Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

原作を映像化された経験のある僕が「セクシー田中さん」改変について思うこと。

漫画『セクシー田中さん』の連続ドラマ化における原作改変が、原作者の急逝という最悪な結末になり大きな問題になっている。SNSやネット記事のコメントを観察していると「原作者の意向や原作の内容を改悪するな」という声が多いようだ。テレビ局と出版社と脚本家がそれぞれコメントを発表したけれども、その内容がもやもやするもので、騒動の沈静化にはまだ時間がかかりそうだ。

一方、多くの人はどのようにテレビ局が原作付きのドラマをつくっているのか知らないようでもある。なぜなら作品をドラマ・アニメ・映画にされた経験がないからだ。僕は自分の書いたものが日テレでドラマ化された経験がある。

delete-all.hatenablog.comこのブログの「トイレにとじこめられています」という記事が2019年にミニドラマになったのだ。

中居&鶴瓶、“深夜版”仰天ニュース生放送 田中みな実は厳選セクシー写真公開 | ORICON NEWS

当時の記事→

VTRでは、神奈川県の40代男性に起こったちょっと大人な仰天事件が登場。妻が出かけた1人きりの時間に、お気に入りのDVDを全裸で鑑賞し、至福の時間を過ごしていた男性。だが、トイレに入ったところ、なんとドアノブが壊れて全裸でトイレの中に閉じ込められてしまう。妻にスマホで助けを求めようと考えたが、全裸のうえにリビングではとても妻には見せられないDVDが流れっぱなし。なんとか妻の帰宅前に脱出を試みるが…男性の運命はいかに…。


はっきりいって恥である。だがこのドラマが出来上がるまでにどのような工程があったのか明らかにすることで、ドラマの制作サイドが原作をどう考えているか、原作とドラマとの差異はなぜできるのか、「セクシー田中さん」問題を考えるヒントになると思う。

2019年秋、当時、著作を出させていただいた出版社(KADOKAWA)の担当編集者さんを通じてドラマ化の話を持ちかけられた。担当編集者さんは打合せを通じて信頼できる人物であったこと、断る理由もなかったこと、などから軽い気持ちで承諾した。とんとん拍子に話が進み、恥の歴史のゴミ集積場であるこのブログの記事のなかから「トイレにとじこめられています」が選ばれた。

最初に契約書に署名捺印をして、それから都内に出向いて出版社と制作会社の人とで打合せを1~2回行ったと記憶している。当然のことながら、映像化された経験がない素人だったので勝手がわからず流れに身をまかせた感じだった。契約書(覚書)には基本的な取り決めが定められたもので、たとえば原作のこのポイントは絶対にいじらない、みたいな文言はなく、映像化された場合の著作権の帰属等が詳しく定められていた。僕が生きている世界の契約書とは少し違う印象を持った。

で、打合せ。あんな内容のクソ・ブログでプライドもなかったけれども、ドラマで聖人と描かれたら街を歩けなくなるので「僕からは一個だけ、なるべく元記事を忠実に再現してください」と要望を出した。制作スタッフの人たちは業界っぽい感じのスタッフジャンパーを着ていて、メディア的な圧力をかけてきていたけれども、「それはもちろんです」と快諾してくれた。ブログ記事の詳細、舞台となる自宅マンションのつくりや距離感をヒアリングされた。ドアのつくりやリビングの雰囲気、床や壁の材質も確認された。自宅マンション内という限られた舞台でリアリティを付与するのに映像のプロはここまで細かくヒアリングをするのだと感心した。登場人物である奥様と義父のルックスや雰囲気もヒアリングされた。大きな問題にならないようそれぞれ「アン・ハサウェイ」「三船敏郎」と答えた。これがどうキャスティングに反映されたのかは各位確認して判断してほしい。

