Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

導入10ヶ月で見えてきたインサイドセールスの弱点と改善策について全部話す。

僕は食品会社の営業部長、効率化と属人性排除を目的に、営業部門の仕事の在り方と組織を改めている。1人で案件の発掘から制約までをおこなう従来の営業に限界を覚えたからだ。エース営業マンの独力とカンに頼った昭和からの営業スタイルはこれからは通用しないと考えたからだ。25年間の営業マン人生を経て、優秀な営業マンというものは存在しないという前提から考え直したかったのだ。

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▲当時の図

そこから「アポ取りの外注化」「営業のチーム制」を経て、今年の頭から、見込み客を電話とメール中心の営業で有力案件まで育てて営業チームに渡すチームを新設した。いわゆる「インサイドセールス」である。(ここまでの話は→)属人化を排除した結果、「あなたはいてもいなくても同じ」と部下に言われた。 - Everything you've ever Dreamed

正直、これが想定以上にハマった。うまくいった。

新型コロナの影響や、退職にともなう人員減といったマイナス要素があっても対前年同月比で平均120%の数字をあげていた。インサイドセールスは在宅勤務との相性が良かったのも幸いだった。新しいやり方が浸透して成熟していけばもっと結果は出せると考えていた。ところが…。

残念ながらそうはならなかった。6月上旬から数字は伸びなくなり、横ばいを続け、9月になると対前年同月と変わらない数字に落ち込んだ。これでは意味がない。コロナが落ち着いて経済活動が戻ったときに置いて行かれてしまう。

傾向が明らかになった6月の終わりから分析した結果、原因(と思われるもの)に行きついた。有力案件の精度だ。インサイドセールスから営業チームに渡した有力案件の中に有力とはいえないものが含まれていたのだった。そういった案件を渡され対応した営業チームにロスが発生し、それが停滞につながっていた。

たとえば「有力案件と思って面談した相手が購買意欲ゼロだった」といった事案も起きていた。有力案件ではない有力案件、偽有力案件を抱えて、「いちおう客だから…」とそれを無視することも出来ず、本物の有力案件に注力する時間と労力を損なわれていた。大きな営業部隊なら多少のロスでもマンパワーで持っていけるが、ウチのような比較的小規模で余力のない営業組織だとロスは致命的だった。

インサイドチームの上げる有力案件の精度が原因ということは、案件の見極めが甘いということを示していた。ここで担当者を呼び出して注意をしても根本的な解決にはならない。僕は人の問題ではなく、インサイドチームに課したノルマと目標設定に問題だと考えてみた。

インサイドチームにも営業チームと同様の「月何件の有力案件を育てる」というノルマを課していた(実際には業種や規模や想定売上といった目標も定めていたがここでは割愛)。インサイドセールスにかかわるスタッフに、そのノルマ設定では正しいものではなかったと反省している。海のものとも山のものともつかぬ案件を有力案件にまで育てるのは至難だ。易々と出来るものではない。一方でノルマはある。そのノルマを達成するために、有力案件のレベルに達していない案件を有力案件として営業チームに渡すという事態になっていた。過去の活動履歴を調査し、偽有力案件のあげられている時期が月末が迫っている時期に集中していることから気付いたのだ。

早速、インサイドセールスチームに課しているノルマや目標の見直しに取り掛かった。月ノルマではなく中長期スパンにすること。有力案件の数ではなく質で評価をすることなど等々。中長期スパンで見ることはもとより、案件の数ではなく質で評価するとなると成約に至るまで評価がかたまらないため、この新しいノルマ設定が適正なのか判定するにはまだ少し時間がかかる。そのため残念ながらまだ最適解は見つかっていない(ある程度稼働させて検証する必要があるため)。

だが現場は動いている。そして僕は営業の責任者なので解決を見える化して示す必要があった。もっと具体的に。書籍やネット記事で調べてみた。インサイドセールスの利点や将来性についてのものばかりで、僕が求めていたトラブルシューティングはなかった。だから自分で考えていくしかなかった。限られた条件で、効果のある、短時間でできる対策を僕なりに考えた。

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▲案①

まず思いついたのはシンプルなものだ(案①)。インサイドセールスチームから渡された営業チームは精査した結果有力案件に満たないものをインサイドセールスチームに差し戻すというルールをつくるというものだ。この方法は組織上大きな変更点がないということ、即導入できるという利点がある。

