Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

【告知】新刊『書くことがすべて(仮)』が出ます。

情報解禁できるようになったので告知を。2年ぶりに『書くことがすべて(仮)』という本を出します。発売日は今冬(12月予定)で今回もKADOKAWAさんからです。

内容をひとことであらわすと、「書くことで構築した世界観を武器に人生を切り拓いていこう」という文章術×人生論です。実用本です。書くという行為、物語るという行為で人生を軽くする方法、文章術やライティングという技術的なアプローチではなく書くものをつくるというアプローチから誰でも思いのまま個性あふれる文章が書けるようになる方法について、僕の経験から得たものを全部ブチ込みました。

書きたいけど書けない人。悩みや不安を抱えている人。力を出し切れてない人。夢や目標がはっきりしない人。仕事や研究がダルい人。未来が恐ろしい人。そういう人たちのために書きました。書くだけで僕は自分の人生を上向きにすることができた。書かずに普通の会社員生活をしていたら、おそらく仕事のストレスで心身を壊していただろう。書くことが仕事(副業)にすることもできなかっただろう。なにより、書くことによって、自分の人生や自分というものを取り巻くもやもやがはっきりとわかるようになったのが大きい。悩みや敵の姿が明確になったのだ。そういう経験を皆さんにも体験してほしい。そう思いながら書きました。

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文章の書き方を学んだことのない、こづかいが少なく、時間もない、ただの会社員の僕が実践してきた方法、つまりローテク・ローコストの文章本なので誰でも、このブログや僕がメディアで書いてきた記事や書籍レベルの文章が書けるようになれるはずである。『書くことがすべて(仮)』この冬KADOKAWAより発売。なお、タイトルが未定のため書影がないので前著の台湾版の画像を貼っておきます…。よろしくね。

 

前著です。→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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人脈づくりで営業マンは地獄を見た。

スマホに謎の着信があった。番号は通知されている。相手は不明。携帯電話を持つようになってから25年以上同じ番号を使っているので、今でも月に数回程度、「謎の着信」がある。「間違い電話」や「知り合いの新しい連絡先からの着信」といった例外を除くと、謎の着信のほとんどは僕の過去に原因がある。無鉄砲な人脈づくりだ。営業という仕事をはじめた頃、上司や先輩から、執拗に人脈の大切さを教えられた。人脈は、錬金術、魔法、バイアグラであると。人脈は、不可能を可能に、閉塞を打開する、チート武器であると。

1990年代後半。上司や先輩からの圧力で、実態は命令による強制だが、自発的な行動という名目で、僕は一時期、仕事が終わったあと、同業他社との勉強会や、保険会社や銀行・信金や商工会が催す異業種交流会といったものに足を運んで、名刺配りマシンとなっていた。「何かございましたら」「困ったことがあったら」などと心にもないセリフをアホみたいに繰り返して名刺を配りまくった。目線があった瞬間に口角をあげて笑みを浮かべる気味のわるい名刺交換の最中に「もっと効率的なやり方があるのではないか」と自問自答したのをよく覚えている。だが、あえて、わざわざ、いちいち、足を運び名刺を交換して仕事や夢について語ることに美徳を見出していている周囲を目の当たりにすると、「自分が間違っているのではないか?」と思い直したのだ。

人脈とは何だろう?ひとことでいえば、困ったときに相互に助けたり助けられたりする人間関係になるのではないか。イメージとしては日常的あるいは定期的につながりのある、仕事や学業や研究での人間関係よりも、つながりが薄く、広い範囲の人間関係だ。

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▲人脈(理想)のイメージ

仕事で追い詰められたときに、ふと思い出して「●●ちゃん!ちょっと困ったことになっているのだけどさ。力になってくれない?」と電話をかける、みたいな感じ。

だが、僕の経験では、苦労して名刺を配りまくって作り上げた人脈が役に立ったことはない。ないのだ。もちろんゼロではない。けれども、結果からみれば、時間と労力といったコストに見合うものほどのリターンは得られなかった。人脈はギブ&テイクの関係である。困ったときに助けてもらうためには、相手が困っているときに助けなければならない。人脈が増えれば増えるだけ、こちらから助けたり相談を受けたりする機会が増えた。それがストレスだった(もちろんビジネスに発展する可能性はあるが)。