打合せの最後に制作スタッフの人から「先生、忠実に再現するつもりですが、一か所だけ一か所だけ」と注文が入った。これが、汗と涙と体液を注ぎ込み、唾を吐き捨てた原作を改変する悪名高きアレか…と軽く絶望したが、僕とテレビ局のコンプライアンスを守るための申し出であった。というのも記事中に登場する最重要要素「成人向けDVD」の内容が引っかかるからであった。原作ブログ(実際)で視聴していた作品は、黒と白の2匹のワンちゃんとギャルが合体グランドクロスする内容であったのだ。うん。無理。そんなものを公共の電波で流されたら社会的に死ぬ。うん。無理。ありがとう。というわけでドラマでは内容はあいまいにすることで合意した。その後、番組内で使うインタビューを撮影して(なんと一発でオッケーだった)、打合せは終わったのである。

その後、映像化に際してどうアレンジされたのか、事前に脚本が届くことも完成品を観ることもなく放送当日を迎えたのである。これには少々驚いた。一般の視聴者と同じ目線で番組の放送時間を待っていたのだから…。
放送されたドラマは、おおむね打合せどおり、原作ブログどおりに仕上がっていた。ただ原作ブログ上のひとつのクライマックスである「奥様と僕の会話」、「泥酔した義父との奥様を介したやりとり」は全カットされていた。

僕「ゆ、ゆっくりとね…」
妻「うまく、入らない…すごく、狭いよ…」
僕「落ちついて。ゆっくりゆっくり。痛いっ」ドアノブに頭をぶつけた。
妻「ごめん、あれ?おかしいな。柔らかくてうまく入らないよう」
無駄にエロい会話。しかも男女逆転。嘘みたいだろ。僕たちレスなんだぜ…


義理の父が作業を開始した。「ひまほらはけるぞ」お義父さん酔っていてしどろもどろ。なので妻が翻訳「たぶん、今から開けるぞだと思います」。すみません、僕が言うと義理の父が「ひにょうきか。びみはななしのしのごら」といい妻が「たぶん、気にするな。君は私の息子だから、たとえ裸でも見捨てたりはしない。イキロ。と言っているんだと思う」と翻訳するが明らかに原文より長い超訳。

当該箇所はおそらく映像化にむいていなかったのだろう。ドラマの出来には納得しているけれども、こうやって原作のエッセンスがカットされる事態はありうることだと学んだ。「セクシー田中さん」くらいの大きな作品で連続ドラマになると制作サイドの都合でこういうことが積み重なっていったのではないかと想像する。僕が改変に納得したのは原作ブログにあったコア(核)が守られていたからである。

ブログのドラマ化はおおむね成功だった。僕役の俳優さんが同レベルのイケメンで、楽しいドラマに仕上がっていた。成功したのは、出版社の担当編集者さんと制作スタッフが僕のブログを正しく評価して、ほぼ忠実に再現することに注力してくれたからだ。ラッキーだった。それでも前述のとおりブログのとおりというわけにはいかなかったのだ(納得はしている)。

ドラマ/映像化がはじまると原作者は原作を預ける形になり介入できなくなる。制作サイドが原作者の意向を無視して作品を原作者から奪おうとすれば容易にできてしまうだろう。「セクシー田中さん」の連続ドラマ化のように、プロジェクトが大きくなればなるほど、関わる人が増え、原作愛のない人の介入を許すことになる。そしてドラマ制作サイドは人数で原作者を圧倒するため、人間特有の群れると謎の強気になる習性から「ドラマ制作では俺たちの方が偉い」と勘違いをして、原作者を蔑ろにするような、絶対にいじってはいけない原作のコアの部分をいじる蛮行が行われてしまうのだ。漫画と映像はちがうものなので改変やアレンジは仕方がないと思う。だが、改変やアレンジを行う際に、その改変が作品のコアに触れるものなのかどうか、判断できない者に映像化する権利はないと僕は思う。(所要時間50分)

僕の「昭和」が死んだ。

最近「昭和」がバカにされすぎ。「昭和(笑)」とオチに使われるのをよく見かけるし、部下に注意したら「部長みたいな昭和の働き方はできません」と笑われた。「昭和はこんなものじゃないぞー」とやりすごしたが、僕は昭和を知らない。大卒で就職したのが1996年(平成8年)で、昭和は僕が中学3年生のときに終わっていた。つまり僕は昭和の働き方を知ってるマンの資格を満たしていないのだ。

