつ。今朝のモーニングスタンディングが人生最後のモーニングスタンディングかもしれないから大切にしてほしいということだ。

長々とまったく役に立たない、長さは人並み以上だけれどまったく立たない事案をインターネットに垂れ流してしまった。すまん。これも、ネットにあふれる、おじさんの副反応レポートと同じように、受け流していただければ幸いである。(所要時間19分)

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新型コロナで社内断絶が起きました。

8月某日、朝。幹部会議がはじまって30分が過ぎようとしていた。僕は絶望していた。会議室にいることを怨んだ。なぜなら30分経過したのに、実際には、会議は始まっていないからだ。バカバカしい権力闘争を見せられていた。ノートの片隅にコロ助を書いていた僕に声がかかっって、現実に引き戻された。「営業部長、キミはどう思う?」 A専務につくかB常務につくか。僕は、夢いっぱいの藤子不二雄ワールドから汚い現実に引き戻されたのだ。

30分前。「熱中症が予想されるため、本日の幹部会議は予定通り行われます」という挑戦的な社内メールにムカついた僕は会議室に一番乗りした。ホワイトボードに書かれた「フードロス促進!」という謎ワードに溜息をつきながら末席に座り、参加メンバーの到着を待った。地方の食品会社の幹部会議。ウチの会社は先代社長時代からの重鎮であるA専務とB常務、ともに70代の派閥争いが激化している。毎回、唾を飛ばし、軽度の認知症の症状なのか、話題も飛ばす、どうしようもない争いで、もはや会社の幹部なのか患部なのかわからない。

会議前の互いを探り合う無意味な雑談タイムから地獄だった。発端はA専務の「ウチは食品会社だから、顧客先を巡回する現場スタッフには、社で『ワクチン接種済証』を発行して掲示させるべきではないか」というひとことであった。確かに一理あった。実際、顧客先を巡回するスタッフからは「客からワクチン接種の有無をきかれたときどう対応すればいいのか」という質問はあった。ワクチンを強制することはできない。ケースバイケースで個別に対応するしかなかった。だからA専務の提案はデリケートゾーンを飛び越えて社としての姿勢を打ち出す強いものだった。

同時に、危うい意見でもあった。そこに噛みついたのがB常務であった。「ワクチンを接種しない権利もある」「専務の提案は人権を蔑ろにするものだ」と語るB常務、同じ口で「社員は兵隊だからただ役員の命令に従っていればいい」といっていた過去をお忘れになったらしい。重ね重ね認知症には気を付けてもらいたい。B常務は夏のはじめに僕を呼び出して「ワクチン接種の大切さ」について独り言を聞かせてくれた。「仕事をするうえでワクチン接種は不可欠だ。それに私のような高齢者がワクチン接種によって重症化を防げば、地域医療の圧迫の原因にならない。だから私はワクチンを接種するつもりだ」ワクチン接種の大切さを平均的国民レベルで知っているB常務が、ワクチン証明書に反対している姿に、僕は胸が熱くなった。彼の人権意識の高さと人間の善意を信じる姿勢に。

醜い権力争いの最中、B常務のワクチン未接種が発覚した。「副反応が怖いから」が理由であった。予約をキャンセルしたらしい。うん。怖いモノは仕方ない。形勢逆転であった。A専務は長年の宿敵を鎮めるべく反転攻勢に出た。その内容はエグいものであった。「そこまで権利を大切にされるのであれば、私も大切にしたい。接種しない人にも理由と権利がある。だったらそれを表明すればいのではないか」といって「ワクチン未接種証明証」を提案したのである。ワクチン未接種証!性格が悪すぎやしないかと思われたが、宿敵に人権無視マン扱いされたリベンジに燃える人間を止めるものはなかった。取り巻きを巻き込んでバカバカしい権力争いは続いた。

それから30分。まだ会議ははじまっていない。あまりのバカバカしさに傍観を決め込んでいた僕にA専務とB常務が「キミはどう思う?」と聞いてきた。どちらに付いても面倒くさかった。同時にこの騒ぎを、おさめないかぎり会議がはじまらないという現実があった。どうするべきか悩んだ末に、僕は「バカバカしいですね」と率直な感想を言った。僕は必要悪になることを選んだ。効果は絶大で、A専務B常務ともに「キミのような人間がいるから」と1分前までの戦争を忘れて共同戦線をはって二人で僕を攻めてきた。責めてきた。

僕を詰問したあとで、何事もなかったかのように会議ははじまった。お二人とも軽度の認知症なのだろうか。僕は、毒にも薬にもワクチンにもなれないが、断絶を埋める必要悪にはなれる。いや、専務派にも負けず、常務派にも負けず、そういう必要悪に僕はなりたい。(所要時間24分)