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▲激怒する客の図

その一方で、一度紹介して引き継いだ営業担当者を短期間で再度元の担当者に戻すという、客視点でみると「たらい回し」感がどうしてもぬぐえないこと、営業チーム内で精査すること自体が負担になりかねず、営業チームの有力案件に注力するというコンセプトに相反すること、そして「なんで俺があげた案件が差し戻しなんだ」「こんなの有力案件じゃない」というチーム間の不協和音になりかねないリスクがあること、等々のデメリットも考えられた。

 

そこから発展させて次に考えたのが、インサイドセールスチームと営業チームのあいだに精査役を置く案2。インサイドセールスチームから上がってきた有力案件をいったん精査役が受けて、合格なら営業チームに渡してダメなら差し戻すという案。

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▲案2

これならインサイドセールスチームと営業チームに今以上の負荷をかけずに、客にたらい回し感を持たれる危険性を回避できる。チーム間の不協和音にも発展しない。問題は精査役を任された者は、時間に追われるうえ、差し戻しによってヘイトの対象になる可能性があることであった。ひとことでいえば精査役は憎まれ役になってしまう。問題はあるけれども、案2を採用。そして、先月中旬から精査役を一名設置して営業組織を回している。今のところは順調で営業から「全然有力案件なんかじゃないっすよー」という声はなくなっている。もっとも精査役を務めている者は関係者から「もっと速く対応して」「なんで差し戻しなんだよ…」というヘイトの対象となっていて胃に穴があきそうな思いをしている。まあ、精査役をやっているのは僕なのだが。

インサイドセールスは流行っているけれどもまったくもって万能ではない。ここで挙げたものとは異なる問題が起きる可能性はある(業種や規模の違いで特性があるので)。これにかぎらず仕事において問題や課題が見つかったとき、迅速にその原因を見つけて、解決策を見つけることが大事なのは当たり前である。それと同じくらい、原因と解決策をチーム全体に分るように提示して、納得のうえで前に進めていくことが大事だと僕は思うのだ。それさえ出来れば多少の停滞はあっても結果はついてくるだろう。僕はそう考えている。(所要時間48分)

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「ブレない」を否定する。

昨今、ブレない生き方が称賛されている。僕のようにズブズブにサラリーマンとして生きていると、「これからはブレない生き方じゃないと突き抜けられないっすよ」という若者たちの軽口を、忸怩たる思いで聞くばかりである。元々、我々日本人の多くは、主や己の信念に殉ずるブレない生き方を称賛してきた。楠木正成。真田幸村。若者よ、「ブレない」はじつは古い価値観なのだよ。

「ブレない」がモテはやされるのは、一点突破、最短距離、直結、スピード感といった結果にコミットする、ポジティブなイメージがウケているからである。トレーニングジムが「我々の提供するダイエット・プログラムはザ・まわり道です」という事実に即した宣伝を打ってもウケないだろう。

「ブレない」は目的や目標に向けて一直線に突き進んでいく生き方だ。強いて言えば、その直線上にない可能性を見逃がしている。見方を変えれば、ブレて、最短コース上にない可能性を拾っていったほうが人生は広がる。また、チャレンジやトライ、試行錯誤といった脇道で得られるものを見落としている。「ブレない」には、そういう弊害もあるように思える。

たとえば、任天堂は、最新の技術に飛びつかずに、既存の技術を組み合わせて(ある種のブレである)魅力ある商品を市場に出している(横井軍平さんで有名な「枯れた技術の水平思考」と呼ばれている)。その結果、新型コロナ禍でも過去最高の業績を出している。既存の技術を工夫することは、「最新技術へ一直線」という姿勢ではなく、余裕を持ってまわり道をしながら、できることを探しているスタンスがあるからできることだろう。それでいて、「娯楽としてのゲーム機に徹する」という方向性は一貫している。その点においては、頑なにブレていない。

また、業績を求めて突っ走るあまり、従業員の人間性や環境をないがしろにしてきたブラック企業も、一直線に突き進むことの弊害の現れだろう。ブラック企業のトップが、業績追求からブレて、従業員の労働環境に目を向けていれば、そのような事態にならなかっただろう。

「ブレる」を、「右往左往」や「まわり道」とネガティブにとらえるのではなく、「可能性を広げる生き方」とポジティブにとらえよう。ブレない生き方とは、ゴールがしっかりと見えているからこそできる生き方だ。実際、正確にゴールが見えている人がどれだけいるだろう? そもそも、ゴールが見えなくても前に進んでいかなければならないから僕らの人生は難しいのだ。

僕らは、ゴールを探しながら歩いている旅の途上にいる。その旅の途中で出会えるものを味わいつくすように、ブレる生き方を肯定できれば、前向きに生きていける。無駄な人生などないのだ。