「昭和」はいつからこんな扱いをされる存在になったのだろう。昭和は「あの頃は良かったね」といわれる憧憬の対象だったはず。昭和への郷愁を感じさせる映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は大ヒットした(観たことないけど)。たしか「週刊/昭和時代」も刊行されて、初回は特別価格で、付録はタンツボ(白/陶器)だったと記憶している。

僕は、たぶん、昭和の働き方にどっぷり浸かっていた世代と、直接、十分な時間を一緒に働いた経験をもつ最後の世代だ。新人時代の上司や先輩たちは1970年代~80年代中盤までを現役バリバリで生き抜いた人たちで、彼らからアポ無し突撃、飛び込み名刺配り、接待攻勢、深夜残業、1日2箱の付き合い煙草、飲みにケーション等々、昭和の営業手法を徹底的に仕込まれた。再現性もなく、効率性も考慮しない方法論だったが、新人なので従った。政略結婚の相手から変態的なプレイを求められても断れないのと同じだ。

その頃、すでに昭和の働き方は限界で、減少する仕事と多様化するニーズ、外資の進出に有効な手を打てなかった。昭和のいいときは受注が絶えない時代で、仕事のクオリティが伴わなくても結果が出ていた。結果オッケーとされて、仕事内容と受注の因果関係の検証はなされなかった。上司や先輩たちは決してバカではなかった。自分らの働き方に疑問を感じていたはずだ。でも変えられなかった。人間は過去の成功体験から逃げられないのだ。

僕に昭和の働き方を徹底的に教え込んだ主犯はK次長だった。僕は昭和の働き方の継承者だったが、昭和の方法論が使い物にならなくなるのもわかっていた。飛び込み営業をやめたり、ネットに広告を出したり、顧客数を絞ったり、新しい試みを試していった。K次長は「そんな生易しいやり方じゃダメだ」「営業は足で稼げ。汗を流せ」と注文をいれてきたが途中から何も言わなくなった。新しいやり方を異物のまま受け入れてくれたのだろう。

お客様は神様。年功序列で流動性の欠けた組織がひとつとなって無理、無茶、強引に脇目もふらず顧みず突き進んでいく。そんな昭和の働き方が世の中の変化に対応できるわけがない。それが僕が実際に経験した1990年代後半。僕が退職するとき上司や先輩から「ここでの経験を活かして」「何か困ったら連絡しろ」「全力でぶつかれば道はひらける」と言われたけれどもクソほども役に立たない助言だと思った。K次長からは「ここであったことは全部忘れろ」のひと言だけだった。ここで培ったものは役に立たない。ゼロからだと覚悟してやれ。そういう意味だ。

別業界(食品業界)へ転職した。2002年だ。会社自体が若く、新しいことを取り入れていく社風があった(当初は)。営業部門は新しいターゲットを見つけては個々が臨機応変に対応した。人員不足で営業からクロージングまで一人で完結しなければならなかった。法令遵守が徹底していて(当初は)、原則残業は禁止。サービス休日出勤など論外。PCを駆使して一人で完結する仕事のやり方なので飲み二ケーションも無意味。

新しい職場で僕は結果を出すことができた。だが、同僚より能力や努力が秀でていたとは思えない(運には恵まれた)。思い当たる理由はひとつだ。スマートに働こうとする同僚よりも、僕の働き方は少し泥臭かった。新規開発がうまくいかなくても執拗に相手に食い下がった。談笑する同僚たちに加わらずに仕事に没頭した。おそらく同僚たちが抱えていた案件の2〜3倍の数の案件を抱えて同時進行させていた。それは2002年に合わせて薄味にモデルチェンジされた昭和の働き方そのものだった。

昭和の働き方が沁みついていたことが功を奏した。だから「昭和の働き方~」「昭和ヤバ~」と世の中が昭和を嘲笑っているのを見ると、複雑な気分になる。昭和は確かにダメだった。昭和は忌まわしき過去、嘲笑の的だ。それでもいい。でも忘れないでほしい。ダメな昭和があったから今があるということを。歴史は繰り返すものだから、令和を生きる若者たちもいつか「令和www」と笑われる日がくる。特大ブーメランにならないことを祈るばかりだ。たまには空気@存在感の「平成」を心配してみてはどうだろう。

