Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

今さら「エッセンシャルワーカー」と言われても「やりがい搾取」としか思えないよ。

最近エッセンシャルワーカーという言葉をよく聞くようになった。医療従事者や介護職や公共交通機関のような社会を回すために必要な仕事に従事している人を指している言葉だ。「エッセンシャルワーカーの皆さんに感謝!」「エッセンシャルワーカーがいなければ社会が回らない。とても大切」という言葉を聞くたびに欺瞞に満ちているなーと思ってしまう。現実問題として看護職や介護職の人たちの給料は低く抑えられていたのだから。感謝!社会に不可欠!というのなら相応の賃金を払ったり、待遇を保障するなりしないと、ひと昔前に流行った「やりがい搾取」と同じだろう。「あなたたちの仕事は大事です。やりがいのある、意義のある仕事です。社会を支える仕事です。だから低賃金でも頑張って」をひとことでまとめたものが「エッセンシャルワーカー」という言葉で、つまり、やりがい搾取そのものだ。医療従事者に感謝をこめてブルーインパルスを飛ばしても現場にいる人間には見に行くヒマはないのだ。エッセンシャルワークが利益を生む仕事ではないから賃金に反映できないというなら、相応の待遇になるまで税金で補填するしかないがそこまでの動きは見られない。それは「あなたたちは社会を支える仕事です」といいつつその裏で「重責のある仕事に従事している人間を低い賃金で抑えられているラッキー!」と舌を出しているのと同じだと僕は思う。

ところで僕は営業職である。営業職は社会を支える仕事ではないと思われている。最近、エッセンシャルワーカーという言葉を覚えた重役にも「営業はエッセンシャルワークではない」と言われた。僕自身、営業マンはエッセンシャルワーカーのように社会の役に立っているとは思わない。人によっては「営業」というだけで悪いイメージを持っているだろう。僕が働ていている会社でも、オミクロン株の感染拡大の影響で、会社として継続しなければいけない事業に人的資源を集中する方針で動いている。食品を扱っているので、その生産と物流、それから病院や老人ホームの食事提供業務などだ。神奈川県は酷い状況で、現場のパートスタッフのシフトを組むのが難しくなってきている。そこで営業開発部門はいったん現在進行している案件以外の営業開発を停止して、会社の根幹事業のサポートに回ることになった。ここ一週間、僕は病院の洗浄コーナーに入ってコンベア式の洗浄機と格闘したり、自宅待機になった同僚たちの家にパソコンを「置き配」したり、営業開発部長の仕事をほぼしていない。緊急事態だから仕方がない。

でも納得いかないものもある。311のときも同じだった。「こんなとき営業をしている場合ではないだろう」と言われて、営業の仕事を停止してヘルプに回った。世の中が落ち着いたら「営業は花形だ」「会社は営業にかかっている」と言われた。今回も同じだろう。「エッセンシャルワーカーに感謝しよう」と同じように「緊急事態に営業なんかしている場合じゃだろう」「会社は営業にかかっている」も都合よく使われるのだ。仕事にやりがいは求めていないけれど、ときどきイヤになるときもある。そういうとき、僕は、『王立宇宙軍』(劇場で観たときは『オネアミスの翼』だった)という中学生のときに観た古いアニメ映画のとあるセリフを思い出すようにしている。宇宙を目指そうとする主人公シロツグが自分の仕事に意味があるのかわからなくなったときの親友マティの言葉だ。

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「さあなあ。ただ、周りのやつら、親とかみんな含めてだ。そいつらがオレのことほんの少しでも必要としてるからこそ、オレはいられるんじゃないか、と思ってる。金物屋だってそうだ。誰かが必要としてるからこそ、金物屋でいられるんだ。この世にまったく不必要なものなんてないと思ってる。そんなものは、いられるはずがないんだ。そこにいること自体、誰かが必要と認めてる。必要でなくなったとたん、消されちまうんだ。こう思う。どうだ?」(所要時間19分)