ある程度の方向性を持って、ブレながら、軌道修正を重ねて進んでいこう。世界観が構築されていれば、過ちや失敗にもいちはやく気付ける。世界観は人生を歩んでいくための方位磁石である。書くことで、正しくブレながら楽しく生きられるようになる。

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この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。

 

ホンモノの悩みと付き合うということ。

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。今回抜粋するのは、書くことで悩みを分解しよう、というテーマの部分です。

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・「何を悩んでいるのかわからない」という状態が悪

 

「給料が少なくて、生活が苦しい」「亭主が多目的トイレで不倫を繰り返している」などと悩みをダイレクトに書き出しても悩みそのものを直視する結果となり、辛くなるばかりだ。さらに落ち込んで、悩みに取りつかれた悩みゾンビになってしまう。

 

悩みについて書くときは、漠然と悩みそのものを列挙するのではなく、「悩みを減らす」という目的を明確にしてから取り組もう。自分の言葉で悩みを分解する目的意識を持って、書いていくのだ。

 

【分解のポイント】 ・悩み始めたきっかけ ・悩んだ結果 ・悩みの影響

 

悩みそのものについてでなく、悩みをとりまくもの、なぜ悩むようになったのか、いつから悩むようになったのか、その悩みはいつもあるのかそれとも時々なのか、について書いて明確にしていく。そうやって悩みを分解することによって、「即座に解決できない悩み」と「解決への道筋の見える悩み」と「悩みとは言えないもの」が選別できる。悩みが確実に減っていく。整理される。

 

最終的には、「人生を賭して悩むべきホンモノの悩み」が残る。書いて、自分の言葉に落とし込んで整理するば、正体不明のモヤモヤした悩みも、明確になる。頭のなかで悩み続けていては、言葉による明確化がされないので、モヤモヤを消し去れない。モヤモヤを削ぎ取って悩みをスリムにすれば、「何に悩んでいるのかわからない状態」には陥りにくくなる。生きるのが楽になる。

 

・書くこと、世界観を持つことが悩みの特効薬/ホンモノの悩みと対峙せよ 

 

書くことで、「悩み」と思い込んでいたものが、「悩みではない」とわかるようになる。悩みとの位置関係や距離がはっきりなるほど、つまり世界観が確立していけばいくほど、悩みの見極めは容易になる。

 

たとえば、「仕事上の悩みは給料とペイするものだと割り切っている」そういう世界観が確立していれば、仕事上の悩みは実質「悩み」ではなくなる。または、「俺はロックスターになる。歌詞に人生の苦悩をあらわすために、この地上にあるあらゆる悩みをこの身に受けてやる」……、このような世界観を持っている自称「ジョン・レノンの生まれ変わり」なら、朝、玄関の前で踏み潰してしまったアリンコの痛みも苦悩になるだろう。

 

このように、世界観はその人の世界の見方である。     線引きの線である。悩みが多すぎるという状態は、この線が確立していないということだ。世界観があれば、悩みを容易に振るい落とせるようになる。


・ホンモノの悩みとは

 

書くことで、悩みではないものは切り捨てる。自分の努力で解決できるものは、悩みではなく、課題だととらえる。「彗星が落ちてきたらどうしよう」という一個人で悩んでもどうにもならないものも悩みから除外していく。こうやって振るい落としていき、残ったものが「ホンモノの悩み」である。悩みではないものを取り除くことによって、はじめて、ホンモノの悩みと全力で対峙することができるようになるのだ。細部まで書くことによってさらに正確に、悩みの姿をとらえられるようになり、有利に戦える。

 

「ホンモノの悩み」が魔法のようにパッと消えることはない。僕は40年以上生きてきて、最近、こうしたホンモノの悩みと対峙することは、人生の贅沢なのではないかと考えるようになった。ホンモノの悩みは、自分自身の影のようなものだ。どこまでもついてくる。とことん付き合ってやろう。

 

「トロッコ問題」という「人を助けるために、他の人を犠牲にするのは許されるのか?」という倫理学上の問題がある。「暴走したトロッコがこちらに向かってきている。あなたは線路の分岐にいて、何もしなければ線路上にいる5人が死ぬ。だが分岐を操作して別の線へトロッコを引き込めば、5人は助かるがそのかわりに確実に1人は死ぬ。あなたならどうする?」という内容で、様々な立場と見識から意見を出し合うが、完璧な答えは存在しない。そして、「トロッコ問題は難しいな~」といって皆で腕を組んで首をかしげて悩んでしまう。