昨秋、K次長が亡くなった。他人に厳しく、言い方はキツく、苦手な人物だった。今は感謝している。昭和の働き方を叩き込み、9割のダメと1割のマシを心身に刷り込んでくれた。昭和の滅茶苦茶な働き方はストレスも半端なかったと推察する。K次長はまだ70歳だった。先輩達の中にも60代で倒れた人が複数いる。好景気という祭りの代償は高くついた。20年前の僕は生来の天邪鬼が爆裂していて、彼らへ素直に「ありがとうございました」と言えなかった。だから今しばらくは「昭和はこんなもんじゃねーぞー」と言い続けたい。きっとそれは彼らと、彼らが生きた昭和への供養の言葉になるだろう。(所要時間44分)

競争入札で無敵になる方法を教えます。

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僕は食品会社の営業部長だ。当社は或る指名競争入札に参加することになった。本来、入札案件は本社営業部の管轄である。だが、今回、指名されたのは支社であったため、支社の営業部門で参加することになった。担当は金融機関から天下ってきた会社上層部、俗称《マネーロンダリングス》のひとり、支社長氏。60代の氏は、業界知識なし、入札参加経験なし、人脈なし、人望なし、漢気なし、そんなナイ×5人間である。

ご自身も自信がないようで、28年間の営業マン生活で入札経験豊富な僕に必勝法をたずねてきた。親切心から「私が代理でやりましょうか?」と提案したが「キミは自分の手柄にするつもりだろう?」と疑われたため、親切心が蒸発して虚無になりました。

そんな流れで経験も知識も向上心もないが自尊心と出世欲は人並以上にある支社長氏に競争入札必勝法についてレクチャーすることになった。中学生が理解できるレベルで分かりやすく説明したので参考にしてもらいたい。

僕「心構え/僕からは一個だけ。憧れるのをやめましょう。入札当日だけは大手への憧れを捨てて落札することだけを考えましょう」支社長「いい心がけだな営業部長」パクリネタなので真面目に受け取られるときっつ…。

僕「指名競争入札と一般競争入札の違い/特定の選ばれし者だけが参加できるのが指名競争入札、原則誰でも参加できるのが一般競争入札です。条件が付与されるケースもあります」支社長「なるほど選ばれている時点ですでに勝ったようなものだな」選ばれし者で自尊心をくすぐられたようだ。

僕「予定価格/入札の基準となる金額です。決められた額を越えてはいけません。上限と考えればオッケーです」支社長「上限…」

僕「最低制限価格/安く取ろうとする業者を排除するために設定された金額です。下限と考えてください」支社長「下限…」反応が鈍く理解しているのか不安になる。「上弦、下弦」で『鬼滅の刃』と勘違いしていないことを祈るばかりだ。全集中してくれ。

僕「委任状/代表者の代わりに入札をおこなう場合に私は偉い人から任されていますと証明する書類です」支社長「私は支社の最高責任者だ。必要なし」御大将!

僕「入札の手順/封筒に入れて綴じた入札書を会場に設置してある箱に入れれば終わりです。開札されるまでその場にいてください。入札金額の頭には¥マークを入れてください。封筒の書き方はネットでチェックしてください」支社長「箱に入れたあとは自由の身というわけだな」だから動くなっつってんの。

僕「入札不調だった場合等々/1回目の入札が不調に終わったときは2回目が行われます」支社長「1回目、箱に入れるのをしくじっても2回目があるということだな」ちがいます。箱に封筒を入れることすらできない職業能力って。

僕「以上のような手続きを踏まえ、開札の結果、原則一番低い入札金額を記入した者が落札者になります」支社長「それを早くいえ。一番安い額だな。よし。完璧に理解した」これほど薄っぺらい完璧を僕ははじめて耳にした。

支社長が「他にもあるだろう。あらかじめ金額を教えてもらうとか、あるんだろう?」と言い出した。いやらしい声で。悪代官のような顔面で。談合等々の不正を指しているっぽい。「お主も悪よのう。おほほー」ってやつだ。ドラマ見すぎ。確かにこれまで参加した入札のなかには最低制限価格ギリギリの額を入れて落札した業者もいた。僕はギリギリの線を狙い撃ちできる担当営業マンの超能力のような眼力を信じ、憧れた。