人脈を拡大・維持するコストが馬鹿にならなくなったのだ。ギブ&テイクの関係性、言ってみれば「正しい人脈」を掘り当てることもあるが、人脈のほとんどは双方にとってメリットのない関係であったり、ギブあるいはテイクだけの一方的な関係であったりした。実際問題、僕にコンタクトしてきたのは、僕からテイクしようとする人ばかりで、ギブ&テイクのバランスはとれていなかった。なかには詐欺まがいな話を持ち掛けたり、搾取しようとしたりするような悪人もいた。一方的な圧になり、ストレスになった。

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▲人脈の実際

だから僕は、食品業界へ転じる際に、これ幸いとばかりに、苦労して作り上げた人脈をすべてカットした。携帯(当時はまだスマホはなかった)と手帳のアドレス帳から何百という人脈を削除した。無理に関係性を拡大するのではなく、普段の仕事その他と繋がっている関係性を地道に広げて、パイプを太くしていく方向性にシフトしたのだ。

人脈をばっさりカットしたけれどもまったく困ることはなかった。それがファイナルアンサーだろう?結局のところ無理につくりあげた人脈はその程度のものであった。振り返ってみると、人脈づくりの底にあったのは「仕事やってる」感だった気がする。さて。スマホにあった謎の着信は、予想通り食品業界に来る前の人脈づくりで連絡先を交換した人からのものだった。僕がまだ運輸系の仕事をしていると思ってコンタクトしてきたらしい。20年間もまったくやりとりをしていない関係性でコンタクトしてくるとか…人脈……おそろしい子!(白目)

人脈づくりに没頭していたあの頃(90年代末)、一緒に人脈づくりをした営業部の同期がいた。僕が名刺配りマシンなら、そいつは人脈原理主義マシンだった。「コストに見合わない」という僕に対して、人脈原理主義君は「大きなリターンを得ればコストは問題ではなくなる」という信念をもっていた。仕事中も電話やメールを駆使して人脈づくり。仕事を終えれば人脈づくり。休日もゴルフコンペや交流会で人脈づくり。作り上げた人脈を維持するために酒、ゴルフ、コンペ。あらゆる場所で人脈づくり。海で人脈、川で人脈、山脈で人脈。憑りつかれたかのように、よく知らない人たちと酒を酌み交わして名刺をばらまいていた。

細身のカラダからは想像できないほどの心身のタフネスが備わっている彼だからなせる業であった。僕は彼がうらやましかった。「コストに見合う/見合わない」という計算をせずに、補給線を無視して前線を拡大する軍隊のような真似は僕にはできないからだ。もっとも、僕が退職するまでに彼が大きなビジネスをゲットすることはなかったが。

過去の人脈からのコンタクトをきっかけに人脈原理主義君に連絡を取ってみた。メールも電話も死んでいた。どうやら僕は人脈原理主義者の人脈から落選したらしい。「使えねー」と判断されたのだ。なんかムカついた。文句のひとつでも言わないと気が済まなくなり、共通の知人(かつての同期)に20年ぶりに連絡をとり、人脈原理主義君の連絡先を教えてもらおうとした。運命は無慈悲であった。

「あいつは死んだよ」と言われた。知らなかった。10数年前に彼は死んでいた。酒で身体を壊してあっけなく逝ってしまった。因果関係はわからないけれど、僕にはあの人脈づくりが祟ったとしか思えなかった。「コストは気にしない」と言っていた彼は大きなコストを払ってしまったのだ。