 

じつは、僕らが抱えている問題や悩みは、トロッコ問題より数段複雑で、ずっと高度だ。たとえば「部下がいうことを聞かない。ムカつく」という問題はどこにでもありふれたものだ。だが、細かい条件はすべて違うので、解決方法も問題の数だけ存在する。トロッコ問題は、前提となる条件が整理されているが、僕らが日々悩んでいることは、どんなくだらない問題であっても、条件が未整理かつ複雑怪奇で、そのうえ、トロッコ問題と同じかそれ以上に難しい問題が含まれている。明確な答えはなかなか見つからない。もしかしたら答えはないかもしれない。パッと消えるなんて、ありえないのだ。奥様がどれだけ理不尽な発言をしても、それを非難したら負け。僕らはそういう解けないパズルを抱えて、生きているのだ。

 

「ホンモノの悩み」について、思い切り悩もう。全力で悩み、全力で考え抜けば、「ホンモノの悩み」だって解決できる。振りかえってみると、若い頃持っていた、ぼんやりとした悩みのなかにも、「ホンモノの悩み」があったはずだ。書くことを知らなかった当時の僕は、その悩みをモヤモヤのままで素通りしてしまった。あの頃の悩みが今の僕に訪れることは、もうない。本当にもったいないことをしたものだと、最近わりとマジに後悔している。

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圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術

 

取引先の新人女性から「彼女いますか?」と聞かれました。

100億年ぶりに女性から「カノジョさん、いないの?」と言われたとき、どこか懐かしく甘い匂いがした。何の匂いだろう?僕は言葉を探しながら考える。そして捜し当てる。再生、確認。間違いない。真夏の海岸で嗅いだコパトーンの甘い匂いだった。「彼女はいませんよ」僕は言った。妻の目を盗み、真実と嘘のボーダーをかすめるようにして。年の離れた相手に。

声と匂いの主はクリニックを運営している法人で事務職として働く女性で、今年の春から働いている新人さんだ。僕がクライアントである理事長先生と面談する際はいつも、彼女が応接室に通してくれた。麦茶から番茶へ。季節の移り変わりと共に彼女のいれてくれるお茶と交わす言葉も変わった。「今日は暑いですね」「夕立になりそう」「あっという間に秋が来てしまいましたね」彼女はいつもとびきりの笑顔で僕みたいな中年男に話しかけてくれた。そして今日の「カノジョさん、いないの?」カノジョという響きが新鮮だった。「ご結婚は?」「お子さんは何人?」年齢相応のクエスチョンで乾ききった僕の心にカノジョの響きは染み渡った。僕が置き去りにしてきた言葉たち。腐敗して朽ち果てず、死蝋化した響きたち。カノジョはそのメンバーだった。47才、恋を忘れていたモノクロの時間に色彩が回復した。こんな甘酸っぱい時間はラブプラス以来かもしれない。姉ヶ崎寧々が頭に浮かんだ。寧々姉さんとの止まっていた時間が動き出すかもしれない。

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「おいおい熱くなるなよオッサン」常識が肩を叩いて待ったをかける。ムリだろ。とても。確かに。事務ガールと僕は親子ほどの年齢差があった。アバウト25イヤーズ。生きてきた時代や考え方もまったく異なるだろう。越えなければいけないハードルを考えると頭をかかえてしまいそうになる。その一方で25年を飛び越えてしまえば、経験したことのない甘美を味わえる。期待があった。背筋ゾクゾクするような背徳に支えられたコパトーンの甘美が待っている。そんな予感がした。常識が僕の肩を叩く。そして言う。「冷静になれよ。どう考えてもムリだろ?破滅する気か?」うん。確かにムリだ。事務ガールの胸にあるバッジに刻まれた「シルバー人材センター」という文字列が僕に現実を戻した。どう考えてもムリだろ。絶対。気がつくとコパトーンの匂いは実家の母ちゃんの匂いに変わっていた。(所要時間10分)

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圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術

「書き捨て」について

この記事は12月16日にKADOKAWAから発売される僕の新著『圧倒的な世界観で多くの人を魅了する 神・文章術』からの先出しです。今回は、「どうすれば書けるのか」に対する回答部分です。

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・「書き捨て」はひとりカラオケである。

「どうすれば書けるようになるのか?」という問いへの答え。
それは「『書き捨て』をしよう」である。
「書き捨て」とは、僕が苦難に満ちたサラリーマン生活を経て、やっとたどりついた、オリジナルのメソッド。
文字通り、紙にシャーペンやボールペンで、思うがまま書いて、あとに残さないで捨てるという手法をさす。
もちろんあなただって、今までに何度も「書き捨て」を経験しているはずだ。
何枚もの紙にアイディアを書き、丸めては捨て、破っては捨て……。
むしろ「『書き捨て』なんて、したことがない」という人のほうが珍しいかもしれない。