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BCPはじめました。

BCP(Business Continuity Plan)。というのも、なんだか疲れるようになりました。取締本部長。あなたは、たしか、六十を過ぎたベテランビジネスマンのはずだ。話をしていても、変なものです。僕が今、この瞬間の、感染拡大にともなったBCPについてきわめて現実的な話をしているのに、あなたは「懐かしいなあ」「跡が残っているんだよなあ」と遠い目をして呟くのです。認知症では?僕は頭に思ったことが口をついて出てしまいそうになるのを抑えるのに必死でした。

あなたが口にするフレーズをかき集めて、わかりました。本部長、あなたはBCGについて話をされていたのですね。ツベルクリン反応。BCG接種。懐かしいものです。僕は小学校の集団接種がとても好きだった。女の子のまえで何でもない、という顔をすれば勇気の証明になると思っていたからだ。本部長。ろくろく話さえしなかった間柄でしたので、確証はなく、このような暴言を口にするのは許していただきたい。本部長、あなたは「BCP。あれのことか。勘違いしていた」と言っていた。けれども話の流れ、状況説明から勘違いの余地はなかったはずだ。本部長、あなたは、BCPが何を意味しているのか、知らなかった。あなたは、僕がBCPの意味と必要性について話をしているとき「危機下で中核事業を継続する計画…」「当たり前すぎて素通りしていた」と呟いていた。僕は正直少しムカついた。でも少しばかり時間がたった今は、ああした言い訳はいったいなんであったろうか、とこうして考えてみるようになった。そして、六十年という歳月が、そこそこ優秀であったかもしれないあなたを劣化させたのだ、と結論付けた。時間というのは、残酷なもののようです。

僕らが働いている食品会社は中小企業というカテゴリイに属しています。本部長、あなたは、感染、濃厚接触で欠員が出たら、人を派遣して埋めればいい、と言った。小さい我々の会社のどこにそんな余剰人員がいるのですか?現場のスタッフはひとりふたりと自宅待機になっている。止めることのできない中核事業にヒトモノカネのリソースを集中投入するBCPを発動するのは今なのです。それ以外の事業はどうなる?売上は下がるぞ、とあなたはBCP策定する前に話しつくした議論を蒸し返しましたね。認知症では?僕はまた思わず言ってしまいそうになった。いいから。早く。決裁を。本部長。私の言葉にテコでも動かなかったあなたが、社長、の名を口にした瞬間にハンコを押したとき、理屈よりも立場なのかと、僕は複雑な気持ちになったものです。

至急の問題は、病院の厨房のパートスタッフに欠員が出て、シフトを組むのが難しくなっていることでした。本部長、あなたは病院が年中無休で稼働していること、食事提供を絶対に止められないこと、を知りませんでしたね。BCPはタイミングがすべてです。ハンコ頂戴、ハンコ押さないのアホなやり取りで我々は時間を浪費してしまいました。病院の厨房の洗浄パートの欠員を埋める人員だけはついに見つからなかったのです。BCPは協力体制が不可欠です。他部署の人員をヘルプで回すわけですから。感染拡大前は、同じ会社だから協力するのが当たり前ですよ、何でも言ってください、といっていた同僚たちが頼りにならなかったのは悲しかった。彼らは異口同音で、ヘルプする気持ちはあるけれども、と前置きしては、キャンセルできないことはないけれどもキャンセルしたくない用事がある、などといって断ってきたのです。

今は1月21日午前11時です。営業部長である僕は、部下の代わりに、病院に電車で向かっているところです。午後から洗浄ヘルプ。夕食提供まで巨大なコンベア型洗浄機と格闘するのです。そして、電車シートに揺られながらスマホで大企業のしっかりしたBCPのニュースをみて、急にこうしたものが書きたくなったのです。(所要時間23分)

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僕をTwitter初心者だと思い込んでいる部下に相互フォローを申し入れました。