1社だけとびぬけて低い金額を入札して、他の会社が不自然に横一列の金額を入れていたケースもあった。事前打ち合わせなしでそんな仕業ができる…僕はそこに「僕らは言葉なしでもわかりあえる…」という人類に対する希望を見出した。長年営業畑を歩んできた僕だからわかる。入札にあるのは不正や陰謀ではない。あるのは超能力と人類への希望だ。外からでは不正があったように見えてしまうのだろうね。そういえば、かつての上司や先輩は入札直前に、官公庁の担当者と会ったり、同業他社の担当者と飲みに行ったりしていた。母さん、僕のあの上司、どうしたんでせうね?

支社長氏のチームに、基本的な知識を教えた。各競合他社の傾向、同様の過去案件を例に入札金額の算出方法を伝授した。入札はどれだけ有効な情報を持っているかで決まる。支社長氏には優位に立てる情報は何もなかった。限られた情報から僕が算出した入札金額は1000万円(仮)。ここでバカでもわかるように簡単に説明したのが悪い方向に出た。支社長は「簡単な仕事だな。もうキミに教えてもらうことはない」というと僕の存在を無視して他の上層部と入札金額の相談をはじめた。

「1000万円で行こう」「ズバリすぎるからニアピンを狙いましょう」「999万9999円にするか」「もっと思い切っていった方がいいのでは?」「900万!」「勝てますかね」「敵が何を考えているかわからない。どーんといくか」「500万!」「そこまで来たらあと1万くらい下げても一緒ですよ」「よし499万にしよう」「同じことを考える敵もいるんじゃないですか」

「1円でも低ければ勝てる。そうだな営業部長!」突然、話を振られたので「イエッサー!」と答えた。「では1円引いて498万9999円にしよう」こういうアホな流れで入札金額が決定。僕が「その金額は消費税入ってますか?別ですか?」とツッコミを入れると「どっちでもいいだろ。キミには関係ないことだ」という答えが返ってきたので心を閉ざした。

入札当日。会社上層部は3名で参加したが規定で2名しか入札会場に入れなかった模様。10数社参加。当社のみ最低価格を下回って、失格。何やってんだ。支社長は「顧客ファーストの金額をぶつけましたが入札という不合理な制度に負けました。参加した中では最も低い金額でしたので実質的には負けていません」と無敵な人っぽい報告をキメて、社長から「落札できなかったのは仕方がありませんが失格ってのはどういうことですか。恥ずかしくないのですか」と叱責を受けていた。マネーロンダリングスの彼らは能力が低すぎて不正すらまともに出来ないだろう。その点は評価できる。(所要時間40分)

参戦したコンペが史上最悪だった。

病院や福祉施設を運営する法人が開催するコンペに参加した。案件は某病院の外来向けレストラン。担当によれば、コンペのきっかけは、理事長の「業者を変えよう」という鶴の一声である。昨年の初夏から書類審査、プレゼンと順調に勝ち進み、最終選考まで勝ち残った。

最終選考は試食。理事長の「実際に提供される状態の食事で判断したい」という意向を受け、法人本部から車で10分ほどの距離にあるレンタルキッチンをおさえ、そこで試食することに決まった。

準備万端。試食会を明日に控えた前日夕方。法人担当者から「理事長と院長が多忙のため外に出られなくなった。キャンセルしたい」と一方的に告げられた。準備はすべてパーである。担当者は「すみません。理事長がわがままで」と謝罪した。雇われ人間の弱さは痛いほどわかるので「大変ですね」と慰めておいた。

試食会は病院内にある法人本部で幹部会議のあとに行われることになった。昼過ぎに会議が終わったあとの会議室を即席の試食会場にするのだ。「できるかぎり実際に提供される形態で」という理事長の意向が強いため、会議室と同じ階にあるミーティングルームを即席の調理室としてIH調理器や電子レンジを持ち込み、調理盛り付けすることにした。法人担当者は「通常は会議が終わった瞬間に懐石弁当を入れてもらっている。合図を出すから遅滞なく準備をおこなって理事長たちの食事が遅れないようにしてほしい」と伝達したあとで「すみません。理事長がわがままで」と謝った。彼の従順な下僕ぶりに敬意をあらわして「大変すね…」と言っておいた。