人脈づくりは否定しないけれども、本来の目的から、そして時間と労力といったコストから見直して、ときどきカットして、無理なく計画的にやってもらいたいものである。人脈なんてもともと薄い関係なのでカットしてもオッケー。無理に維持する必要なんてないのだ。人脈づくりはほどほどに。いのちだいじに。(所要時間44分)

働き方についてのエッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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「親ガチャ」から始まった47年の人生をガチャ視点で振り返ってみた。

「親ガチャ」という言葉をはじめて聞いた。ガチャ。実力とは無関係に運で人生を左右されるという意味だ。なんて悲しい言葉だろう。だが、振り返ってみると僕の47年6か月の人生も、実力ではどうしようもない「ガチャ」に左右された人生であった。

1974年2月生。両親ともに日本国憲法25条で規定された「健康で文化的な最低限度の生活」が送れる程度の水準をもっていたので「親ガチャ」はまずまずといったところである。生まれたときから比較的顔は整っており、アラフィフになった現在でもアジア映画の片隅にいそうな、よく言えばタンクトップとブリーフの似合うトニー・レオンの親戚のような顔をしているので、「顔ガチャ」もまずまずといったところであった。幼少期は母親から「橋の下で拾ってきた」とたびたび言われていたので、彼女からみれば「ベビーガチャ」は外れだったのかもしれない。3歳でピアノをはじめたのは僕の人生で数少ない当たりであった。意のままに自由自在に動かせるしなやかな指は今でも僕の宝物である。

幼稚園時代に強烈な印象として残っているのは、お遊戯会のダンスパートナーが郁子ちゃんだったことだ。彼女は性格と外見が強烈で、僕はゲロを吐いてしまうほどの拒否反応を示していたのに、お似合いよー、ぴったりよーと呪詛を吐く大人の悪意でパートナーを組まされたのだ。お遊戯会ガチャは完全に外れであった。小中学校時代はボンクラ黎明期。「ランボー」「プレデター」「ターミネーター」といったアホ映画やビデオゲームについて語る友達には不自由しなかったが、女子学生からはキモがられていたように思える。その意味では「友達ガチャ」は外れであった。「ガチャといってモテないことを責任転嫁をしているだけだろう」という反論に対しては絶対に違うと反論しておく。その証拠にボンクラ友達というネガ要素が外れた中学の卒業式は、顔面が人生最高レベルに達していたこともあり、制服のボタンを全部後輩女子学生に奪われている。令和に生きる若者たちは知らないかもしれないが、古の関東地方では卒業式に思いを寄せていた殿方のボタンをゲットするという習慣があったのだ。あと、読売ジャイアンツが負けると生徒を殴る教師に在学中3回殴られた。センコーガチャ、ハズレ。

高校は県立高校に進学した。私立高校への進学は「公立でいいでしょ」の両親の一言で挑戦させてすらもらえなかったので「高校進学ガチャ」はガチャをひくことすらできなかった。高校時代はボンクラに拍車がかかり、部活、ゲーム、アニメ、映画、ロック、少女漫画(別冊マーガレット)、エロに傾倒して成績が低迷、イケてる奴らが不純異性交遊をエンジョイしているのをうらやましく眺めていた日々であった。勉学についていくことが難しくなり、進学後に高校進学ガチャのしくじりに気が付いたのだ。この頃3歳下の弟の身長が急激に伸びて、身長ガチャでもハズレをひいたことを思い知らされた。なお、弟は現在身長183センチ、その子供、甥1号2号はそれぞれ184センチ186センチである一方で、バリバリに日本人平均身長の僕は「身長ガチャ」ではハズレをひいたといわざるをえない。この挫折が「身長から珍長へ」をスローガンに僕の中でパラダイムシフトを起こす契機となった。当時は「どうってことないや」と開き直っての童貞道程をまっしぐらの暗黒時代でもあった。なお、初体験ガチャにつきましても、関係者の名誉のために詳細は明かせないが、今振り返ってみればハズレを引いたことを恥を忍んで告白しておく。