ただしこの手法は、無意識に行っても効果は期待できない。
明確な目的意識が伴ってこそ、人生をより良いものに変える数多くのメリットをもたらしてくれる。

僕はこれをずっと続けている。心にひっかかったものについて、書いては捨てる。残さないからこそ、自由に、自分の言葉で書くことができる。
いったい、どういうことか、お話ししてみよう。
「書いたものは、残す」というマイルールを自分に課した場合。それは少なからずプレッシャーとしてのしかかってくる。
ブログなんて特にそうだ。もちろん、ボタンひとつでいつでも削除できる。
とはいえ「残す(世間様に公開する)」と決めた時点で、いかに慣れている僕でも肩に力が入ってしまう。
Twitterなんて、なおさらだ。Twitterは文面の修正がきかない。たった140文字といえども、誤字脱字、反響を考えると、なかなか気軽につぶやきにくい。 
残すことがプレッシャーになってしまうくらいなら、
あらかじめ、「書いたものは、捨てる」と決めてしまったらどうだろう。
気持ちが軽くなり、いくらでもペンを動かせそうだ。
すると、心が自由にのびやかになり、それまでは感知できなかったことにまで、気付けるようになる。フィールドが拡がる。それは、とても大事なことだと思う。

たとえば「筆がすべる」なんて言葉がある。「調子に乗ったあまり、余計なこと(間違ったこと)を書いてしまう」というネガティブな文脈で使われる言葉だけれども、僕は、それでいいんじゃないかとすら思う。だって、自分から自由自在に言葉が沸き上がってくる状態になるだけでも、素晴らしいことなのだから。書くことくらい自由に、調子に乗ってしまおうじゃないか。

 

メモやノートや予定帳のように「書き残すもの」には、後で読み返して勉強の参考にする、記憶を補填するといった、何らかの意図と目的がある。読み返すために、ある程度体裁を整える必要もある。

 

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それに対して「書き捨て」は、残さないことを前提にしているので、目的や意図や必要に縛られない。体裁を整える必要もなく、気楽に自由に書ける。ぐちゃぐちゃでもいい。たとえば、ミーティングで同僚の前で、ふと心に浮かんだくだらないアイディア(しかも言語化されていない)をホワイトボードにそのまま書けるだろうか。難しい。周囲から「錯乱したのか」と白い目で見られてしまう危険性もある。

オーディエンスがいると自由に心のままに書けないのだ。だが、誰にも見せない、将来見返すこともない、書き捨てなら、どんなことでも書ける。自分以外には理解不能な言葉や図で書いてもいい。書き捨てはひとりカラオケのようなものだ。観客のいない、ひとりカラオケなら音程を外そうが歌詞がめちゃくちゃだろうが自由になれる。アレンジだって自由自在だ。書き捨ては、一人カラオケと同じように、ルールや常識から逸脱して自由になれるのである。

◆「書き捨て」とは?
1.紙に書く(裏紙でいい)。
2.残さない意識を持つ。
3.消しゴムや修正液で消さない(削除は線で)。
4.かならず捨てる(人に見られるのが心配な人は、クシャクシャに丸めてもよい)。

書き捨てと並行して文章を書き続けているうちに、自分がどういう人間なのか徐々にわかってきた。世界観が構築されていった。その世界観からの観察をベースに、ブログを書くようになってから、読んでくれる人も次第に増えていった。文章を通じて僕という人間に興味を持ってくれる人が増えてきたのだ。

僕が書き捨ててきたテーマは、「仕事がうまくいかなかったとき、何が原因だったのか」「若手や上司とのあいだにあるジェネレーションギャップとどう付き合えばいいのか」「チームのマネジメント上で、経験のない問題に直面したときの打開策」「企画提案で他社を圧倒できるアイデアを発想したい」「今の悩みをどうやって目標に変えればいいのか」といったところだ。普通に生きている人にありがちな、ありふれた、しかしながら一筋縄では解決できないものばかりだ。

書き捨てを続けていくうちに、「このままじゃダメだ」という焦りと悩みがまじったモヤモヤした気分も次第に晴れていった。それから今日まで楽に生きられている。気が付くと、ウェブ日記と書き捨てを始めてから20年近くの年月が経っている。

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