準備万端。試食会を明日に控えた前日夕方。法人担当者から「理事長が明日の会議後急遽出張に出なければならなくなりました」と連絡があった。準備がすべてパーになる。僕は理事長抜きの試食会を提案したが却下された。「理事長だけあらためて試食会をおこなうではダメですか」「ダメです。理事長は後回しにされるのを非常に嫌います。キャンセルでお願いします」。僕が「理事長にあわせるのは大変ですね。よくやっていられますよ」と嫌味を言うと「ありがとうございます。すみません。理事長がわがままで」と担当者。試食会は日をあらためて行われることになった。

準備万端。試食会を明日に控えた前日夕方。法人担当者から「理事長は鶏と魚が食べられないと仰っていますので、配慮してください」と連絡があった。準備がすべてパーになりそう。この展開。同じ時間をループしているような気がしてきた。「チキンソテーと煮魚はそちらが策定した規定にメイン料理として入っているのですけど」と反論すると「柔軟に対応できるかどうかも選定のポイントになります」と担当者。なるほど。選定ポイントね。急遽メニューを変更。鶏と魚をメインから外す。付け合わせや副菜の変更も必要だ。「すみません。理事長のわがままで」と担当者は言ってた気がする。

準備万端(すでに現地入り)。試食会を数時間後に控えた当日午前。法人担当者から「理事長のご要望です。料理は小分けに盛り付けてください。食べやすいよう小さくカットしてください」と注文が入った。準備が一部パーになる。やはり僕は同じ時間を何回も生きているようだ。この時空から逃げるためにはアクションが必要だ。反論する。「実際に提供される形態が理事長の意向ですよね。コンペ規定にもそうあります。小さくカットしたら味はともかく見た目やボリュームや食感は実際に提供されるものとは違ってしまいます」「あくまで試食です。実際の食事とはちがいます。それと当法人は病院を経営しています」「はい?」意味がわからない。「病院は相手にあわせた細やかな対応が必要です。理事長は胃の調子が悪いので小分けにして少量を食べたいと仰っています。その要望に臨機応変に対応できるかも重要です」時間がない。反論している時間がなかった。「変化に対して柔軟に対応…」「理事長のわがまま…」と言っているのが聞こえた。

準備万端。試食会開始時刻をマジで5分後に控えた当日直前。法人担当者から「会議が長引いています。いつ終わるかわかりません。終わり次第、食事がはじめられるような体制でいてください」と連絡があった。僕らの休憩時間がパーになる。いやマジで同じ時間を繰り返している気がしてきた。100万回生きた営業マンなのでもう何が起こっても驚かない。「何か問題はありますか?」僕がたずねると法人担当者は「理事長はじめ幹部会メンバーはコンペ対象の外部レストランを使ったことのない方たちなので、どう現状と比較するのか私たちにも予測ができません」とカミングアウトした。バカすぎて驚いた。コンペ自体の設計が出来てねえ。「すみません。理事長のわがままで」。それだけじゃねーよ。

準備万端。試食会開始。試食会はうまくいった。料理の評価も上々で、質疑応答も完璧だった。理事長をはじめとする幹部からもお褒めの言葉をいただいた。理事長は「返事を期待して待っていてください」と言ってくれた。苦労が報われた。

1週間後。準備万端で結果を待っていると法人担当者から「御社がコンペで1位でした」と連絡があった。「ありがとうございます」謝意を伝えた。すると担当者は「ですが、今回のコンペはなかったことにしてください。長年付き合いのある業者にチャンスを与えると言い出しまして」と言い出した。コンペそのものがパーである。こいつは何を言っているんだ。

気を取り直して「どういうことですか?」と尋ねると「すみません」といつものフレーズを言いそうになるので「理事長のわがまま、ですよね」と先回りして言う。ついでにコンペの設計がなっていないこと、評価点や選定ポイントが曖昧な点、度重なる変更についても意見しておいたが「理事長のわがまま」で逃れようとするので呆れてしまった。コンペ1位で敗退は28年の営業マン人生で初である。