大学は国公立志望であったが、当時行われていた大学センター試験の「マークシートガチャ」でハズレを引き続けて国公立への進学を断念。一転して都内私大法学部へ進学することになった。ほぼ同時期に父親が急逝。大学と学費稼ぎのバイトで死にかけた(父親寿命ガチャもハズレ)。ごくわずかな友人以外はまともに友人も出来ず、地方から出てくるイモ女学生がインカレサークルの他大学医学生と付き合って綺麗になっていく姿を、指をくわえて眺めるだけの大学生活。すなわち「キャンパスライフガチャ」ハズレ。「就職ガチャ」はハズレまくりであった。希望していた企業には片っ端からエントリーしたが、片っ端から書類選考で落とされた。苦労して面接に進んでも面接担当者ガチャがハズれで、力を発揮できなかった。新卒で入った会社では上司ガチャでハズれた。上司は会社のカネに手を付けて退場。無実なのに会社から共犯を疑われた僕は居づらくなって退職。無職になる。

無職中に弟が結婚。「職がないのに親戚の集まる席は酷だろう」という理由で結婚式に呼ばれなかった。弟結婚式ガチャでハズレ。再就職は食品関係。またも上司ガチャで大ハズレをひく。パワハラ。モラハラ。営業成績を盗まれる。「刺身が生なんだが…」「顧客ごと木っ端微塵にしてやる」などの暴言で精神を削られる。余談だが、悪行を尽くした当該上司は孤独に急死、一時、無縁仏になりかける。10数年働いて今の職場に至る。望まない管理職(営業部長)にさせられて上下から圧力を受けている日々。入社して数年経つが今回の転職ガチャもハズレであるような気がしてきている。錯覚だと思いたい。プライベートに目を向けると、この間、「胸の大きいイイ女(自称)」と結婚をした。結婚ガチャだけは僕のガチャ人生唯一の大当たりだよ~(棒)。本音は、行間から察していただければ幸いである。一時期、妊活も行ったが精子ガチャでハズレをひいて失敗。子供はいない。現在、精力的に愛人ガチャを回しているが、ハズレばかり…。

駆け足になるが、これが僕の人生である。むせかえるほど濃厚なガチャ人生である。そして人生におけるガチャでことごとくハズレを引いているが、それなりにやれている。そう。人生はガチャだ…と嘆いたところでどうにもならない。ハズレだろうが当たりだろうが、その引いたガチャ以外のルートは確かめようがない。存在しないのだ。人生は短くてハードコアだ。存在しないルートを嘆いているヒマなんて僕らにはないのだ。(所要時間30分)

世知辛い人生についてのエッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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当て逃げ犯人を速攻で特定して捕まえました。

先週、金曜の朝7時半、出勤しようと駐車場へ行ったらマイカーにキズがついていた。左前方のバンパーに擦りキズ他多数…。

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▲現場写真(キズがわかりやすいように白黒に加工)

白っぽい粉(塗料?)が見えたので、最初は鳥の糞をついてしまったと思った。が、近づいてみると明らかに擦りキズ。水曜の昼過ぎに帰宅したときに異常はなかったので、犯行時間を水曜の午後から金曜の朝までと特定。警察と駐車場の管理会社に通報と連絡。自宅から徒歩3分のところにある、道路に面した屋外駐車場で、日当たりが悪く、夕方になると暗くなる。監視カメラはなし。前の道路は比較的交通量は多い(図1 前提条件)駐車中の最後に撮影されたドラレコ動画を確認してもぶつかっている様子は撮影されていなかった。