世知辛い会社エッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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フジロックは『24時間テレビ 愛は地球を救う』要素が圧倒的に不足しているからダメ  

フジロック(「FUJI ROCK FESTIVAL’21」)を配信で視聴した。推しのバンドやミュージシャンはいないけれども、それなりに良かった。推しのバンドやミュージシャンがいない僕でも楽しめたのだから、推しのある人は楽しめたのではないだろうか。配信にはまったく問題なかったので、これをうまく収益化できれば、わざわざ現地に人を集めなくてもいいのではないかと思ったが、それは野暮というものだろう(個人的には50年前のロックフェスから続いているほぼ同じやり方を改革していく契機にすればいいと思う)。なお、僕の立場を表明しておくと「こんな時期にわざわざフェスをやらなくてもいいのでは派/無料で配信なら見てもいい組」になる。

新型コロナ感染拡大下でフジロックのようなイベントを開催する人、参加する人を反知性、馬鹿者と評する意見もみられる。わからないでもないけれども、いささか乱暴だろう。なぜなら「ウエーイ!こんなときだからこそロック!」と騒いでいる反知性的は人は論外であって、大半の人は現状を理解したうえで理性で判断して開催し参加しているからだ。つまり、そこには彼らなりのフジロックをやる、参加する大義、根拠、必然性があるはずだ。それを音楽やパフォーマンスで表現するだけのことである。残念ながら配信からは伝わってこなかったけれども、それは現地でフルスペックのパフォーマンスを体感して初めて伝わってくるものだろう。

残念だったのはパフォーマンスではなく、フジロック各参加ミュージシャンやバンドメンバーのMCやSNSにおける言葉である。「こんな時期に…」「大変な状況であることは理解しているけど…」からの、音楽に携わる人の生活を守る、カルチャーを守る的な意義を語る言葉には本当にがっかりしてしまった。特に意義を盾にオリパラを進める政府(政治)に否定的な意見を表明していた、フジロック参加者(ミュージシャン・バンド)は、自らの言葉がブーメランになって突き刺さっているだけに見えた。つまり、彼らは、彼らが「オリンピックは特別なのか」と批判していた政府と一緒で自分たちは特別であると表明しているようなものであった。

この時期にロックフェスをやる必然性や意義ではなく、それらを補強する具体的な言葉が聞きたかった。具体的にはカネの話を聞きたかった。

政府に出来ないことをやるのがロックである。だから政府には絶対いえないであろう「こんな状況でやるのは、ずばりお金のためです。我々はカネが欲しい」をガツンと言って欲しかった。生々しく熱いストレートな言葉で。僕らは「こんな状況下で…」「生活を守る」みたいな曖昧な綺麗事はもう聞き飽きている。「生活がヤバいんだ」「カネがいる」「こんな時期にやるのはとにかくマネーのためなんだ」「部屋代と生活費に困っているスタッフがいるんだ」「このフェスで〇〇円稼ぐんだ!」といった生々しさが足りていない。カッコ悪いからだろう。生々しさはカッコ悪い。ダサい。だが、厳しいことをいえば、「こんな時期に…」的なお気持ち表明はマスターベーションはもういらない。去年からお気持ち表明で僕らはお腹いっぱいなのだ。

フジロックに圧倒的に足りていないのは「24時間テレビ」的な要素である。もう何年も観ていないが「24時間テレビ」は番組の終盤に募金総額を高らかに読み上げる。そこにあるのは、「反論や反感があるかもしれませんが、これだけ金を集められる。だからやるんだよ」という強い意志である。あえて必要悪になるという覚悟。フジロックにはそれが感じられなかった。

フジロック各参加ミュージシャンやバンドはお気持ち表明ではなく、24時間テレビ的な要素を取り入れて「今回のフェス開催によって、いくら稼げました。ギャラと経費を引いてスタッフにはこれだけのカネが支払えます。必要なものはとにかくマネー!マネー!マネー!サポートありがとう。手洗いと消毒はしてね」とMCやSNSで具体的な収支報告をすべきであった。五輪開催において政府や政治は意義を表明できるが金稼ぎとは絶対にいえない。フジロックにはそれができるし、やるべきであった。それが正しき反体制というものだろう。

フジロックきっかけの感染爆発やクラスターが発生したときは関係者はどう責任を取るつもりなのか興味がある。責任なき大騒ぎはただの反知性のバカである。まさかそこまで阿呆ではないと信じている。(所要時間23分)