「あなたたちの理事長がわがままなのは、あなたたちがわがままな王様に仕立てているからだ」とやんわりと批判したが相変わらずの「すみません。理事長のわがままで」という反応で脱力してしまった。

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何も考えていないようだ。裸の王様は、外の人間からみれば裸のおっさんにすぎないことに早く気づいてほしい。あと、鶏が食べられないはずの理事長、鶏料理の小鉢を取って「うまい」って言っていたからたぶん味覚バカな。史上最悪のコンペはこうして幕を閉じたのである。(所要時間44分)

傷ついた心を山奥スローライフで癒すハードボイルド『この密やかな森の奥で』

憧れている生活がある。かつて写真家の星野道夫さんが送っていたような、北米の山奥にある小屋で自給自足する生活だ。妄想を配合して、大自然のなかで戦地で傷ついた心を癒しながら生きている設定なら最高。聡明な子供がひとりいればなお良い。ボンクラ的にはなぜかセクシー美女に好かれる展開もいい。そんな静かで平和な暮らしを脅かす「敵」が近づいてくる。戦いのときだ。

映画『コマンドー』や小説『極大射程』等々、ボンクラホイホイ・フィクションでよく見かける設定だ。『この密やかな森の奥で』はそんな「コマンドーもの」の設定を踏襲している。主人公クーパーは元軍人。自分が起こした行動がもとで山奥で一人娘と暮らしはじめて8年になる。交流は戦友のジェイク1人のみ。コマンドーものなら、かつての上官や戦友が戦闘力を見込んで「一緒にビッグなビジネスをやらないか」と誘ってきたり(ビッグビジネスはテロリストへの武器の横流しか薬物の密輸入)、いきなり山荘に攻撃を仕掛けてきたりして(バカが無駄に重装備で派手に襲撃)、暮らしが脅かされ、やむなく武器をとって戦うという流れになる。だが、今作はそういうお約束の展開にはならない。

明確な敵が存在しない稀有なハードボイルドだ。せいぜいクーパーの過去を知っていると思われる不気味な隣人スコットランドから監視を受けたり、ちょっかいを出されたりされるくらいだ。クーパー親子を執拗に追跡する者はあらわれない。クーパー親子は自ら世の中から完全に身を隠しているからだ。街に出た途端、過去の行動が原因で身柄を拘束される(と設定されている)。つまり、安全地帯から出られないという緊張感が常に山奥の静かな暮らしの底にある。

そんな暮らしは脆弱だ。何者かが、道に迷って入ってきただけで破綻してしまう。追跡者より、外部の無関係な者の存在のほうが恐ろしい。予測も排除も出来ないからだ。「コマンドー」のシュワちゃんのように倒すべき明確な敵がいるほうがどれだけ楽だろうか。

クーパーの過去、PTSD、隣人スコットランドの正体、成長する娘(外界への興味)、それら不安要素が静かな生活を少しずつ脅かしていく。主人公は、一般的には正しい行為だが自らにとってはマイナスのなる行為と、正しい行いではないが自らの身を守れる行為とで選択を迫られる。これは僕らにもありえる選択だ。たとえばクソ上司のダメな行いを批判する方が正しい選択だが、それによって社内的には失脚しかねないとき、正しい選択とはいったい何だろう?ギリギリの状況で人間は正しい選択ができるか、正しい選択とは何か、この作品は突き付けてくる。余談だが僕は自分の身を守る選択をする。正義では飯を食えないからだ。

ボンクラなら誰でも憧れる退役兵士の山奥での暮らしを守ろうとするハードボイルド。スローライフを維持しようとする姿はさながら実写版どうぶつの森のようだ。結末はビターで、そこに、「悪党を鉄パイプでボイラーに突き刺してスッキリ!」な『コマンドー』のような解決はここにはない。登場人物たちそれぞれの選択は正しい選択なのか、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、読む側に委ねられている。すっきりとした結末にはなっていないが、そのぶん考えさせられる余地と余韻が『この密やかな森の奥で』にはある。(所要時間20分)