部下でもある若手社員の1人からTwitter初心者だと思われている。きっかけは昨夏、模型雑誌の編集者が個人アカウントで業界のタブーに触れる問題発言をして処罰されたことである。「SNSでの発言には気を付けるように」と僕が注意喚起をした際に、彼はどういうわけか僕を初心者だと勘違いして、現在に至るまで事あるごとに、役に立たない指南をしてくださっている。そのときの「適当なことを呟いている」「目的はない」という僕の発言と、フォロワー数を聞かれたときに指を「3万」の意味で3本の指を立てたのを「フォロワー数3」と解釈したようだ。「自分、フォロワー数3桁のマスタークラスなのでわからないことがあったら立場を気にせず気軽に相談してください」と言われたが無視した。今さら2007年からTwitterをやっていると言えない雰囲気が漂っていたし、何よりも面倒くさかった。面倒くささの正体は、僕と若手君とのTwitter(SNS)の捉え方の違いにあった。若手君の発言の節々からは、フォロワー数を戦闘力や兵力のようにとらえており、フォロワー数を増やすゲームと考えているように思われた。厄介なのは彼が真剣に「フォロワーゲットだぜ!」ゲームに取組んでいる点であった。

先週末、エレベーターで一緒になったときに、唯一の共通話題であるTwitterの話になった。「数が多すぎて対応できない」という意味で「ツイートにレスがあってもあえて無視してしまうことがあるよ」と言った。軽い気持ちだった。すると若手君は重大問題ととらえて、「こいつダメだ…」とでもいうように首を振ってから「フォロワー数が3桁に達するまではどんなレスにでも小まめに対応しなければ駄目ですよ」とアドバイスしてくれた。彼はすべてのレスに応じているらしい。彼の王国は小さく、まだクソリプ帝国と遭遇していないみたいだ。ブータンよりも幸せな国だ。

これまでも僕を初心者と勘違いしている彼は、僕を半分バカにするような助言をくれていた。「中高年アカウントにありがちなのですが、有名人の訃報へのお悔やみや天気や体調不良をつぶやいているようでは、3桁フォロワーは無理です」と嘆かれた。フォロワー数をきかれたとき、「38千」を示すように「3」と「8」を両手の指で示してから、親指と人差し指で「0」をつくって3回揺らしてみたら「38でオッケー、オッケー、オッケーですか…。志が低いですよ。フォロワー3桁を越えると世界が変わりますよ。かんばってください」と激励された。それから「株価を見るように常にフォロワー数の増減に注意して、つぶやくときは彼らの目を意識すること。私はそれでフォロワー数を一か月で5も増やしました」「ポジティブな発言、有益な情報、綺麗な画像。Twitterをするときはこの三つを思い出してください。1年で3桁までいけますよ」「私がひとことTwitterでつぶやくだけで3桁の人たちに届きます。小さな自治体の長よりも影響があるってことなんですよ」等々。

3桁。3桁。3桁。きっつー。僕は率直な疑問を彼にぶつけた。「3桁をこえて4桁フォロワーのアカウントはキミにとってどういう存在なの?」「ひとことでいえば、『神』ですね」彼はいった。彼は目の前にいる神を超えた存在を馬鹿にしているのだ。僕は良心の呵責に耐えられなくなった。正体を、秘密をバラしてしまおう。神扱いされるほうが、このまま馬鹿にされ続けるよりはマシだ。「『あなたが神か!』と驚愕する彼を想像しながら、僕は相互フォローを提案した。彼はフォロワー数が1増えるだけでも喜び、1減れば凹む男である。意外にも彼は断ってきた。だよねー。上司と相互フォロワーはやりにくいよねー。彼はその理由を次のように述べた。「フォローするときに、フォロー・フォロワーにどんな人がいるのかチェックされるんです。年齢層。発言内容。フォロワー数。私のフォロー/フォロワーに部長のような中高年零細アカウントがあったらフォローボタンを押すのをためらわれてしまいそうなのでお断りします。部長が3桁までいったら再度検討いたします」きっつー。愚者は己の信じる神の存在を感じられないから永遠に愚者のままなのである。(所要時間24分)