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▲図1

③の駐車場利用者による物損事故、駐車場と無関係の人によるイタズラ等、いろいろな可能性はあるけれども、左隣り(向かって右側)の駐車場①を利用している車を犯人と仮定。駐車場①についての記憶を辿ってみる。普段からいろいろな車が利用していること、夜間に停めている車がないことを確認。③の駐車場はここ数か月利用されていないことを思いだす。以上のことを念頭に入れて、管理会社から①と③の利用状況を教えてもらう。その際に③が未契約であることを確認。③の利用者犯行説はいったん脇に置く。(図2 仮説)

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▲図2

①は近所にある美容院Aが従業員と客のために借りている事実が判明。記憶と一致。美容院Aに連絡して水曜の夕方から金曜の朝までに駐車場①を利用している人がいないか確認をしてもらう。従業員の使用なしは確認したものの、顧客の車のナンバーは控えていないとの回答。「水曜と木曜の顧客に確認はしてみるけれど…」と約束しながらも、最近は勝手に利用する車もあるから、などと言うので、協力を期待できないと感じた。

そこで、車に戻ってドラレコの動画をあらためて確認。衝撃があると撮影を開始するタイプのドラレコである。該当する時間にいくつかの動画があるのですべて確認していった。感度をマックスにしているせいか(わずかなショックで動作してしまう)、該当する時間帯の動画は5本あった。その中に、水曜の夕刻、セダンタイプの乗用車が駐車場①にバックで入ってきて、僕の車にぶつかる様子が撮影されていた。動画は、ぶつかって、いちど前進してから車を停め直し、少し間を置いて駐車場から出ていく様子をとらえたものだ(図3 動画の状況)。

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(図3)

残念ながら画像が暗く、カメラの視野的にナンバーを確認できなかった。さらに雨が降っていてフロントガラスについた水でぼんやりとしていた。粘り強く動画を観察して、動画の最後、容疑車が道に出ていく一瞬だけナンバーをとらえていた。だが、残念ながら動画が暗いうえにぼんやりとしているうえ、対象までの距離が遠くて、ナンバーが不明瞭であった。そこで決定的なシーンでストップさせてスマホで撮影。その画像を某写真アプリで彩度と明るさを上げて、ようやくナンバーを確認。まさか自撮りでシワとほうれい線と白髪を消していた技術が役に立つとは…!その加工した画像を印刷して美容室に持っていって当たってもらうよう頼んだ。ここまでで1時間ちょっとかかってしまった。

昼過ぎに美容室Aから車をぶつけた顧客を見つけたという連絡をもらった。犯人によれば、「指摘されてはじめて車の右後部に痕跡を発見した」ということだけれども、僕は信じていない。ドラレコ動画を見ると、ぶつかって、停止してから、一度前進して駐車場に入れ直しているので、異変に気付いていないという言い分は苦しい。一か八かに賭けて逃げたというのが僕の推測である。「示談でお願いします」と言われたが、「それはあなたが決めることではないでしょう。あらためて連絡差し上げます」と話を打ちきった。

ディーラーで「補修で見た目は元通りにできますけど」と言われたが、原状回復の交換修理の見積を出してもらった。パーツ交換と技術料でしめて約10万円也。犯人に金額を伝えると「あんな小さいキズでそんなにするのですか」「悪気はなかったのでもう少し」と言ってきたが、駐車場にカメラがないこと、目撃者がいないことから、一か八かで逃げてしまった人に情けもクソもない。なので「悪気がなくてもお金はいただきますよ(ニッコリ)」と言ったら相手は沈黙してしまった。承諾の沈黙と理解している。犯人氏の「逃げるつもりはなかった」という根拠は、一度駐車場から出て行ってから戻ってきてもう一度駐車した、という当日の行動にあるけれども、じゃあなぜ事故を起こしたことを黙っていたの?という反論にはどう答えるつもりなのだろうか、イミフである。

今は、修理代を回収してプラスアルファをどうしてやろうか思案中である。あらためて皆さんにお伝えしたいのは、車を持っているなら、衝撃で反応するドラレコの設置と、そして感度は最高に設定しておくことはマストであること、そして自撮り加工技術は案外役に立つということである。(所要時間28分)