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社内の権力争いで生き残ったみたいです。

風雲急を告げる社内。まさに、権力を巡って、壮絶なる戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。体調を崩して昨秋から休養していた社長が、年明け早々復帰したのだ。予定よりも早い電撃復帰。社長不在のあいだにツメアトを残そうとして、自爆を繰り返していた専務派は隠蔽工作も間に合わず大慌てである。

僕は、社長派でも専務派でもない。だが社長の意向で中途入社して営業部門の責任者に就いたため、専務派からは社長派の急先鋒と見られていた。数々の仕打ち、嫌がらせを受けた。刺客を放たれ失脚を覚悟した。だが、これで終わり。これからは俺のターンである。ザマーミロ。ボスは療養中も会社の情報をマメにチェックしており、ほぼ正確に状況を把握していた。ITに疎い専務派の年寄りたちは、社長がなぜ会社の状況を知っているのか理解できていない模様。それでも専務は不敵な笑みを見せた。勝算があるのか?僕は来る壮絶な決戦に震えた。

復帰早々幹部会議が開かれた。出席者は社長、専務、常務、取締役本部長、顧問を務めているらしい謎のオッサン、それと各部門の長クラス。社長派と専務派は人数では拮抗していた。会議室は重苦しく、寒々しかった。換気のために窓を開けているだけでは説明できない寒さ。専務、本部長、総務部長の専務トリオがターゲットであった。社長は不在のあいだのトリオの施策と結果をひとつひとつあげて検証していった。

社長「テレワークと在宅勤務で業績が向上したのになんで一気に元に戻したの?職種やセクション毎に考慮しなかった理由は?」専務「在宅でこれだけの業績が出せたのなら従来の体制に戻せばより大きな…」「数字下がってるよね」「それは在宅勤務期間中の怠惰で社員の能力が低下したからかと」「エビデンスは?」「皆で相談して…」「その相談には誰が参加したの?」きっつー。時おり、専務が傍の本部長、総務部長のほうを見たけれども彼ら二人は専務と目を合わそうとしなかった。人間は醜い。

「なるほど分かりました。根拠なしですか」社長の丁寧語は怖い。それから社長は「年休取得率向上のために在宅勤務を年休扱い」「在宅勤務の要件に自宅にファクス所有」「出社ポイント制」といった専務トリオの施策を取り上げ「エビデンスは?」「なんで数字を見ないの?」「経緯を説明してください」「対応策を教えてください」と詰問した。そして、専務らの回答に「根拠なしということですね」「数字を見ていないという認識でいいですね」「休む前にコンピューターを使うように言いましたが使ったのはカンピューターでしたか」「わかりました。もういいです」「そんな説明で僕が納得すると思われたのなら心外ですね」と的確辛辣丁寧に応じる社長が恐ろしかった。

社内は「風雲急を告げる」ではなく、『風雲たけし城』であり『SASUKE』であった。専務一派は最初の障害で脱落するザコであった。僕は一視聴者であった。僕は会議室の末席で社長の発言の際には時にウンウンとアホのように頷き、時に「おー」と声にならない声を出すように口を開け、時に北朝鮮の将軍様の傍にいるオッサンのようにメモを取る仕草をした。専務一派の発言の際は、腕を組み顔をしかめ「ないわー」としかめ面を作り、眉をひそめ首を傾げ、メモを取る価値もないとでも言うように手帳をデスクに置いた。手のひらを天に向けて「なにこれ?」というように肩をすくめた。

会議は専務一派に報告書と改善案を求めた社長の圧倒的勝利のワンサイドゲームで終わった。専務の不敵の笑みは壊れて口もとが緩んだだけだったのか。こうして専務の目の敵にされて失脚を覚悟した僕は生き残った。これからは「ずっと俺のターン!」状態になるかと思った。だが、そうはうまくいかないのがサラリーマンライフ。というのも会議が終わったあと、社長は近しい人間を誘ってランチに出かけたが、僕は誘われず、ひとりで会社近くのマクドナルドでダブルチーズバーガーに喰らいついていたのだから。名誉ある中立なのか、ただの孤立なのか、まだわからない。(所要時間24分)

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著作に付けられた酷評Amazonレビューにキズついて作家引退まで考えてしまいました。

好き好き大好きAmazonショッピング。クリック数回で終わる快適な買い物体験もさることながら、レビュー欄自体がコンテンツとして成立しているのがマジ最高。ただし最高であったのは過去のことである。残念ながら最近は、商品発売直後の不自然な高評価連発とアンチの低評価が悪目立ちして、まともなレビューが埋没している状況。声の大きな人や極端な声が目立っているネット社会そのものである。

それでも楽しく前向きな高評価レビューは読んでいて楽しい。そういうレビューで埋められているほうが気分がいい。だが高評価レビューの中にも「目から鱗が落ちました」「人生を変える一冊でした」的な薄気味悪いものも多い。そのような人は何枚眼球に鱗が貼られていて、何回人生を変えてきたのだろうか、心配になる。ウロコにつつまれた半魚人なのか、人生をループしている人なのか知らないが、生き方そのものを変えてみたほうがよろしいのではないかと愚考する次第である。また、アンチ姿勢から悪口的なレビューを投稿している人は、ワンパターンなのでもう少し悪口を工夫してみたほうがいい。ご自分の思い通りにならない人生をレビューにブツけたところで、何も変わらないことに早く気付いてもらいたい。「こいつ仕事できなそう」「モテないやろなあ」と思われているだけである。

このような無価値のウンコレビューの中にも、ときどき面白いものがあって、それを見つけるのがAmazonの楽しさのひとつである。異常な文才や超絶技巧を駆使しているものも面白いが、一瞬だけ才能がきらめいた瞬間を示した味わい深いレビューが素晴らしい。たとえば僕のツボにはまったのがこれ。

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とある短編集につけられた酷評である(ここ→勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)。キリマンジャロの雪に対する偏愛と作者に対する怒りが短い文章にこめられていて最高である。「タイトルにあるキリマンジャロの雪が出てこない!」→「死んでいく男の回想なんて読みたくない!」→「詐欺だ!」というシンプルな思考回路に感動すら覚える。「自分はこんなにシンプルに生きられているか?複雑に考えすぎていないか?」という生き方への問いかけにも思える。だが、投稿者が小説を読むのに向いていないタイプの人であるのは間違いない。ヘミングウェイを知っているのかも疑わしい。彼が「キリマンジャロ・ブレンド(コーヒー)」、「雪肌精(化粧水)」への寄り道を経て、いつの日かキリマンジャロの雪について詳細に書かれた書籍に出会えるよう祈っている。

このように他人事として傍観者としてAmazonレビューを楽しんできたが、著作を何冊か出して他人事ではなくなってきた。僕の著作にもレビューが投稿されているからだ。僕は、Amazonに限らず、著作につけられたレビューは全部目を通している。高評価も低評価も本当にありがたい。感謝申し上げる。じつのところ高評価よりも低評価のレビューのほうが参考になる。さいわい、前に出した本も含めて、つけられたレビューは厳しいものはあったけれども、悪口的な誹謗中傷めいたものはなかった。今回はじめてその種のレビューが付いて感動したのでご紹介したい。これだ。

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いちいち改行&末尾にwがついているのが古臭くて、久しぶりに見て感動したw

「平成でアタマ思考停止してる」という指摘については、この方が古臭いという意味で平成という言葉を使っていると信じたいw

平成より前の元号を知らないように見えたので(昭和ですよw)w

全体的に知能が低そうな文面からこれまでの人生うまくいっていないと推測されるが頑張って生きてほしいw

『神・文章術』という文字が読めてよかったw

私信終わり。

このように僕は著作への酷評についても冷静に受け止めている。その証拠に何を隠そう「1人のお客様がこれが役に立ったと考えています」の「1人のお客様」は僕である。どんな声でも感謝カンゲキ雨嵐。『神・文章術』よろしくお願いいたします。(所要時間21分)