人生の様々なシーンを切り取ったエッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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【ご報告】

新型コロナワクチンの副反応を、SNSに投稿する人が後を絶たない。僕の観測範囲では、投稿者は圧倒的に中高年おじさんが多い。よく言われているように、反応には、個人差があるので、それらの投稿は参考程度に眺めるしかない。賢明な読者の皆さまにおかれましても、そういう対応をされていることと想像している。

なぜ、おじさんたちは、そのような投稿をしてしまうのだろう?結論から言ってしまうと「キテる感」からの行動である。若者たちが接種できていない段階で、人生の先輩である俺たちはすでに先行している。ブームを先取りしている。そういう、キテる自分をアッピールしたいのである。背景には昨今のおじさんの劣悪な扱いがあった。「流行や情報に疎いアップデートできない老いぼれ」「異臭製造マシン」…。だがワクチン接種に関しては俺たちは先行している。なぜなら年取っているから。見よ!渋谷にワクチンを求めて群がる小僧ども。俺たちの勇姿を!そんな人生最後のキテる感からのSNS投稿なのである。「ガリガリ仕事してる」「小リッチな旅行している」といったキテる感をアッピールするために空港で撮影した写真を投稿する行為とよく似ている。謎の先輩風を吹かせられるという錯覚からの行為。悲しいかぎりである。

話は変わるが、数週間前の早朝にモーニングスタンディングした。十数年ぶりであった。具体的な名称をここに記すことは大人の事情でできないので、各位の想像力に委ねるが、僕の身体の中心にあるジャスティンティンバーレイク(仮称)が大きく膨らみ、パジャーマの布地を突き上げていた。まるでワンポールテントのようであった。

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真夜中3時のワンポールテントを前に僕は泣いた。布を押し上げる際の圧迫感にむせび泣いた。ジャスティンティンバーは圧倒的であった。仰向けから上半身を起こし、手でぐーんと傾けてみたときのジャスティンティンバの熱さと、手をはなした瞬間の元の姿勢へ復元する勢いは、子供の頃に運動会で見た、赤チーム白チームの押し合いによって倒れそうでなかなか倒れない棒倒しの熱狂を僕に思い出させた。ジャスティンティンには『2001年宇宙の旅』のモノリスのように人類を次の段階へ進化させるような神々しさがあった。僕はちょうど飛行機の操縦桿をあつかうように手に握ったジャスティンティンを上上下下左右左右に荒々しく動かした。そこで意識を失った。

朝、気が付くとジャスティンティンバーレイクはいつものように静かに横たわっていた。股間のワンポールテントはなかった。夢だったのか。現実だったのか。もはやわからない。だが、ジャスティンティンバーレイクの膨張が現実だったなら。ふたたび膨張が起こるのは難しいことだけはわかった。8月上旬。3つの台風が日本列島に近づいていて気圧が超不安定。ワクチン接種を明日に控えての人生初の緊張感。激しい夫婦喧嘩の末の「実家に帰らせていただきます」。就寝前に舐めるように閲覧したグラドル清瀬汐希さんの水着動画及び画像。それらの人生にそう何度とない要素が複合的に絡み合体した結果のスタンディング。準奇跡であった。おそらく、二度と、僕のジャスティンティンバーレイクには準奇跡は起こらない。僕に残されたのは、永遠に膨らまない、ただの、もとい、JUSTティンティンにすぎないのだ。皆さまに申し上げたいことは、たったひとつ。今朝のモーニングスタンディングが人生最後のモーニングスタンディングかもしれないから大切にしてほしいということだ。

長々とまったく役に立たない、長さは人並み以上だけれどまったく立たない事案をインターネットに垂れ流してしまった。すまん。これも、ネットにあふれる、おじさんの副反応レポートと同じように、受け流していただければ幸いである。(所要時間19分)

人生の様々なシーンを切り取ったエッセイを多数収録した本を書きました→ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。

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